入社5年目の日に。
3/1で、現在の勤め先、「認定NPO法人フローレンス」に入社して5年目になる。
あっという間だったような、もっと長くからいるような。
今までも振り返るタイミングはたくさんあったが、このタイミングで改めて言葉に残しておいておきたいと思い、筆をとった。
膨らみ続けた違和感
フローレンスに入社する前、私は1600人規模の会社で採用の仕事をしていた。北海道から沖縄まで、各地で必要な100人規模の新卒採用をほぼ一人で取り回しており、週3~4日は出張。常にプロジェクターとPCの入ったスーツケースを片手に、北海道から日帰り、次の日には名古屋で仕事してそのまま大阪へ・・などという生活が日常茶飯事だった。
移動は苦にならなかったし、各地のメンバーと各地の学生さんや学校と交流するのも楽しかったので、仕事はとても楽しんでやっていた。
上の人たちも若者の意見に耳を傾けてくれる方々で、「自分の仕事を進める」という点での不満は、全くと言っていいほどなかった。
しかし、一つ、心をもやつかせているものがあった。
それは、女性スタッフの位置づけである。
販売系の会社だったので、現場に女性の数は多かった。
一方、法人営業や本社の戦略的な会議、となると途端に男性一色となり、女性の管理職は0だった。
また、私が入社した頃は「新卒女性総合職」の採用は0で、選考の中で、「女性は男性の1.5倍位優秀でないとなあ」と明らかに優秀な女性が、女性だというだけでばっさりと落とされるのを、目の前で見てきた。(その後説得を重ね、2年後の採用では初の新卒女性総合職の採用に繋がったのだが)
明らかに結果を出している女性スタッフが、明らかに結果を出していない男性総合職よりも給与が低いのも、普通だった。
社内で奮闘しながら、これは自分の会社だけで起こっていることではないことに、気が付いていた。
そして、沢山の女性とキャリアに関する本を読み漁る中で、「これは個人の問題でなく、社会の構造の問題だ」と気が付くのに、多くの時間はかからなかった。
フローレンスと出会う
その中で出会った一冊の本が、フローレンス代表の駒崎さんの書いた「社会を変えるを仕事にする」だった。その内容があまりに衝撃的で、その後「働き方革命ーあなたが今日から日本を変える方法ー」を読み、SNSをフォローし、HPを読み漁った。
きちんとビジネスとして成り立たせ、持続可能な仕組みにすること。
まずは自分たちでモデルを作り、法や仕組みを変え、他の人たちができるようにすることで社会を変えていくこと。
これだよ、私のやりたいことは。
社会の仕組みを変えることをしていきたいんだ!
しかし、同時期、私は当時のパートナーの転勤に付帯せざるを得ない状況にあり、「自分のキャリアを失わないためにできること」に精一杯で、とても新たな一歩を踏み出せる状況ではなかった。
社内で女性が活躍することが難しいことに加え、倍近く稼いでいるパートナーの仕事と、私の仕事は天秤にかけられることは難しく(今思うと色々やりようあったなと思うけど)、「許された範囲」の中でキャリアを守ることに、とにかく必死だった。
結果、フローレンスのやっていることを3~4年近くただ羨望のまなざしで見ながら、その当時できる仕事に打ち込む(転勤付帯先の大阪から勤め先の名古屋支社へ新幹線通勤したりもしてた)ことで、なんとか「転勤付帯に伴いキャリアを失うこと」を免れたのだった。
※ここでキャリアにしがみついたことが今につながっているので、後悔はしてないです!
「45歳で女性初の管理職だね!」で決意が固まる
無事東京へ戻れたものの、違和感が膨らみ扱いきれない位の大きさになったころだった。
当時、パートナーの転勤先で仕事ができるよう交渉してくれたり(新幹線通勤認められたのもこの方のおかげ)、その後本社に戻し昇格までしてくれ、キャリアをつなぐ道を必死に模索してくれた上司が、別の人に変わった。
そして、変わった後の評価面談で、こんな話になったのだ。
「きゃおさんだったら、女性初の課長になれるね!今から目指すとなるとー・・携帯の代理店営業を5年くらい経験して、もう一つ別のを5年くらいやって、管理本部に戻って、、45歳くらいかな!」
悪気が一切ないのは知っているし、上司の方なりに認めていることを伝えようとしてくれたのも知っている。
ただ、私の頭に浮かんだ言葉はこれだった。
”どうしよう。やりたいと、思えない。”
決意が固まったのはこの瞬間だったと思う。
社内で、できるだけのことは頑張った。
実績を出した分、会社は個人の業績を認めてくれた。
転勤付帯は個人の問題なのに、転勤先で仕事を続ける方法だって作ってくれた。
新卒女性総合職が、0だったのを1にできた。
仕事は楽しいし、一緒に働いている人たちも大好きだ。感謝してる。
でも、ここでどんなにがんばっても、「社会の仕組み」はかわらないのだ。
何より、私は、私だけがそうなれればいいとは思えない。
能力や願いをもっている人が、本当はあたりまえにできるはずのことが、あたりまえにできてほしい。
女性というだけで、出産や育児が絡むというだけで、チャンスが失われるようなことは、絶対に嫌だ。
この先に見える45歳の私は、笑っていなかった。
ならば、笑える方に行こう。
運よく、フローレンスに入社。そして、今
そして、こういうのを運命というのだろうか。
このタイミングで駒崎さんが「採用担当募集!」とツイートしているのを見かけた。
”運命だ!!!”
正直なところ、フローレンス以外なら転職する意味はないと思っていたし、4年分の想いがあるのでびくびくしながら門をたたいたが、結果、フローレンスは私を温かく迎えてくれた。
フローレンスは、入社前のイメージと変わらない、本当に素敵な組織だった。
よりよい社会のために、全力で向かう仲間たち。
仲間たちの行動で、少しずつ社会が変わっている手ごたえ。
普段の会議から、当然のようにビジョンやありたい姿が語られ、フラットに意見交換をできる組織風土。
1~2年目の時はとにかく会社が楽しくて楽しくて、ただただ幸福だった。
3年目を過ぎるころ、社会をどんどん変えていく仲間たちのあまりの素晴らしさに、自分の役立たなさがあまりに苦しくて、やめようかと思ったこともあった。
色んなことがあったけれど、それでも、私は今ここにいる。
そして、5年目の今日。想いは一つ。
フローレンスで働く仲間たちが、自分らしくここで働け、それぞれの才能が次々に開花し、”最高にハッピーだ!”と感じられるようにしたい。
手前みそながら、フローレンスで働くスタッフは、本当に、すごい。
「社会のため」「子どものため」「親子のため」をいつも考えている。
コロナの信じられないような変化の中で、抱えきれないような不安に駆られても、最後には「それが親子のためになるなら!」と前を向く、そんな人たちだ。
それ故に、「自分たちの幸せ」を後回しにしたり、「自分がどう思うか?」を置き去りにしがちだったりする。
だからこそ。
多くの選択肢がある中で、わざわざ「社会をよくする」ということを選ぶような人たちが、誰より幸せであってほしい。そんな組織で働く組織の人事として、働く全員が、安心して「社会のため」「子どものため」「親子のため」に邁進できるよう、やれることをやりたい。
みんなが世の幸せに貢献する分、私はスタッフの幸せに貢献したい。
それが結果、私たちの目指すビジョンにつながると、思うから。
と、だいぶ長くなってしまったが、これが5年目の今、思うことだ。
フローレンスは4月で17年目に突入し、さらに新しい事業がたくさん立ち上がろうとしている。
「社会問題の解決」は外から見えているよりもずっと泥臭く、しんどいことが多い。
これからも、決して平たんな道ではないと思う。
それでも、仲間と手をつないで、見たい未来に向かって、一緒に進んでいきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?