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キャニコム、アメリカへ③

前社長を呼び戻す。

通常うまくいかない。一度辞めるといった会社にもう一度戻ってきて欲しいというのは日本でもうまくいかない。しかもアメリカという国柄難しいのではないかと予想をされた。もちろんそんなにうまくいくものでもなかった。復帰を条件に交渉をした。まず復職の条件として給料と待遇だった。米国の給与体系自体を知らない、現状、基準が全くわからない。そこから弁護士先生(日本語が話せるアメリカ人)とのやり取りが始まる。もちろん日本側の顧問弁護士もいるので様々な観点からアドバイスを受ける。

おそらく何かしらコネやネットワークがあればすぐに解決する問題であっても、何もネットワークの無い状態だったので頼るのは弁護士とアシスタントの方の情報しか頼るしかなかった。同情をしてもらいたく「世間話」をついしてしまう、これは日本語を話せるだけでアメリカという事を忘れてはならない。弁護士さんと電話で話すだけでも「費用」がかかる。1分単位で費用がかかるのだ。それを知らないと電話と相談フィーだけで10万を超える。請求書を見て愕然とする。話をしただけでここまで取られるのかとあっけにとられたのが本当に懐かしい。いい勉強代にもなったと思う。

話がそれましたが、アメリカでの給与支払いは通常は月に2回。日本の様に月に1回の何日締めの翌何日払いというのではなく、毎週支払いの会社もあるぐらいだ。これは決まりはなく、各社自由に決めることができる。アメリカの場合は個人間の契約なので人それぞれの支払い条件は異なる。

前社長の条件は月1万ドルに800ドルのCar Allowanceだけだった。簡単に言うと給与を毎月保証してくれればもう一度働いてもいいシンプルな条件だった。これは良く考えたら破格の条件だった。英語もできない、車もない、知識もない、顧客を知らない状態だったのだ。

基本的にOffice Admin が年間3万ドル、財務と言われるController  が13万ドル、社長クラスが20万ドルが相場なので12万ドル+車代で復職してもらえるのはありがたかった。

しかし本社側は一切許されなかった。

なぜ1000万円を超える年収を一度放棄した人間に払わなければならないのか?そこの一点張りで難航した。しかし最終的に副社長だった父が、「今の状態で投資の回収は全く期待できない。まずは米国売上を1億円にするまで辞めずにやれ、そして達成するまで帰ってくるな」という一声で前社長の復帰が許された。

前社長の復職と同時に一気に会社としてどうすべきか?

会社としての新たなBusiness Permit (営業許可)の申請、銀行口座の開設、ビザの取得、車の購入、倉庫契約、事務所契約などが順次舞い込んでくる。またHPの刷新など。
その中で同業界である一部上場の会社の先輩方が色々とアドバイスをしていただいた。それは本当に助かった。一切情報もないままだったのだ。

まずBy-Laws(会社の規定)やEmployee books(従業員総則)が必要。実態があるかないかわからない会社が少しずつ会社として芽吹き始める。そのまま2005年まで突っ切ってしまうのでした。しかしまだまだ社員は復職した前社長と自分だけの会社。売上も12万ドルも満たないため、前社長の給料も経費も届かないアメリカ進出を宣言して5年目が終了する。

アメリカ進出6年目はとうとうビザの取得と事務所の移転、初の現地雇用。全てにおいての転機が訪れるのです。でもまだまだ低迷の時期である2006年に突入します。

まだまだ続きます。

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