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ハチのムサシは死んだのさ
ってなんだっけ?
調べてみたら1972年リリースの平田隆夫とセルスターズによる楽曲でした。
歌詞の元になっているのは、俳優で詩人でもある内田良平(1924-1984)の詩集『おれは石川五右衛門が好きなんだ』所収の「ハチのムサシ」というタイトルの詩です。
ネットからの拾い物ですが ↓
ハチのムサシ
ハチの
ミヤモトムサシは死んだんだ
とおい
山の奥の畑で
お日様と果たし合いをして
死んだんだ
彼の死骸は
真っ赤な夕日に照らされて
麦の穂から
ポトリと落ちて
やっぱり 確かに死んだんだ
勝てなかったお日様や
やさしく抱いてくれた土の上で
真っ直ぐな顔で
静かに
空を
向いていた
内田良平の詩は、虫や動物、自然をモチーフに力強く生と死を描いたものが多いようです。
こちらもネットの拾い物で ↓
ちょうちょう 3
絵の具でかいた羽根なんか
涙でのばしたひげなんか
お金でみがいた顔なんか
捨てちまお
雪が降ったら おしまい
猫なで声でおだてるな
ほんとの事を言っとくれ
それをきいたら
花のお墓に
たまった涙を捨てにゆく
なぜこんな事を急に書いているのかというと、今朝、道路の真ん中で一匹のハチが死んでいたのです。わりと大きめの、クマンバチでしょうか?
よく道路に落ちていたり潰れている何かを、生き物かどうかはっきりするまで凝視してしまうのは何故なのでしょう。確認して、しっかり見てしまった事を後悔するかもしれないのに。
生き物ではなかった、枯葉やゴミだったときは、ほっとすると同時に少し「なーんだ」という気持ちになります。
ほっとするのはいいとして、なーんだとはなんだ?
その塊が生き物であったか生き物でなかったかが、どうしてそんなに気になるのでしょう。
いつか死ぬことは生きている証で、生きるために死を集めていて、「なーんだ」の正体は「死」のコレクションに加えられなかったということかもしれません。
大切な死のコレクションは確かに私の一部なのです。
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