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私が特に女子長距離を応援する理由⑧

今回は堀優花引退記念スペシャルです。
内容は気持ち悪いと思うので、耐性のある方だけ読まれてくださいね笑

ホリユウカ発見

私が彼女と知り合ったのは、2015年の春。
前年秋から急に女子長距離に魅せられ、今年度からはガッツリとのめり込むぞと息巻いていた頃だ。
私はとりあえずこの年度の高卒ルーキーたちのことを調べまくっていた。
おおよそ1996年生まれが中心となるこの世代。
まだ観戦歴の浅い当時の私は前年(2014年)の都大路で活躍した選手たちこそがトップ選手中のトップ選手でしかないと思っておらず、実際のところ2014年の都大路の1区を走った面々の中には五島莉乃(星稜/現資生堂)をはじめビッグネームが続々と現れる。
しかしいろいろ調べていくと、どうやらこの世代のトラックのトップは都大路には出場していない昌平高校の中川文華(元積水化学、キヤノン)であることがわかったり、新しい発見に日々ワクワクしていたのがこの2015年の春だ。
そうやってこの世代の有力選手をあらかたピックアップすると、今度はそれぞれの選手が高校2年時、高校1年時、あるいは中学生時にどんな実績を残しているのかを調べていった。
そこで都大路では5区で区間賞を獲得した鷲見梓沙(豊川)のことを調べていくうち、もう一人やけに気になる選手が現れた。
鷲見の豊川でのチームメイトである 堀優花(パナソニック) だ。

まさかのフォロー

岐阜は高山市の中山中のときから全国トップレベルの活躍を見せ、高校は愛知の強豪・豊川高校に進学。
彼女が入学したときの豊川はまさに絶頂期で、3年生には岩出玲亜や宮田佳菜代、2年生には関根花観らが在籍。前年(2011)に都大路で優勝したばかりだった。
そんな名門で1年生から駅伝メンバーに抜擢されると、いきなり都大路で2位となり、2年生になると都大路で優勝を果たす。
しかし高校3年時はケガでまったく走れず、都大路でもメンバーを外れ、チームも優勝候補と目されながら6位に沈んでいた。
それでも高校トータルでの活躍の度合いは素晴らしいものがあり、当時まだズブの素人だった私でも彼女の潜在能力というか駅伝偏差値の高さのようなものは存分に感じられたのだ。
おそらくパナソニックも彼女を獲得するにあたり、高校最後の1年間をまったく走っていないリスクよりも潜在能力の高さに賭けたのだろう。
だから私は思うがまま、「堀さんてすごい!この子はきっと大物になる!」みたいなことをtwitter(現X)に書きまくったように記憶する。
その結果、なんと堀優花本人からtwitterでフォローされたのである。
まったくもって意外というか…
なにしろ当時の私のtwitterのフォロワー数なんて、せいぜい20人~30人くらいなものだろう。そんなショボくて影響力のかけらもないアカウントを都大路で優勝したこともある選手がフォローしてくれるとは、夢のようとかいうよりは何かの間違いだとしか思えなかった。

八重歯の天使

何かの間違いだとしか思えなかった私は、確認の意味も込めてまずフォローいただきありがとうございます云々と書いたDMを送り付けたと思う。
たぶんそれで誤フォローに気づきフォロー解除あるいはブロックでもされるだろうと思っていたのだが、あっさりと返事が来て、そこには好意的な反応が述べられていた。

あー、なんていい子なんだ…

単純なもので、その日からすっかり彼女の大ファンになったことは言うまでもない笑

ときおり彼女のプライベートな写真を載せた投稿を見かけたりすると、大きな八重歯をニョキっとのぞかせてほほ笑む彼女の姿がそこにはあった。
そんな彼女の笑顔に、私は随分と癒されてきたものだ。
例によって(?)私は彼女の投稿に逐一ウザ絡みしていったのだが、彼女はほぼすべてに律儀に返信してくれた。
彼女がいかに忍耐強い性格であるかも、これでよくわかっていただけることだろう笑

伏し目がちな少女

ところで彼女が実業団入りして数か月経っても、レースを走ることはなかった。
てっきり夏のホクレンDCあたりで復帰するものだと思っていたのだが、結局彼女の実業団デビュー戦となったのは9月に茨城で行われた小さな記録会。
9'36"26 という彼女にしては地味な記録がそこには残っている。

そして2015年10月、ついに私は彼女と初対面を果たすこととなる。
この年から全日本実業団対抗女子駅伝大会(通称:クイーンズ駅伝)の予選会(通称:プリンセス駅伝)が福岡で行われることとなったのだ。

大会前日の開会式から私は張り切って足を運び、彼女を探した。
するとパナソニック御一行の最後尾に、両手に荷物をたんまり抱えて伏し目がちに歩くメガネをかけた女性がいた。

彼女だった。

いや、雰囲気がちょっと似た感じのマネージャーさんかも?
二度見、三度見と繰り返したが、やっぱり彼女のようだ。

「堀さん??」
恐る恐る声をかけた私。
「あの…twitterのキャプテンです…。わかります??」

『あーっ!キャプテンさん!!』
と八重歯満開でほほ笑んでくれる…はずだった…

『あ、あぁ…いつもありがとうございます…』
彼女は伏し目がちなまま。
ちょっと肩透かしというか、思っていたのとかなり違う展開で、私と彼女との初対面は幕を閉じた。

逆境をバネに

ここでふと考えた。
なんだかんだ、当時の彼女はまだ19歳。
高卒の同期を持たぬまま実業団の世界に入った彼女は、年齢がひと回りほど離れた先輩も数人いたチームの中でそれなりの苦労があったのだろう。
走りでチームに貢献するどころか練習もままならないまま夏を越し、自分の立ち位置というか居場所探しに苦悩していたのが、まさにあのプリンセス駅伝の時期だったのかもしれない。

だが彼女は、そういった逆境こそを後のエネルギーに変えて栄冠を掴んできたのだ。
高校生のときも、1年生でいきなり都大路準優勝という立派な結果を残しながらも(アンカーで抜かれ)叱責され冷遇された辛い過去がある。
その経験をバネに翌年の優勝につなげたが、そこからまた長きに渡る故障に苦しんだ。
その故障の時期の経験もバネにして、一気に日本のトップレベルまでのし上がった。
それが彼女の競技人生だ。

解き放たれた才能

実業団2年目の2016年。
春シーズンから順調にレースを走れるようになった彼女は、夏のホクレンDC北見で5000mを15分45秒でまとめる。
おおよその目安ではあるが、女子は5000mで16分切り、10000mで33分切りをコンスタントに出せるようになれば長距離選手として一流選手と言えるのではないだろうか。

彼女はこの夏に一流選手への足掛かりを掴むと、プリンセス駅伝、クイーンズ駅伝でどちらも2区を任されどちらも区間2位という大活躍を見せる。
そしてクイーンズ駅伝の翌週の日体大記録会では、5000mで15'25"53という好タイム。
間違いなく一流になった。

進撃の八重歯

翌2017年。大きく若返ったパナソニックで、彼女はバリバリの中心選手として暴れまわる。

2017クロカン日本選手権

都道府県駅伝での1区・6位の好走を皮切りに、実業団ハーフ10kmの部5位、クロカン日本選手権2位と活躍すると勢いで世界クロカンの代表にも選ばれる。
夏には日本選手権10000mで5位に入賞(31'59"80)すると、アジア選手権の日本代表にも選出され2位に輝いた。
秋の駅伝シーズンからは無双状態で、プリンセス駅伝、クイーンズ駅伝ともに、エース区間の3区で区間賞を獲得。

実業団女子長距離記録会(2017.12.9山口)

2018年も快進撃は続く。

都道府県駅伝は9区で区間5位。
実業団ハーフは2位(日本人1位)で、1'11"05の好タイム。
アジアクロカンで6位、スペインの世界ハーフにも出場し、世界の舞台で活躍。

2018日本選手権10000m

日本選手権は10000mで3位表彰台、5000mも7位入賞。
8月にジャカルタで開催されたアジア大会の日本代表に選出され、
10000mで7位入賞を果たした。

クイーンズ駅伝では5区で区間賞(区間新)を獲得し、チームの優勝を決定づける快走。

実業団女子長距離記録会(2018.12.8山口)

2019年も勢いは止まらない。

選抜女子駅伝北九州大会(2019.1.20)
盟友の鷲見梓沙と

都道府県駅伝は9区で4位。
全日本実業団ハーフは10kmの部で2位(日本人1位)

全日本実業団ハーフマラソン10kmの部(2019.2.10山口)

クロカン日本選手権は4位

クロカン日本選手権(2019.2.23)

カタールで開催されたアジア選手権は10000mで6位入賞

クイーンズ駅伝は3区で区間賞を獲得し、これで3年連続の区間賞。

12月の山口の記録会では10000mで31'38"63の自己ベストを叩き出し、一躍東京オリンピックの代表候補にも名乗りを上げた。

実業団女子長距離記録会(2019.12.7山口)

2017~2019の3年間は、間違いなく堀優花のゴールデンエイジだった。

年女の憂鬱

彼女が24歳の年女となった2020年。
本当なら東京オリンピックが開催され、彼女が日の丸を背負って新国立競技場で輝いていたかもしれないこの年…。

前年末に10000mで自己ベストを更新して上昇一途かと思われた彼女に、ちょっとした異変が訪れる。
年初の都道府県駅伝は9区で区間16位。珍しく区間2ケタ順位に沈んだ。

選抜女子駅伝北九州大会(2020.1.19)

続いて出場した選抜女子駅伝北九州大会でもやや精彩を欠いた。

そして迎えた全日本実業団ハーフマラソン大会。
このレースは私も観戦に出掛けていたのだが、ゴール地点に彼女が現れることはなかった。

途中棄権。

「レース前から臀部に違和感があって、走り始めても違和感が拭えないようなら折り返し地点で止めようというのはレース前から決めていたので、ある意味予定どおりです。問題ありません。」
とはレース後に会って話したときの彼女の弁。

だが結局、この「違和感」がすべての始まりだった。

この年の夏のホクレンDCシリーズまでは騙し騙しレースに出場していた彼女だが、それ以降はパタリと表舞台から姿を消した。

不滅の八重歯

2021年。新型コロナウイルスの蔓延のため延期されていた東京オリンピックが開催されたが、もちろんそこに彼女の姿はなかった。
というより、かつて彼女がオリンピックに手の届く存在であったことさえも忘れ去られたかのように、世界が、時代が変わった。そう私は感じた。

黄金時代が続くかと思われたパナソニックも急激に勢いを失い、どうにもこうにも駅伝を走れるメンバーが足りなくなり仕方なく彼女はクイーンズ駅伝で4区を走ることとなる。

区間28位。

この年の出場チームが28チーム。
そういうことだ。
わずか2年前まで3年連続で区間賞を獲得していた選手でも、こんなことになることもある。
彼女が生きてきたのは、こういう世界なのだ。

翌2022年。パナソニックは久しぶりにプリンセス駅伝を経由しなければならなくなったわけだが、駅伝メンバーにやはり彼女の名前は連ねられてなかった。
私は約1年8か月ぶりくらいに彼女と再会し、話した。

「まったく練習もできていないし、復帰の目途も立ってません。でも…辞めませんよ。」
実業団1年目の伏し目がちの少女とは違い、彼女が前を向いていたのは救いだった。

2023年。1月の選抜女子駅伝でチームに帯同して来た彼女と再会。
「このまま終わるのは嫌なんで…。もうちょっと、あがいてみます。いつになるかはわからないけど、絶対どこかでもう一度走ります。」
もう次走が引退レースになるというのを前提とした会話をするのは辛かったが、最後まで誇りとプライドを持って自分を奮い立たせる彼女の姿勢が美しかった。

「堀さんがどんな状態になっても、どんな姿になっても、私はいちばんの堀優花ファンだから…。」
私が最後に絞り出したこの言葉が、彼女と直接話した最後の言葉となった。

「はい。ありがとうございます!」
二コリと笑って彼女は去った。トレードマークの八重歯を残して。

私は彼女の笑顔を、八重歯を一生忘れない。
そう。不滅の八重歯だ。

2024年2月18日

ついにその日はやってきた。
青梅マラソン10kmの部を走り切り、彼女は現役生活を終えた。
37分55秒。

無事に完走してくれただけで嬉しい。
素直にそう思えることが、いいことなのかどうかはわからない。
しかしここまでの彼女の葛藤その他の思いを考えると、もうこれでいろんなことから解放されることを喜んであげたい。

何回でも言いたいありがとう

そして言いたいことは、ただただありがとう。

伏し目がちな少女がクイーンズ駅伝で3年連続区間賞まで上り詰める過程をワクワクしながら見守らせてもらえたのは、きっともう二度とできない経験だ。
毎回楽しそうに駆け抜ける彼女を見るのも本当に楽しかった。
頑張って結果を出しても虐げられてきた過去があるので、今は自分の走りでみんながハッピーになってくれてるというのを実感できる以上はどんなにキツくても楽しそうに走るよう心掛けていたのかもしれない。
そういう辛い過去も経験しているからこそ彼女はみんなにやさしくなれたし、謙虚であり続けることができた。
だからこそよそのチームの先輩たちからもかわいがられたし、後輩たちからも漏れなく慕われたのだろう。

そして彼女のゴールデンエイジである2017~2019の3年間の間だけでも、私の守備範囲(福岡県近郊)のレースにたくさん出場してくれた。
そんな彼女の最盛期に日本選手権が山口、福岡で開催されて直接彼女を応援できたのも、何かのめぐり合わせかもしれない。
会うたびにニコニコ笑ってたくさん話してくれて、本当に嬉しく楽しかった。
彼女と触れ合えた時間は私の一生の宝物だ。

現役最後の約4年間は本当に辛いことの方が多かっただろうけど、これまでも苦境や逆境を跳ね返してきた彼女だからきっと今後の人生にこの経験を役立ててくれるはず。

なんならまたランナーとして復活する可能性もゼロではないだろうから、嬉しいサプライズも少しだけ期待しておこう。

どこでどんな生活をしていようとも、どんな姿になっていようとも、私はホリユウカのいちばんのファンであり続ける。

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