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呪いは禊が終わるのを待っている
「才能」や「ギフト」と、「呪い」は、本当に紙一重。
それを授かったことが理由で、手に入れたものがある。
でも一方で、それがあるからこそ、失ったものもある。
「こんな能力さえ無かったら、もっと他の人生を歩めたかもしれない」
自分に、そう思わせた能力こそが、自分に唯一無二のアイデンティティを与えてくれる「才能」。
「こんな環境にさえ生まれなかったら、もっと幸せになれたかもしれない」
自分に、そう思わせた生い立ちこそが、自分の生き様を輝かせるための「ギフト」。
ただ、そんなふうに受け入れられるまでは、沢山苦しむことだってあります。
自分が自分である理由を、自分が置かれた境遇を、「最初から」呪わずにいられるなんてこと、もしかしたらそうそう無いかもしれません。
それでも、呪いに呪い抜いた先に、その呪いを、ちゃんと自分の奥底で受け入れられたら・・・・
その時こそ、それまで呪いに呪い抜いた分だけ、そっくりそのまま、幸せになって返ってくるんじゃないかと思います。
今、心に「呪い」を抱えている人は。
とことん、呪いに呪い抜いたらいいですよ。
自分を嫌い抜け。
不幸を嘆き抜け。
他人が知ったふうな口をきくかもしれないけれども、そんなの無視して、呪い抜け。
気が済むまで、どこまでも。
ブランコで大きく前に漕ぎ出すために、できる限り後ろに下がらなければならないように。
その「呪い」を、心の底から「ギフト」と思えるように。
自分が置かれた境遇を呪っている人ほど、その闇を抜けた先に、沢山の人を照らす光を放つようになります。
自分自身の性質を呪っている人ほど、悩み抜いた先に、他の誰にも真似できない能力を授かっているのです。
僕だって、そうですよ。
今の僕を幸せにしてくれているものは、元を辿ればみんな、一度は僕が嫌って呪って拒絶したものばかり。
ただ、「見て見ぬフリ」だけはしませんでした。
呪いながら、一緒に生きてきたものたちが、今、「禊」を終えて、僕を幸せにし始めたという、ただそれだけのことなんです。
世界を、自分を、とことん呪っている人たちに、祝福があるように願います。
琢磨と言えば「分析オタク」。
そう、自他ともにまるでブランドのようになりました、今は。
けれども・・・・「分析オタク」であることは、マイナスである期間の方がよっぽど長かったですよ。
「分析オタク」という性質と、分析ができるという能力のおかげで、僕は長らく孤独感を味わいました。
でもほら今こんなんじゃないですか。
おかげさまで、この能力のおかげで幸せです。
だから・・・・「今から」なんですよ。
呪いは禊が終わるのを待っている。
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