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本を読むことが流行っている

と、思う。と、いう話を昨日さとことした。昨日はさとこんちでご飯を食べさせてもらったりお風呂まで入らせてもらったりしたんやけど、さとこがお子を寝かしつかせている間に、寝かしつけられていない近藤もスヤスヤ寝てしまって正直かなり暇だったので持ち合わせていた小説を読んでたら戻ってきたさとこに「最近本流行ってるよね」と言われて、確かにマジで流行っているよなと思った。
元々本を読むことは好きだったはずなんだけど、最近になって本を読むと言う行為をまた思い出したので、本を読んでいる。というかここ数年読みたいなと思った本をとりあえず買う、買って読まないを繰り返してきたのでその本を今ひとつひとつ消費している。

読んでたのは『鳥がぼくらは祈り、』という本で著者が1998年生まれ。歳下。すごい。
句点読点の使い方がすごくて、とか、詩のような小説、とかそんな感じの口コミ感想を見て読んでみようと思って買っていたんだけど、確かに句点読点の使い方が独特で、それ故に詩のようでと言えることもわかった上で、だけど自分の感想はちょっと違ったなと思った。

高校生の4人の男子がそれぞれに家庭環境に思うところがあってそのモヤつきをどう発散したらいいかわからないっていうのがこの本の端的なまとめではあるんですけれども、書き口が本当にシーーームレス。私のこの小説の感想はシーーーーーームレスな小説ですねーーーーーー。って感じ。
確かに句読点が個性的ではあるんだけれども、なんかわからんが途中から自分が書いた文章なのか?というくらいかなり自分と似通ったタイミングで句読点が打たれていて、まあ年下の方が書いた文章というか物語ではあるけど、これは時代の小説なんじゃないの、という感想が第一だった。90年代生まれの書く時代の小説。
自分と似通ったタイミングでの句読点というのは、自分が頭の中で色々と考えたりしている時に息継ぎをしたいタイミングでの句読点という意味で、だから句読点が「多い」とかそういうことではなくって頭で考えていることをそのまま文章に起こした時に落としがちなタイミングでの句読点であって、別に変なタイミングではなくない?というようなことで、つまり個人的にはかなりよいタイミングでの休止符であり、それが自然なタイミングであり、物を考えたりそれをとりあえず文字に起こしたりするとこうなるよなと思うので登場人物の心情にスムーズにリンクできることであり、結果すごい小説だなぁという終着点に辿り着いたりするのでありました。

最初の方は今視点が誰なのかがハッキリわかるんだけど、途中から今これは誰が思ってて誰が発言してて視点がどこなのかわからなくなるような書き方をしていて、4人がある時点から自分の苦しさとか葛藤を4人で共有して融合していく様がそんな書き口で表現できるんだねぇという驚きと、そこに読みにくさが全くないのが本当にすごいねぇという感嘆があった。この人の他の小説がどんなもんかは今のところ全く知らんけど、とりあえず最初に言った通り時代の小説なんだと思った。面白かったです。

話はかなり変わりますが、なんか最近何も覚えてないけど写真を見ると思い出せる、だからみんなご飯の写真とか撮ってるのかも、という話もさとことした。それだけが理由じゃないけど何かしらビジュアルと結びついてないと何も思い出せないっていう現代病があると思う。だから小説を読んだりして思ったりしたことを忘れないようにとりあえず書いたりしようかなと思って最近書いたりしている。

また本を読んだりしたら感想を書いたり書かなかったりしようと思います。みなさん今週も月曜日をサバイブして偉いと思います。かしこ。

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