「ニセモノの願い」の裏に隠れている、「本当の願い」を探して
人は、無意識にウソをつきます。
その人が、「私の願いはこれです」と口で言ったところで、それはもしかしたら、「ニセモノの願い」かもしれません。
本当の本当は思っていないのに、それが自分にとって「本当の願い」だと、思い込むことがあるのです。
例えば、
「アーティストとして大成したい!」
「年収1,000万円稼ぎたい!」
「有名になりたい!」
「ビジネス成功させたい!」
「素敵な恋人がほしい!」
特にこういう願いは、人によっては、「本当の願い」に気付きたくないがために、わざと用意された「ニセモノの願い」であることも多いもの。
勿論、それらを本気で心の底から思っている人だって、います。誰しもにとって、こういった願いが必ずしもニセモノであるとは限りません。
けれども・・・・
「本当の願い」って、人間を、本当に突き動かすんです。
だから、行動を見ていれば、その口から出てくる言葉が「本当の願い」かどうかなんて、結構分かる人には分かっちゃうものなんです。
「アーティストとして大成したい!」
と言いながら、全然作品を作らない人。
「今はスランプだから」とか「インスピレーションが湧かないから」とか、言い訳しながら。
「年収1,000万円稼ぎたい!」
と言いながら、そのための具体的な行動を起こさない人。
「勉強」だけは熱心に、本を読んだりセミナー通ったりは、するんですよね。
「有名になりたい!」
と言いながら、それができる場に出ていかない人。
極端な言い方ですけど、例えば、渋谷のスクランブル交差点でパフォーマンスしてたら、有名になんてすぐなれますよ。
なぜそれをしないの?
「ビジネス成功させたい!」
と言いながら、手段を選り好みしている人。
好き嫌いは大切だけれども、好き嫌いで選んでいるうちは、ビジネスに成功なんて訪れませんもの。
「素敵な恋人がほしい!」
と言いながら、異性とのコミュニケーションに消極的な人。
合コンに連れ出しても、誰かを紹介しても、何かしら理由をつけて、深い関係性になるのを避けている。
こういう人、いっぱいいます。
言ってる言葉よりも、人間は、行動にこそ本心が出ます。
何を言っていても、行動に繋がってなかったら、それは「ニセモノ」です。
あ、誤解が無いように明記しておきたいのですが、例によって、「ニセモノが悪い」と言いたいわけではありませんので。
本物かニセモノかで言ったら、ニセモノだよね、という認識をちゃんとしておこうというだけの話です。
「ニセモノの願い」が生まれ出てくる背景には、相応の理由がありますので、その願いがニセモノだからって、それを否定してしまっても仕方ないのです。
大切なのは、
「なぜそんなニセモノの願いが生まれたのか」
ということと、
「本当の願いはどこにあるのか」
ということ。
例えば・・・・
ある人は、「ミュージシャンとして成功したい」と、夢を語っていました。
けれども、やってることと言えば、誰がどう見ても、「本当に成功する気あるの?」と思えるような、地味な活動ばかり・・・・
「もっと大勢の人に伝わるようにしたらいいんじゃないの?」
「音源作ってどんどん片っ端から色んな事務所に送ってみたら?」
「売れる音楽のマーケティングを勉強した方がいいんじゃない?」
「正直レベルが低いから、レッスンとか通って鍛えた方がいいよ」
周りは口々に、その人が「ミュージシャンとして成功するためには」という切り口で、アドバイスをします。
けれども、その人にはほとんど響きません。
「いや、分かる人に分かってもらえればいいから」
「あんまり大衆に迎合とかしたくないんだよね」
「私は私なりに考えてるから」
そういうような言葉を使って、のらり、くらりと。
最初は、その人を応援したくてアドバイスをしていた人や、近くで見守っていた人も、いつまでも言い訳ばかりで行動が伴わないその人から、いつしか離れていくようになります。
「アイツは口ばっかで全然何もしない」
そう、吐き捨てて。
「夢語るばっかでそのための努力から逃げる腰抜け」
「あんなので夢が叶うわけがないよ」
口々に、その人への批判を口にします。
なぜ、その人は、
「ミュージシャンとして成功したい」
なんて願いを持っていたんでしょうか。
なぜ、そんな願いを持ちながら、そのための行動は(もしかしたら本人なりに一生懸命だったのかもしれませんが)周りから見たら拙いものだったのでしょうか。
その人は、本当は、別に「ミュージシャンとして成功したい」なんて、思ってなかったからです。
その人は、音楽をやっている自分を、
「そんなことやっても将来何の得にもならないよ」
「音楽なんかやってる暇があったらもっと勉強して良い大学へ行け」
みたいな感じに、親に認めてもらえなかったのです。
音楽が大好きだったのは、本当だったのに・・・・
その、音楽が大好きな自分は赦されず、勉強などで結果を出すことでしか、親から愛されない環境にいたのです。
だから、
「ミュージシャンとして成功すれば、親もこの自分を認めてくれるはず」
と思い込んだのです。
それで、
「ミュージシャンとして成功したい」
という願いを掲げたのです。
けれども、その人の「本当の願い」は、
「親に認めてほしい」
ということです。
この流れを見たら、お分かりのように。
頭では「ミュージシャンとして成功することが親に認めてもらうことだ」と思い込むのですが、心と体はもっと正直なものなので・・・・
「親に認めてほしい」
という願いに直結しない行動には、エネルギーが出せないんです。
マーケティングを勉強してもっと努力してレベルを上げたら、ミュージシャンとしては成功できるかもしれない。
けれども、そんなことをしても、親に認めてもらうことには直結しない。
それが、心や体は知っているから、行動が変わらないのです。
これが、「本当の願い」と「ニセモノの願い」の関係です。
こういったことは、本当に、山ほど起きていることだと思います。
誰の身にも覚えがあることかもしれませんし、自覚がないだけで、今まさに「ニセモノの願い」を「本当の願い」と思い込んで話しているかもしれません。
何度でも書きますが、ニセモノが悪いわけではありません。
けれども、「ニセモノの願い」では、心や体はどうしても正しく動いてはくれないのです。
「私はこうしたいと思っている!はずなのに!なんでできないの!」
って、自分に対してもどかしく思うことがあったら、もしかしたらそれは、願いの本質を、少し見誤っているから、なのかもしれません。
「ニセモノ」の奥に隠された、「本当」を、ちゃんと探してあげてください。
自分に対しても勿論そうですし、周りで、口ばかりで行動が伴わない人を見た時も。
「行動してないってことは、何か他の願いがあるんじゃないか?」
って、そこを意識して見てみると、その人の見え方って、違ってくると思うのです。
上の例の、「ミュージシャンとして成功したい」と願ったその人の「本当の願い」は、「親に認めてもらいたかった」ということでした。
ミュージシャンとして成功するためにどれだけ努力することよりも、親に、「この私をまるごと愛してほしい」って、伝えなくてはならなかったのです。
でも、それは、本当の本当に怖いことだから・・・・
「音楽をやっている時はその怖いことから目を背けられる」
と思って、大好きな音楽を隠れミノにしてしまったんですね。
それは、悪いことでは、ないんです、本当に。
そりゃそうなんですよ、逃げたくなるんですよ、そんな怖いことからは。
けれども、その願いが「ニセモノ」である限り、その人が親との関係性を差し置いてミュージシャンとして成功するのは、本当に難しいことです。
そのままいけば、ミュージシャンとして成功できないことで、どんどん自己肯定感を下げてしまう一方になります。
「成功できない、だから親には認めてもらえない、そんな自分には価値が無い」なんて思ってしまえば、なおさら成功できなくなります。
暗黒のループになるのです。
そう、ならないように。
「本当の願い」に気付いたら、その願いを叶えるために、勇気を少し、出す必要があります。
周りでアドバイスをしたり応援したりする人は、ぜひ、その「本当の願い」の方を、助けてあげてほしいのです。
「もし親にひどいこと言われたら私のところに泣きに来ていいよ」
「親にはこういう言い方をしたら聞き入れてもらいやすいんじゃないかな」
「親が認めてくれなくてもあなたは独りじゃないからね」
そんな言葉をかけてあげられたら・・・・
そうした言葉のひとつひとつは、その人が「ミュージシャンとして成功するため」にもらう万の言葉よりも価値のあるものとして、響くはずなのです。
「本当の願い」の在り処って、見つけるのはなかなか難しいものです。
そう簡単に見つかってたら、そもそも「ニセモノ」なんて生まれないですもんねぇ。
でも、言葉(頭)と、心と、体が一致していない時っていうのは、必ずどこかに「ウソ」が混じっているんです。
そして、それは大概、「ニセモノの願い」に表れてくるんです。
「アーティストとして大成したい!」
「年収1,000万円稼ぎたい!」
「有名になりたい!」
「ビジネス成功させたい!」
「素敵な恋人がほしい!」
そういうようなことを言う人、いっぱいいっぱいいます。
でもそんなこと、もしかしたら、そのほとんどの人は、本当には思ってないかもしれませんよ。
ちなみにエレコ的に言うと・・・・
「風」の無い人が、稼ぎたいとか成功したいとかそういう系のことを言ったら、まず真っ先に「ニセモノ」を疑います。
(100%ではないですけど98%くらいはやっぱ大体「ニセモノ」ですよ笑。掘り下げていくと分かりますもん。)
逆に、「地」の無い人が、優しい系のことを言ったら、それもまた疑います。
「水」の無い人が誰かを楽しませたいとか言っても嘘だと思いますし、「火」の無い人が絶望感について語るのも大体は嘘だと思っています。
そう、決めつけて掛かるわけじゃないですけど・・・・
(そしてこんなシンプルではなく実際はもう少し細かく考えますけど)
でも、実際に言動が不一致であれば、「おかしいな」って違和感を抱くのは当然で、それがあるってことは、そのどこかに「ニセモノ」が紛れ込んでいるのです。
勿論、その人のタイミングによっては、「ニセモノ」に隠れて休んでいたい、心を癒していたい時期というのもありますので、いつでも必ず無理やり「本物」を引っ張り出そうとはしません。
ただ、「変わりたい」とか「成果を出したい」のであれば、「ニセモノ」に沿って考えたって、何も変わりませんからね。
「本当の願い」を見つけ出してからでないと、何も意味がないので・・・・
そして、この「本当の願い」が、その場で聞いてパッと出てくるものじゃない場合が多いので、これを探すのにかなりの時間をかけることも、コンサルではよくあります。
(半年かけてもなかなか見つからない場合もあるくらいですよ)
まぁそれはともかくとして。
現実の話として、人はみんな、自分が思う以上に、うっかり自分に「ウソ」をついてしまっていることがある、ということです。
「ニセモノの願い」を、そうとは気づかずに放っていることが、実はいっぱいあるんじゃないか、ということです。
それを踏まえた上で、その人の「願い」と、向き合っていくようにしたいですよね。
#エレメンツコード