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教場・オブ・マッドネス(1)

 銃が必要だったのです。
 私は学生時代から、サバゲーに熱中していました。サバゲーには森林を走り抜けるスリルがあり、時には激しい銃撃戦があります。加えて、人員配置などの作戦を練ったり、武器や防具を集め、それらに改造を施すという、試合に付随する作業がまた魅力的でした。休日に限らず、私の頭の中はサバゲーでいっぱいでした。
 教場で日々を過ごすことになってからも、折を見て休みをとっては、使えるだけの時間を全て、サバゲーに捧げました。
 初めて訪れる場所では、たとえ許可の下りる可能性がなくとも、サバゲーを想定して探検を行うのが常でした。もちろん、教場に足を踏み入れた時も、私は一人、建物の隅々に至るまで探検を行いました。
 中でも魅力的だったのは中央階段です。中央階段の壁には大きな窓があり、この建物が、森林に囲まれていることを強く意識させました。私は森林が好きです。私はこの、複数の施設を奇妙に継ぎ合わせたような建物に、びったりと貼り付くように茂る森林、その全てを使ってサバゲーができたらどんなに良いだろうと考えました。
 本当に奇妙な建物だったのです。私の頭の中には今でも、教場の地図があります。初めて訪れた、その日に作成した地図です。今では、私の頭の中だけにあります。忘れることはありませんから、現物はあってもなくても同じです。
 あるとき、私は休暇を申請して承認を受け、サバゲーを大いに楽しみ、足取り軽く教場に帰ってきました。荷物、といっても着替えと書籍数点ですが、それらを自室に持ち込むため、小走りで建物の端から端へ通り抜けました。荷物を然るべき場所に片付け、ベッドに腰掛けて一息ついたとき、何かがおかしいと思いました。というか、私の部屋は、おかしいことだらけでした。
 教場での生活が始まってすぐ、誰か嗅ぎまわっているやつがいる、という噂が立ちました。誰かが教官に言いつけている。何かいつもと違う行動をすれば、教官に把握される。洗剤と入浴剤を用いて殺人を図った者がありましたが、教官はその洗剤の中身を水とすり替えた上で、犯行現場を押さえたのでした。この一件があって以来、私は部屋のあちこちに細工を施しました。全ての家具を部屋の中央に寄せ、敷き布団の裏表をあえて互い違いにし、机の引き出しは少しずつ開けておきました。それらが、私の不在の間に検められていたのです。
 私の意図に反してびったりと閉められた机の引き出しを、すべて開けていきました。一つだけ、無くなっているものがありました。地図です。私が教場の隅々まで探検して作った地図です。それが無くなっていました。見つかったからといって罰せられるようなものとは思えません。実際、教官は地図については、最後まで何も言いませんでした。先ほども言いましたとおり、地図は私の頭の中にもありますから、特に困ることもありません。ですから、私はそのことを誰にも言わず、波風を立てないように過ごしました。
 波風を立てないように過ごしながらも、私は気が気ではありませんでした。というのは私の地図が何者かに奪われてから、建物が少しずつ流動し始めたのです。
 当番の日、私は教官を呼びに教官室へ向かいました。それで、迷ってしまったのです。教官を呼びに行くのが遅れて、授業の開始が遅くなるようなことは、後にも先にもその一回だけでした。私以外の者は誰一人、教官室へ行こうとして迷うということはありませんでした。教官は私になぜ遅れたのか問いました。私は迷った、という他ありませんでした。教官は私の顔をまじまじと見つめた後、恐怖と焦りが見られるが嘘をついているわけではなさそうだ、と言いました。
 それからも、私は授業や訓練や昼食に遅れることがありました。疲れているのに自室に辿り着けず、廊下に座り込み、そのまま眠り込んでしまうこともありました。それらは必ず、私が休暇から帰ってきたその日に起こりました。
 やがて、決定的なことがありました。それは私を魅了してやまない中央階段で起こりました。そのとき私は最上階から最下階へと駆け足で移動していました。階段を降りきると同時に、私は何かに全身を強くぶつけ、反動で頭を階段に強打しそうになりました。とっさに体をひねり、手をついたので大事には至りませんでしたが、私はなかなか立ち上がることができず、手をついたまま、窓の向こうの森を見上げていました。木々が私の記憶よりも、ずっと高くそびえ立っているように見えました。私はそれを呆然と見つめていましたが、やがて立ち上がり、振り返って最下階の方を向きました。そこには土壁しかありませんでした。

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