見出し画像

待ちの姿勢と覚悟

かなり久々の投稿になっている感がある。
昨年5月の緊急事態宣言下に書いたものを先ほど読み返し、10ヶ月くらい経ってるやんと思った。

今、東京は再び宣言下にある。
…が、前ほど緊張感はないし、日中はお散歩に出たりもする。マスクにはかなり慣れた。
むしろ『マスクありがとう』と思うこともある。お化粧はもう長いこと頑張っていない。


久々にこうやってまたnoteを書いている私には、いま待っているものがある。

『陣痛』だ。

書いていなかった期間中に妊娠が発覚し、
つわりも乗り越え、
仕事を後任に引き継ぎ、
お子の性別を知り、
予定していた結婚式は再延期し、
産休に入って、
お子の名前を決め、
お子のうまれてくる環境を整えつつ、
先週突然に逆子が治り、
ようやく臨月に入ったところだ。

予定日はもう少し先の話だけど、臨月というからにはいつうまれてきてもおかしくない。
毎週になった検診では『もう2700gあるよ』とのこと。ガチの予定日には3500gを超えてくる可能性もある。恐ろしい状態だ(ちいさくうみたかった)


私はミドルサーティ世代だが、これまであまりにも自由にやりたい放題して生きてきたので、結婚するときにも(ほんのちょっとだけ)マリッジブルーになった。
生活が変わってしまうことへの不安感から。
そしていまは絶賛マタニティブルーだ。

産休のいま、こんなにのんびりと怠惰な毎日。
こんな日々はもう一生めぐってこない。
こどもを優先し、家族と過ごす毎日が始まるんだ。
それはもちろん幸せの一つの形であり、楽しみでもある(もちろん!!)んだけど、これまでと全く異なる人生のルートは曲がり道で見通しが悪く、今立ってる位置からはよく見えない。

大好きな仕事も、とりあえず1年はお休みすることになっているし、コロナ禍で思うように友達にも親族にも会えず、日本経済もなんとなく危うければ、私たち夫婦も結婚式を再延期する事態になり、想定外のお金が飛んでいった。
もちろんこどもが生まれれば
生活は一変するのだ。寝られない毎日と、引きこもる生活…?

これからどうなるねん。

ワクワクもするし、不安…そう、不安の方が勝っている状況かもしれない。
陣痛や出産って痛そうでめっちゃ怖いし、
無事に生まれてくる保証もなければ、この先の生活だって約束されたものでない。責任も大きくなる。

とはいえ、10ヶ月近くお腹の中にいたお子、1番近くにいたのに、まだ一度も会ったことないお子に、早く会いたい気持ちももちろんあって、
それらの感情がごちゃまぜになってるもんで、日々浮き沈み激しく生きています。

※出産こわいなぁ、な気持ちに対して、まだ腹を括れていないようだ


日曜日夜は夫婦水入らずで最後かもしれん、と言いながら、七輪で焼く焼肉に行き、自分の壮行会を自分で開いてきた。
その前週には『2人でデートいくのは最後かも』と思いながら、ジェラート屋さんでアイスを分けっこしたり。
こうやってちょっとずつ、現在の自分を納得させて、覚悟を作っていく…ということにした。


次にnoteを更新するときは、もううまれてるかもしれない。
どうなってるかわからないけど、飄々と何か文章化できるといいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?