卒業 四反八郎(よんがえしはちろう)の場合

卒業生 答辞

卒業生代表 四反八郎

 僕たち私たちは本日、この弁田倉高校を卒業します。わたくし四反八郎は、卒業生代表としての言葉を述べるという機会をいただきました。つきましては、わたくしが3年間の高校生活で学んだ、もっとも重要なことを挙げ、説明していきたいと思います。そのことによって、この学び舎への感謝と、それから下級生たちへのアドヴァイスのようなものを表現できればと思います。
 私が高校生活の中で学んだこと、これを一言で表しますと、協調性です。協調性とは、まわりに合わせる力です。これに気づいたのは一年のとき、情報の授業でのことでした。
 そのとき行われていたのは、プレゼンテーションソフトについての実技演習でした。自分が興味のある事柄についてインターネットで調べ、プレゼン資料にまとめ、出来上がったものを皆と見せあうというものでした。
 当時わたくしは協調性に著しく欠けており、周りの皆がワイワイと途中経過を見せ合いながら、そのプレゼン資料をどのように仕上げるか、そのノリというか、どこまで本気で取り組むか、といいますか、どこまで自分の世界をその資料の中に落とし込むのか、あるいは自分の世界なんぞ放っておいてあくまでもコミュニケーションツールに過ぎないものとして割り切るのか、そういう擦り合わせが行われていることに、まったく気づかなかったのです。わたしはある音楽グループについての記事をブラウザで開き、その内容をほとんど丸コピーしてスライドに貼り付けてから、ちょっとずつちょっとずつ自分なりに要約して見やすくしたり、自分の視点からみた表現に書き直すなどして、その音楽グループの始まりから終わりまでをプレゼン資料としてまとめました。
 その間、私の視覚は目の前の画面だけをとらえ、聴覚はほとんど機能していませんでした。しかし、作業を一段落させたところで、半径数メートルの環境を私は知覚しました。そして私は、恐ろしいことに気づいたのです。私の作っていた資料と、周りの皆が作っていたそれは、まったく違うノリのものだったのです。
 資料をつくるからには客観的な情報を集め、筋道を立てて並べる必要がある。わたしはそう考えていました。しかし周りの皆が作っていたのは、わたしはこのような事柄に興味があります、なぜなら、たとえば……と、主観に基づいてその事柄を紹介する、つまり自己紹介だったのですね。
 いま、わたしは思います。科目がなんであれ、学級という単位で集団生活が行われている限り、その授業の根幹にあるのは例外なくコミュニケーションです。多くの同級生は、そのことを言葉にせずとも無意識のうちに理解し、実行していたのです。そしてそれは高校生活に限らず、中学校、小学校と遡ってみても、いつだってそうだったのです。しかし私は、授業中は板書を書き写すのに必死、休み時間は図書室で火の鳥とブラックジャックを読む、そんな子供でしたから、周りで何が起きているか知覚する暇などなかったのです。
 高校に入り、わたしはそんな子供ではいられなくなりました。学校教育というものにはおかしなところがあって、小学校と中学校、中学校と高校、どちらもほんの一ヶ月ほどしか開いていないにも関わらず、あたかもそれが大きな断絶であったかのように、先生も生徒も振る舞うのです。
 子供でいられなくなり、しかしそのことに気づかない私は、自分のペースで自分の作りたいものを作りました。しかし、いざそれを周りと共有する段になって、私は猛烈な羞恥心に襲われたのです。こんなものは皆に見せられない。引かれる。いやだ。怖い。
 私は時間をかけて作ったプレゼン資料を共有するかわりに、たった一枚のスライドで構成されたファイルを作りました。なんだか皆さんと違うものを作ってしまったので見せられません、と言った旨の一文を書き、インターネットから落としてきたマッカーサーの画像を添えました。そのファイルは私が意図した通りの効果を上げました。その効果とは、困惑の混じった笑いを発生させること、でした。
 何か異常なものを用意してそれを皆に見てもらう、という一方通行形のコミュニケーション。これを私は、高校生活の中の節目節目で行ってきました。そして今日、この卒業生答辞こそが、その集大成的な行いであると考えました。このような歪な文章を書き上げ、それを卒業生、在校生諸君の前で読み上げる。私の高校生活は大きな円環を描き、ここで完成するのです。皆さんはそれを見ている。成すすべもなく見ている。私のコミュニケーションは最後まで一方通行なのでした。
 ご静聴、ありがとうございました。

卒業生代表 四反八郎

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