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台風一過の夜に

長い時間……どのくらいの時間か分からないけれども、たぶん長い時間、眠りつづけていた。目を覚ますと、外はまだ暴風域のようでガタゴトと音をたてている。風が吹きさらす気配をぼんやり感じながら、また眠りについた。

何度目かの目覚めで、わたしは身体をゆっくり起こして時計をみる。
すっかり夕刻に入っており、嵐も過ぎていったようで、少し安堵しながらも身体は動かずまま。

そういえば、まだ何も口にしていなかった。胃が「食べ物がほしい」と訴えている。昨日から食事らしい食事をしていない。そう、わたしは低飛行になるほどものを口にしなくなる。そもそも「食べる」ということに興味もない。


ふとベランダにつづく掃き出し窓を開けようと、のっそりと起き上がる。
昨日から雨戸を閉めたままで外が明るいのか暗いのか確認もせず、ただ身体を横たえていたままだった。

窓を開くや、目に入ったのは星々。たしか先ほど夕刻までゴーォゴーォと風吹き荒らしていたはずなのに、別世界の扉を開いたように、そこにはキラキラとした夜空が。

天頂もあかるい。これは月の光か。見上げると、月が煌々と。そのすべてがわたしの眼に入ってきた。

この空は、西の人にも東の人にも、南にも北にも、つながっている。

そんな言葉がふいに頭のなかを歩いてきて。急に、かの人を思い起こし、思わず涙をこぼしそうになった。


わたしは、相変わらず、ひとりで。
誰がどう解釈しようとも、ひとりで。
何も持っておらず。
そして、誰かの期待のために生きているわけではない。
わたしは、わたしを生きるために生きている。

わたしが、わたし自身を生きるために生きていることが、誰かの刺激になり、感動になり、鏡になり、反面教師的な姿になるというのなら、それはとてもありがたいことで、喜びだ。

ただ、それを前提で生きているわけではない。

そう思ってしまうところが、おそらくわたしをより一層「孤独」へ導いているのでしょう。それでも、わたしはわたしでありたくて。

幼くて弱かったあの頃からずっと。「わたし」が失っていたものを取り戻すかのように、わたしは、わたしでありたくて。

キラキラと輝く星々たちは、煌々と輝く月は、そんな頑なわたしにも、黙って光をあててくれる。

それがまた、ありがたく思う一方で、わたしの過剰な“やさしさ”が自分自身を苦しめる。


たくさんの“甘いもの”を分けてほしくて。
わたしのために、世界のすべてが動いてほしくて。
わたしが楽に生きられるように、周りに助けられたくて。

そしてわたしは、ただ、ここにいる。
動くのはわたしではなく。

わたしは、ただここにいて、全てのものから恩恵を受け、やりたいことをやりたいだけやってのけ。
周囲からは余りあるほどの賞賛と“甘い”気分を投げかけられ。
あかつきにわたしは、しっとりと潤い、脳裏に浮かべた“妄想”をつぎつぎと現実化してゆく。


次の瞬間、夜空にむかって尋ねた。
そんなことはあるまいなあ、と。

きらめく星たちと煌々と輝く月は、わたしに答えた。

おやすみなさい。なにもしなくてよい。
なにもしなくても、ただ世界はまわっている。
あなたがここに、いようといまいと、世界はまわっている。
心配ご無用です。

では、また明日。 生きていたらね。



冬の風物詩「オリオン座」が既にくっきりと秋の南の空にいらしてた。左下にはシリウスも。お月さまは、コンパクトデジカメで撮った拙いものを加工したらこんな妙な画像に。

おはよう。おやすみなさい。



過去「批評」をいただく企画があり、お二人の方から批評を頂きました。そのあと修正を試みようかと思いましたが、せっかくなので、原文まま残しております。


※過去に購入くださった方がいらっしゃるので、念のため高額設定にして残しております。本文は全文読めます☆



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