見出し画像

キャニコム、アメリカへ②

突然アメリカで働く人が誰もいなくなった。

当時アメリカを立ち上げたのが副社長の父(現会長)だった。国内での需要がこれから縮小するのを予見し、様々な方面で製品を販売をしたい。農業機械業界は農機販売店でしか販売することができなかった時代だ。現在はECであったり、ホームセンターであったり、販売についてはまだまだ限定的ですが、農業機械の購入のハードルは当時は様々な制約があった。

また海外であれば「キャニコム」のブランドで販売できるのではないか?自分の名前で、自分の会社のブランドで勝負をしたいという気持ちが海外進出の決め手だという。

当時は海外で会社を設立する、経営するということに対して全くノウハウがない。むしろ、日本流の経営をすれば成功するという妄信的なものあったのではないかと当時を振り返る。現実は想像以上の出費。製造物責任法(Product Liability )。訴訟大国と踊らされ続け噂や聞いた話。アメリカでの雇用についてなど、全くの知識がなかった。経営というものを全く知らずに飛び込んだアメリカでまずやったこと。

前社長を呼び戻す。

それしかない。全くのノウハウもない。お金もない。車もない。あるのは一部の在庫しかない。そもそも在庫している倉庫はどうやって契約をしているのか?それすらもわからない。英語も勿論話すことができない。本当に何もない自分にお願いするのは、元株主企業、前社長に頭を下げて、もう一度一緒に仕事をしてくださいとお願いすることだ。ここで笑うのは「Sorry」という言葉を使うなという余計なアドバイスをする人達がいる。別に謝ってもう一度やってくれるのであれば何度も「I'm sorry」なんて使いまくる。別に同じ人間なので謝るのが当たり前の世界だ。間違っていれば直せばいいだけなのです。バカな話を信じすぎていた自分にも振り返れば笑ってしまう。

そういうことで前社長を呼び戻す交渉が始まる。

弁護士を通じてお願いをしなければならない。弁護士は日本語を話せる人が必要なので、ひたすら伝手を探す。当時のシアトルの商工会にお世話になった。本当に何も知らない若者に快く色々と教えてくれた。そこで重要な案件に気づく、、、

「就労ビザは持っているの?現地の運転免許は取ったの?」

?????なんの話でしょうか?そこからまた米国での混迷が深まる瞬間でした。国際免許は持っていましたが、それ必要なのか?無知は本当に何も役に立たない。知らないのが強い、そんなわけがない。知らないのは罪だ。そういうことです。

Canycom Sales North America から筑水キャニコムの独資に代わる、Canycom USA, INC.に社名が変更になるのはこれからまだ半年ぐらいかかる話です。前の社長が出した条件とは???

続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?