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嵐がやってくる。(ジャ○ーズのでは無い)

暑い。暑いというか、蒸す。ものすごく蒸している。かなり蒸されている。

湿度92%くらいあるんじゃないかというくらい蒸している。
その証拠に、今わたしはジワッと汗をにじませながら
これを打ち込んでいる。
そして部屋の室温31度越え。

扇風機はまわっているが、そよ〜( ̄Q ̄)という程度で
気休めにしかならない。
それでもまあ、このコが働いてくれるだけありがたい。
ありがたいよ。ありが太陽。残念ながら太陽さま本日まったく出てこない。

部屋のエアコンが、もといエアコンのリモコンが、
エアコンのリモコンが、エアコンのリモコンが、調子悪く、
今夏はまだエアコンを入れていない。

リモコンのON/OFFが稼働せず、温度調節も9割方不能になっている。
この家が建ったのは20数年前のことであるが、
それからほとんど稼働されておらず、
なのでもちろん取り替えもされておらず、

いったいこの部屋はなんの部屋なのかまったく不明な上に
エネルギー廻りもよろしくなく、手のほどこしようも無い。
しかしそれでも、某事情により、
今はここで暮らすことに決めたのである。
決めたのは自分である。(もうすぐ出るけどね)

帰郷初の昨夏は、
いったんエアコン入れたままの入れっぱなしで夏を越した。
このままOFFにならず寒くなってきたらどうしようかと
ドキドキしていたが、神はわたしを見捨てなかった。

ちょうどいい頃合いで、ポチ♪と切れてくれたのである。
神様ありがとう。ありが太陽。
手を合わすも、残念ながら太陽さま本日まったく出てこない。

さて。今夏はどうだろう。
一度ONして、またしてもリモコンが効かないとなると、
今度こそ凍え死んでしまうのではないか。
なにしろ今夏は、「気温は高いものの比較的例年よりおだやかな暑さだ」
とかなんとか、訳の分からない気象情報を目にした記憶がある。

クーラーが無事に稼働してくれても、温度調節、ON/OFF機能、
もろもろ調整できずならば、
わたしは場合によりブランケットにくるまってnote.muを更新する夏
とやらをすごさねばならぬかもしれぬ。

新調すればよいものをしないのはアレの都合もあるが、コレの都合もあり
とにかく今はなんとかこれでしのいでゆくのだ。

しかし。未来のことは分からない。
そう。まさか、気分よく目覚めた朝っぱちから、
わたしの“触れたくないツボ”を押してくる文章と出会うなど
誰が想像できたか。

つい昨日は
スコーンといこうぜ。スコーンと。
などと陽気にやっていたのに、翌日になるとこんなだ。

だいたい、わたしの人生のおおかたは、
浮上してスキップするくらい調子が出てくると、
ボコンと落とされる事象に出くわす。

出くわす。…否、たぶん呼んでいるのであろう。(引き寄せの法則??)

 *

ある知人にお子さんがお産まれになった。
とてもとても喜ばしい、めでたいお話。
事情詳細はアレですが、ちょとだけ訳あり?な日々のあかつき今に至る
という感じだからなおのこと。

で。

婚歴無し。独身。子無し。定住地無し。金無し。定職無し。
生誕から半世紀もそう遠くないお年頃のわたしとしては、
このテの話題に非常に敏感で、

「あ〜、またひとつあきらめを受け入れる試練が…」
などと勝手に孤独感に打ちひしがれるのだが、
今回はそういう話ではなく。(違うんかい)

その知人の報告のごあいさつが、
それはそれは嘆き呼び覚ましつつ
同時に慰めと覚悟をもたらしてくれたのだ。

以下、旧約聖書コヘレトの言葉 4章9節-12節より紹介された文章。

『ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。更に、ふたりで寝れば暖かいが、ひとりでどうして暖まれようか。ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。』


この文章を読み始めた途端。
わたしは久しぶりにほろほろと、ほろほろと
涙が出て止まらんなったとです。

もうなんかもう、涙がつぎつぎ溢れて止まらんとです。
大きな悲しみ嘆きとともに、
わたしはひとりで生きてゆくのだな。ゆくのだよ。ゆくのだ。
と新たなに覚悟をした。というような朝だった。


そしてわたしは今日を生きる。
生きることになっている。そう自分で決めている。
決意を固くしているわけではないが、
なんとなく生きてみたほうが良いのだと思っているような気がする。
せっかくここまでナントカカントカ生き延びてきたのだから。

たとえ、倒れて起き上がる手助けが得られなくとも、
起き上がる。今日やることを、ちょとだけ、整理する。
そこから始めてみる。

万一、わたしが倒れて起きる手助けをしてくれる人が現れたならば
わたしは受け入れよう。すなおに、そのままに、受け入れる。
それでよい。

それにしても暑い。というか蒸す。
あ、そうだった。台風が接近中と聞いたんだった。
ならば今日はまず、
雨に降られぬうちに引きこもり用の買い出しにゆかねば。

そうそう。こんな風に、“現実”の暮らしのことも当然考える。

 *

外に出ると、これまた雨期のジャングルか
と思われるほど湿気がたっぷりだった。
といってもわたしはジャングルに入ったことは無いので、
そんなようなイメージだということ。

並木道の木という木が苔に浸食されている。
いつの間にこんなになった?!

*これはまだ優しい方。幹のほとんどが苔ってる木もあった


数日前とまったく別の風景だ。ぅわ、すご。すごい苔!
などと、こころのなかで小さく驚きつつの帰路。

雨降りまでには当たらず帰宅できたゆえ、
ほっと一息しよう…と思うもこれまた部屋ん中が蒸し風呂。

ジワっと汗が出る。
潤いたっぷり♪といえば聞こえは良さそうだが、
だいぶ運動も不足し体力も衰えてきた中年の身体には堪える。

ダメだ。作業に専念できぬ。まったく集中できない。
これはヤバイぞ。それより頭がクラクラする。

水分補給だ。エネルギーチャージだ。
そうだ、バナナだ。バナナは身体を冷やすと聞いたことがある。
なるほど暑い土地で育ち食すものはそうだろうな。うん。

バナナを食す。バナナ大好きです。
が、急に虚しいくなってきた。
わたしは何をやっているのだ。
暑い暑い。蒸す蒸す。とつぶやきながら、バナナを食す。

人生半世紀もあと数ステップという女が、蒸しまくる部屋で
Tシャツ短パンで、およそ人さまに見せられな姿でバナナを…
あぁ虚しい。虚しすぎる。

イヤしかしメゲてなるものかココまで来て、と愛Macを立ち上げる。
note.muを開く。今日初めてくらいに開く。
タイムラインをスルスルとスクロールしていると、
ふと目にとまった記事が。

お悩みらしい。シゴトについて。生活について。
人間関係、家族関係について。

ああ。みんなも悩んでいるんだね。
うん、みな似たような、けれど個々にして違う種の
やるせなさや不安を抱えながら生きているよ。

そうだよね。そうだよね。わかるよ、うん。
特にこの頃の情勢、明日はWAR!(わー!)って感じになるヤもしれない
紙一重の今時代、というのも重なったり重ならなかったり…。

はて。わたしはどうだろう。
先述したとおり、婚歴無し。独身。子無し。定住地無し。金無し。
定職無し。生誕から半…以下省略。

それなのに、「悩んで」はいないような気がする。
苦しいけれど、キツイけれど、力つきては休んでは起き上がり…
と何年も何年もやっているが、
「悩んで」いるのとは違う気がする。

どこまで阿呆なのかと自分で呆れるが、
ええ、もう過去にも何度も何度も自分に呆れてきましたが、
こういうときこそ!という座右の銘にわたしはいつも救われてきた。

 「危機的な状況のときほどユーモアを。」


わたしが勝手につくったお言葉ですけどね。(爆)

急にそれを思い出した。
おそらくこの思考転換は、
昨日の「スコーン簡単! スコーンとできる!」から派生した
アートワークの効用ではないかと思われる。

(まったく雑な画ですが、ご興味ある御奇特な方こちらをどうぞ♪)

スラバシイ!(←スバラシイ:素晴らしいの最上級by かのこ)
ユーモアの力はスラバシイ☆

よし。今日もひとつアートワークやってみよう。
なにかこの湿りきったムサくて息苦しい状況を越えられる力が、
アイディアが、ポン♪と出てくださるかもしれぬ。

どんなのが良いかな? なににしてみようっかな? かなっ?

ふと。視線を落とすと、たった今、食したバナナがあった。

バナナ→ 栄養満点→ エネルギーチャージ→ 悩みの解消(の一助になる?)

→ 願い祈りを込めて→ 願い?…あら? 今日って…もしかして

→ 七夕じゃないか!


ということで、やってみました。

エネルギーチャージワーク。2014七夕バージョン☆

汚くてスミマセン。画ヅラが汚くて本当にスミマセン。スミマセン。

m(_._)m  (-人-)  m(_._)m

本人いたってマジメに、真剣に
最初アホな自分に泣きながらやってましたけれども、
そのうちものすごく集中して、願いを込めて、愛を込めて
真剣にワークしました!

ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛してます。


アートは世界を救う(と思う)
@20140707

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