『まともがわからない』

友人から あんたにぴったりな曲見つけた と突然送られてきた坂本慎太郎さんの『まともがわからない』
歌詞の内容とかより、多分タイトルがわたしにぴったりだと思って送ってきたんだと思う。

わたしは本当に、まともがわからない。

思い返せば小学生の頃から「変わってるね」と言われてきた。大学3年生の今も言われるこの言葉。
「今までの人生出会ったことないタイプ」「独特だよね」そんな言葉を何度もかけられてきていて、その中にはプラスの意味もマイナスな意味もあったんだろうけど、わたしにはわからなかった。自分が人より「変わってる」要素が一つも見出せなかった。
絞り出してみることはできる。人より少し喜怒哀楽が激しいし、人より少し運動神経は悪いし、人より少し、いや、結構うるさい。でも多分そんな人たくさんいる。わたしの周りにもいる。
何度「変わってるね」って言われても自分の変わってるポイントがわからないし、人に聞いてもいまいちわからない。多分そういうとこが『まともがわからない』につながったんだと思う。

世の中には「変わってるね」って言われたい人がいる。わたしからみて「変わってるね」の欲しがりさんは大抵あんまり変わってなくて、わたし自身が変わってるなあって思う人はそんなこと言われたがらないからわたしは多分変わってる。わかんないけど。

そんなわたしに「人と違うことって怖くない?」って聞いてくれた人がいた。その時「自分は人と違うのか」って思ったんだけど、その疑問はとりあえずタンスにしまって考えてみた。

(人と違うと仮定して)わたしは人と違うことが怖くない。要因は2つあると思う。
ひとつめは、違うことを悪いと思っていないから。
違う違うって言われすぎて慣れた部分もあると思うけど、世界中どこを探したって全くおんなじ人なんていない。例えばキャリアの話でも、同じA会社に入社したとしても、そこに入ると決めたプロセスはきっとみんな違うし、それが違えばもうそれは一緒じゃない、ちがうじゃん。
わたしの「人と違う」のレベル感ってそのくらいの感覚だから、逆に「人と同じ」の方が怖い、人と同じことってだいっきらい、つまんないもん。
ふたつめは、「変わってるね」と言われるわたしを愛してくれる人がいるから。中高一貫校で過ごして、わたしの価値観の形成とかを近くで見守ってきてくれた人たちが、人と違う価値観や感受性をもって、それにもがき苦しんでいるわたしを抱きしめて「大丈夫だよ、どんなあなたでもだいすきだよ」って言ってくれた。わたしは人から愛される感覚を知ってるし、愛する喜びも知っている。愛ってすごく強いし支えになる、わたしは愛されてるぞー!って自信持って叫べる。わたしが何をしても何があっても絶対に否定しないで受け入れて愛してくれる人たちがいるから、わたしは強い。最後に愛は勝つんだよ。

最初の話に戻るけど、『まともがわからない』が送られてきた時、すごく腑に落ちた。あ、わたしわかんないわ!まとも!って思った。
でもわたしはまともがわからないなりに頑張って真っ直ぐ笑顔で生きてるし、ちょっとくらいわかんなくてもいいと思う。だからわたしはこれから出会う人で「まともがわからない」って苦しんでる人がいたら、大丈夫だよそのままのあなたをわたしは愛するよってぎゅーってしてあげたい、今までしてもらってきたみたいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?