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かのこのにっき_2015_03-01

#かのこのにっき

@15-0303

ようやっと旧 仮部屋掃除を終えて空けてきた!
駅に向かう途中、お天気が良かったのもあり、やっぱり「○◇寺」へ寄って行くことにする。
門をくぐると……ぇええ?! 広い! 公園になってたの?!
びっくり。もそっと早く来れば良かった!!

中央の池に、本堂や周辺の木々や、橋や何やが映り込む景色。
ふと背後の丘陵に眼が行き、よく見るとベンチに座る人あり。じーっと固まってるような印象でますます目が留まる。一見、仕事中に寄り道風?の男性。
もしやと思ったらやっぱり。瞑想しておられた。わたしが寄り道しながら池の周囲の歩道をぐるり巡る間中もずっと。

瞑想、最近ぜんぜんやってない。……と思った瞬間に思い出した。夕べ、湯船ん中で久しぶりに“ふろ瞑想”やってた!
といっても正確には、眠くて眠くてウトウトしてただけですが^^;

 *

再々上京の出発を、この穏やかな地でスタート出来たことは、本当にラッキーだったと思う。たった3ヶ月のことなのに、なんだか感慨深くて駅に向かう足取りもゆっくりになる。

駅に着いて。今日は少しお腹を膨らませて帰ろうと、駅構内の某ファストフードに入る。
理由はもう一つあった。ここの有線BGMのセレクションがとっても良くて。その中でも、脳内リピートしちゃうくらい気に入った曲があり、なんとなく聴き納めしたくて(おそらく全国の某ファストフード店内で流れているのであろうが)。なんのこっちゃい。

入るや、そう時間が経たないうちに件の曲が流れてびっくりする。わたしが来ることを知ってたのか?!(なわけない)
音楽には疎いわたしでも、その時の状況と曲の記憶って強いなぁと、あらためて感じる。
なんというか、「耳からダイレクトに入る情報」としても、単にその時の「思い出」を蘇らせる媒体としても、やっぱり音楽や音は強いなぁと。

件の曲を耳にしているうちに、切なくなる。
わたしは、ここで再々スタートを切れたことをとてもラッキーに思っていたと同時に、とてつもなく毎日が孤独で。自分でもおかしいんじゃないか?てくらい孤独の中にいて。

苦しくなりすぎてどうしもならんと発狂しそうになると、徒歩圏内のあちらこちらのカフェやなんやに行き、あるコトないコト書き連ねたり、必要作業に勤しんでみたり、妄想を拡げたり、近所を散歩したり、一人遊びに徹して気分を落ち着かせていた。

時間がありすぎる。独り時間が多すぎる。

理屈では分かっていても、物理的にどうにもならない中、なんとかしのぐ方法を模索し続けた3ヶ月。たった3ヶ月。たった3ヶ月で何が変わるというんだろう。

夜な夜な、嗚咽に近い形相で泣きまくってた(ように思う)。泣いても何も変わらないのに。泣いても何も変わらないことを、とっくに知り尽くしているのに。

引越し後(まだ2日しか経ってないけど)、わたしは「家」で泣いていない。泣きたい感情が全くないわけではないらしいが……
そう、泣く“ヒマ”が無いのだ。何しろ知らない同居人が複数人もいて、気持ちが忙しい(笑)。

独りで居ないことのありがたさを感じる。そんな調子だから、リビングの壁を隔ててある“わたしの部屋”に時折ひびく、彼女たちの高らかな話し声すら、ありがたく思ってしまう。『独りで暮らしていない』ことのインパクトの方が、わたしにはありがたくて。

いやいや普通なら、うるせーよ若ぇの!とかなんとかイライラしそうなシチュエーションなのに、今のわたしは、それすら「安心」に変わる。

『もうこれ以上わたしを独りにしておいたらダメだよ!』

って、自分でよく言ってるけど、それは本当だったのだなぁと思う(他人には「想像できないこと」と、痛いほど知ってしまってるから、しょうがないのだ)。

そんなこといいながら、1ヶ月過ぎたあたりで、やっぱうるせーわ、あの子ら! とかなんとかホザク可能性もゼロではないが(汗)。
ともあれ今は今で十分ありがたや〜なのだ。

さぁ。ようやく再々スタート。序幕しなきゃ。


#かのこのにっき


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