見出し画像

私が特に女子長距離を応援する理由⑦

2016.2.27(土)

この日私が向かったのは、福岡は海の中道海浜公園。
「第99回日本陸上競技選手権大会クロスカントリー競争」の観戦だ。
いわゆる「福岡クロカン」が、この年からグレードアップ(?)。
ジュニアの部とシニアの部それぞれのクロカン日本一を決める大会と位置付けられ、シニアの部の優勝者にはトラックの日本選手権への優先出走権が与えられるようになったのもこの年からだ。
それに伴い、前年は6kmだったシニア女子のレース距離が8kmへと伸びた。
とはいえ、私にとってはまだ2度目の福岡クロカン。
しかも前年は、まだ陸上に関してズブの素人の状態での観戦だった。
よってここも特に大会が大きく様変わりしたような印象もなく、シンプルに目の前のレースを楽しんだ。

シニア女子8kmスタート

前年と比べ、私にとっては距離がどうなった云々よりSNS上で絡みのある選手がかなり増えていた。
必然的に漠然とレースを眺めていても識別できる選手の数が圧倒的に増えたわけで、よりレースを身近に感じることができた。
(まぁ、クロカンは物理的にもかなり身近に選手を感じられるわけだが。)
そんな感じで迎えたシニア女子8kmだが、大蔵玲乃さん(ホクレン)がすごく頑張っていたという印象が強い。
確実に優勝を狙う有力どころがけん制し合ってレースを進めたという事情もあっただろうが、序盤から大蔵さんが積極的にレースを引っ張りとてもカッコよかった。
そして学生勢がすごく健闘したレースでもあり、入賞8人のうち過半数にあたる5人が大学生だった。
農大・清水さん、名城・湯澤さん、立命・関さんらは、当時それぞれのチームでもバリバリのエースというわけでもなくどちらかというと縁の下の力持ちのような存在だったと思う。
そんな選手らが堂々としたレース運びで入賞を勝ち取ったのは素晴らしかったし、それを素晴らしいと思えるほどに陸上(女子長距離)に造詣が深くなった自分も誇らしかった笑

それはゲリラ豪雨から始まった…

そんな様々な思いを抱えながら表彰式を見届け、さてシニア男子も楽しみだなぁと思い始めたそのとき。
なんと会場は、突然のゲリラ豪雨に見舞われた。
これは本当に数メートル先までしか視界も確保されないような大雨で、とてもではないが観戦どころでもないほどだ。
本当なら表彰式を終えた大蔵さんあたりに話しかけたりもしたかったところだが、ひとまず雨脚が落ち着くまでは車に避難するしかない。
このドスケベ中年の私が女子選手に話しかけるのを断念しようと思うくらいだから、どれほどの大雨だったかも想像していただけるだろう笑
そして仕方なく駐車場へと向けて私が歩を進めてしばらくしたとき、私はダウンのジョグをしているある女子選手とすれ違ったのである。

その名は森田詩織

その選手とは、森田詩織さん(パナソニック)。
ご存じ、森田twinsの妹の方。
たいてい双子で同じレースを走っていたのだが、この日は珍しく詩織さん単独での出場だった。
ちなみにこの日の詩織さんはというと、ずっと8位入賞のラインでレースを進めていたものの最後の最後に高校時からのライバルである出水田眞紀さん(立教大)に突き放され9位で惜しくも入賞を逃していた。
この頃の私と詩織さんとの距離感はというと、twitter上で多少の絡みはあったものの面識があると言えるほどのものでもなかったように思う。
前年のプリンセス駅伝の際に直接お会いして会話したこともあるにはあったが、私が2分の1の確率に賭けて「香織さん!」と呼びかけたら「いや、詩織ですけど…」と返されるとんでもないやらかしまでしていたので、いい印象を持たれていたとは思えない。
それでもすれ違いざま、ついつい私は「あ、詩織さん!」と呼びかけていた。
正直、せっかく会場まで来たのに誰とも話さずに帰るのは惜しいというスケベ根性から声をかけてしまったという事実は否めない。
また、この日は詩織さん単独で来ているので香織さんと間違えるリスクがゼロだったので自信を持って声を掛けられるという安心感もどこかにあったのだろう。
とはいえ、前述のとおりとんでもないゲリラ豪雨の中だ。
普通ならそのままスルーされても仕方ない。
ましてやもともと親しい間柄でもないだけに、私も特に期待はしていなかった。
しかし・・・

「あ!キャプテンさん!」

意外だった。
まさか私のことを認識してくださってるとは思ってなかった。
「来てくださってたんですね!ありがとうございます!」
そう言って彼女は深々と頭を下げた。
何度も言うが、とんでもないゲリラ豪雨の中だ。
軽い会釈だけでも十分すぎるシチュエーションではある。
しかもダウンのジョグの途中だというのに、わざわざ立ち止まらせてしまった。
「お疲れさまでした。また頑張ってください。応援してます。」
とにかく早く切り上げないとさすがにマズいと思い、私も必要最低限のご挨拶にとどめた。
いやー、こんなドシャ降りの中、悪いことしたなー。
私は後悔の念も抱きながらしばらく歩を進め、なんとなく振り返ってみた。

なんと、彼女はまだこちらに向かって深々と頭を下げていた。

しつこく繰り返すが、とんでもないゲリラ豪雨の中でのことだ。


写真左が森田香織、右が森田詩織

詩織のテーマ

この日のこの瞬間から、私が森田詩織さんの大大大ファンになったのは言うまでもない。

それから7年。

2023年1月の選抜女子駅伝北九州大会をもって、彼女は現役から退いた。
ラストランの地に私の住む北九州市を選んでくださったのも、ただの偶然だろうが私は勝手に縁の強さを感じている。

彼女がどんな選手だったか、仮に漢字二文字で表せと言われたとしよう。
真っ先に思い浮かぶのは「謙虚」あるいは「献身」といった言葉だろう。

横浜に生まれ育ち、保土ヶ谷中の頃から双子の姉・香織とともに輝かしい成績を残し続けた。
荏田高校での実績は特筆すべきで、都道府県対抗全国女子駅伝においては大会記録を残したメンバーとして今も歴史に名を残している。
それだけのビッグネームでありながらも、彼女は常に謙虚であり続けた。
どんなときでも周囲への気配りや感謝を忘れず、自分のことよりチームや仲間のことを優先してきた。
パナソニックのような大きなチームでも長年にわたりキャプテンを任されたのも、必然な流れであったと言っていいだろう。
しかしこと競技成績に関しては、彼女はそれこそゲリラ豪雨にうたれっぱなしのような状態(相次ぐ故障)も続いた。
そういう自分がチームに先頭に立って引っ張っていくことへの葛藤を抱えたこともあるだろうし、どうしてもわかりやすい比較対象となってしまう姉・香織がいちばん近くにいることで苦しんだこともまったくないと言えば嘘になるだろう。
それでも謙虚に自分と向き合い、逃げずに戦い続けてきた。
故障で走るどころか日常生活もままならないようなときでも、自分がチームのためにできることを模索し身を捧げてきた。
そんな彼女だから、みんなから信頼され慕われてきたのだろう。

これからは「森田姉妹の妹の方」ではなく、森田詩織としての人生が待っている。
きっとこれからも謙虚に、誰からも愛される女性して活躍されていくことだろう。
彼女の幸せを心から願います。


ー 了 ー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?