実母の話(ちょと重め)

 実母は悲劇のヒロインのような毒親。そんな実母に限界が来て絶縁した。昔は実母に言われた言葉を思い出して夜な夜な1人で泣くくらい悩んでいたが、今となってはもうネタである。

 今は義実家が本当の家族だと思っているので、とても幸せである。夫と結婚し、子供ができて、幸せを実感してから自己肯定感が高くなった。大嫌いな実母を振り返ってみようと思う。一歩間違えるとトー横キッズになっていたかもしれないあの頃の私を、抱きしめてあげたい。


・母は家事ができない悲劇のヒロイン
 母は専業主婦なのに家事ができない。特に掃除と洗濯と洗い物。朝ごはんは菓子パン、お弁当と夕ご飯もそこまで難しくない普通のものだし、私は好き嫌いがほとんどないが、ずっと家事の文句を言っていた。庭木の管理はしたことがないので、庭は荒れ放題。荒れているのは父のせいにしていた。父は激務なのに。トイレも汚れすぎて中が黒かった。家は散らかったまま。物が多すぎて無くし物が多く、ハサミは4つくらいあった。買い物に行くと、買い物メモを持っていくのを忘れるか、メモを持っていってもメモ通りに買い物できなかった。ストレスが溜まると、家事ができないのは父と私のせいになり、身体が弱いキャラになり、悲劇のヒロインのように振る舞っていた。

 私は「家事の手伝いもしろ」「勉強もやれ」と大声で罵られていた。その時の母を見ると、海外ドラマを見てソファでゴロゴロしていたり、本を読んで寝ているだけだが、絶えず「しんどい」と言っていた。家事全般が本当にできない人なんだと思う。
 男尊女卑が激しいので、弟には家事を強要しなかった。勉強は私のほうが成績が良かったのに、弟を優先で進学させると言われた。学習も当たり前に求められ、主婦業も求められ、母が家事ができないのは私のせいだと罵倒されつづけ、母のヒステリックさに頭がおかしくなりそうだった。

例えば、単純に母が家事ができなくて本人も自覚があり、友達感覚で娘の私に「苦手だから手伝って」と言ってくれたのなら良かった。しかし、現実は、母は自分で主婦業を上手くできていると思っている。自己像がエベレスト並みなのだ。「基本的な量の家事はできているのに、自分以外の家族が散らかすので、オーバーワークになっている。私は可哀想な主婦。」と思っているところがやばかった。あと、「娘は反論せずに母の召使いになるのが当然」「長男は跡取り、娘は家を出ていくもの」と心底思っているところも疑問だった。明治時代を思わせるような家制度の思想を強固に貫きつつ、娘に教育を強いてエリートにしようとしているという大きな矛盾が、私には滑稽に思えた。しかも、長男贔屓の割に、介護は娘の私に頼ろうとしていた。彼女は自分に都合の良い部分だけ切り抜くのが得意なのだ。



教育ママ
 実母は周りに教育ママと言われていた。見た目は確かに凛としていて上品なので、賢そうなのだ。しかし勉強は子供に一切教えられない。塾に任せっきりのなんちゃって教育ママだった。習い事も子供の希望は全く無視。とりあえず子供をエリートにすることが目標だった。彼女はエリートの意味もよく分かってなさそう。
 私は学習系の習い事は好きだったので、塾に通うのは別に良かったのだが、ピアノが嫌いだった。下手だし、素質もなかった。辞めたいと実母に何回も相談したのに、流されるだけ。泣いて何度も交渉してやっと辞められた。数年後に理由を聞いたら、自分が子供にピアノを弾いてもらうのが夢だったらしい。子供が本気で嫌がっているのに自分の夢が優先だったらしい。ちなみに母は楽譜も全く読めないし、一回も娘の練習を見たことはなかった。音楽は特に遺伝要素が強いらしい。自分ができないのに娘に過剰な期待を持つのは教育虐待だろう。


まるで姑が嫁をいびるように
母は、機嫌がいいときは弟に、ストレスの捌け口は私に向いていた。男尊女卑の考え方が激しいので、息子はなんでも甘やかしていた。私は実の娘なのに、姑にいびられる嫁のようだった。小学生から家事全般をしていた。今でいうヤングケアラーだった。
 母は人付き合いが全くできないので、友達がいなかった。祖母や近所の人の愚痴は私が全部聞いていた。小さい頃は母が好きだったので、母の話を「うんうん」と全部聞いてあげて肯定していた。
 しかし、どんなに母に尽くしても、ヒステリックの矛先は私に向いていた。嫌なことがあると、私の体型や容姿をバカにしたり、性格の短所を罵倒するのである。「色黒」「脚が太い」「気がきつい」など。物心ついてから高校生までずっと言われ続けてきた。母は美人だ。ブルベ夏の檀れいさんに似た顔つきなのだ。私は平凡顔だ。色黒ブルベ冬のキュート系の顔つきである。私は父親似なので母に全然似ていない。そこを小馬鹿にしていた。でも、今思うと母は可愛い系の顔になりたかったらしい。母の顔はしっかりしていそうに見られるが、家事が苦手など、中身がよく言えば天然なので、可愛い系の顔になって愛嬌が欲しかったのだと思う。私は美人な母に憧れていたので、母に容姿いじりをされることで自分の外見コンプレックスが加速していった。しかし、平凡だがキュート系の顔のおかげで性格のキツさが緩和される私が、母は逆に羨ましかったのだろう。



 実母にずっと罵倒され続けたり、八つ当たりの標的にされると、私はグレた。高校生のころは当たり前に家出していた。
 親という身近な存在に否定され続けると、社会に出てからも誰かに悪口を言われている感覚になる。新卒の数年間はそれで苦しんだ。病んだ。しかし、プライベートで心の底から好きな人としか関わらないようにしたら、仕事のメンタルも強くなった。



色々悩んだが、実母とは縁を切った。それ以降、精神的に安定した。
縁を切ったきっかけは、片付けができない実母のために、帰省時、私が実家を片付けようとした時だった。母は「片付けができない」と否定された気持ちになったらしく、悲劇のヒロインのスイッチが入り、ヒステリックに「育ててもらった親に感謝の気持ちもないなんて、お前はもううちの子供じゃない!恩知らず!」と叫ばれた。実母のことは嫌いだが、育ててもらった恩もあるので実家の管理を手伝ってあげようと思って、片付けを提案したのに…。また機嫌が悪いときの標的にするのか...。と自分の中で糸がぷつんと切れた。それから縁を切った。


そのあとも、母からは孫を見たさに非通知設定で電話がかかってくるが出ていない。義実家にも連絡しているようである。義実家は実母と絶縁したことを話した。最初は受け入れ難そうだったが、根気よく何度も説明すると「人には色々あるだろう」と受け入れてくれた。実母以外の一般的な親という人々は、真剣に話すと意見を聞いてくれるのだと実感した。


まず、「育ててもらった恩が〜」と言い出す親は、毒親に片足を突っ込んでいる。私にも子供がいるが、「生まれてきてくれてありがとう。可愛い姿を見せてくれてありがとう。」と思うのが普通の親であると思う。子供の意思や素質を無視して、「娘がピアノを弾いている横で紅茶を飲みたい」などという目的で、娘に習い事を強制させる親はおかしいのである。遺伝的に、親ができないことは大抵子供もできない。

私は実家にいるころは、母親に洗脳されすぎて、「長女なんだから親の介護もしなきゃ」、「大きくなったら親に恩返しをしなきゃ」などと思っていた。

でも自分が親の立場になったら子供にそんなことは思わないと気づいた。子供に迷惑をかけないように、子供の幸せを願って生きていきたいと思う。


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