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アメリカ進出の話
2001年9月1日に合同会社CANYCOM SALES NORTH AMERICA, INC.がワシントン州ベーリングハム(Bellingham WA)にて誕生した。そこから20年も経過してしまった。
僕が初めて渡米したのが2004年9月13日なのですでに3年経過した会社に出向することになった。すでにこのCSNA(CANYCOM SALES NORTH AMERICA)は債務超過で本社の支払いも滞っており、現地の社長も給与もなく、無給状態に陥っていた。
立て直しなのか、観光なのか、勉強なのか全くわからない状態でシアトル・タコマ空港に降り立った。英語ももちろん話すことができない。スマホは当時はもちろんない。当時のソフトバンクの海外用の携帯1つのみで、何しに来たのかがわからない状態で米国での生活が始まった。
当然地理のことなどわかる由もなく、その前に就労ビザって何ですか?の世界だ。24歳だったとはいえ、全く準備をしていなかったのである。当時の主力機種がピンクレディーの2機種のみ。以前は包丸(KANEMARU)や草刈機も取り扱いがあった。しかしPL(Product Liability :製造部責任)が怖くて、英語もわからない、何かわからないけど「訴訟大国だ!!」と、噂に怯えて全く米国進出に対しての協力体制が全く援助が無かった状態で3年を迎えていた。
米国に降り立って、最初に現地の社長から
「もう限界です。お元気で。」
自分の米国ビジネスが始まる。それから17年どうなるのかを少しずつ記憶があるうちに記してみたいと思います。
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