現実は醒める事のない「淫夢」
ふつうに日記です。
とにかく外に出ることにした。
場所や時間はどうでもいい、今にも暴れだしたい衝動が俺を駆り立てる。
早朝、真っ黒なアウターを羽織り外へ出かける。
天気は曇り、雲と雲の隙間から時おり月の光が差し込む。
早朝は良い。人から最も離れている。まるで街が自分の部屋みたいで、とにかく自由だ。
信号を無視しても、車道のど真ん中を歩いても誰も気に留めない。誰も居ないから当然だ。俺は王だ、フン。
桜の木が建物と建物の隙間から見えたので、吸い寄せられるように向かう。Z世代の俺は桜の1年の大半を無駄にして、春の数日間だけ姿を現しては、少し経つと最初から何もありはしなかったかのように消えるというのが気に食わない。タイパが悪すぎる。技術が日々進歩するこの時代に君は1日何してるの?
桜の木との距離はおよそ10m、鑑賞するには充分な距離だ。俺はこれ以上近付くことを許さない。クローズアップは本質を消滅させ、無意味な記号へと劣化させる。自分でもよくわからない思案をしていると、雲の隙間から僅かながら青い月光が差し込んできて、ソメイヨシノを照らす。十分すぎるライトアップだった。絶妙な光が花弁の淡い白さを引き立て、影が輪郭を強調していて、美しい、いや一種の神々しさを感じるほどに完成されていた。
この光景をSNSでシェアするべくスマホを取り出すが、撮影したい欲を堪える。写真は永遠を損なわせる。形のない記憶に実体を与えるのは寿命を与えるのと同じだ。肉体に刻まれた記憶は忘却する事はあっても死ぬ事はない。仮にいつの日かその光景の1フレームさえも忘れてしまっても確かにそこにあった事は変わらない。だから俺は写真は取らねェ。最近の若い者は形に囚われるがばかりに真に記憶を永遠に保管し続ける手段を忘れてる。まったく。
そもそも一体何のために写真を取ってるんだ?何のためにスマホを持ってるんだ?なんの為にSNSを見てるんだ?と問われるとすぐには答えられない。俺は弱い人間だからだ。
結局理由があって意味があってやってると思ってるものは全て淫夢だ。
だがイキスギる事がなければそれで――――
24/02/29 一部表現を修正して再公開(本当は消したいけど…)
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