「林原」が好きになった日

僕は、今までずっと、自分の下の名前は好きなんですけど、名字が好きじゃありませんでした。
 
林原(ハヤシハラ)という、名字が。
(林原「家」が好きじゃない、というわけじゃないですよ、あくまで名字がね)
 
しかし、物心ついてから30年以上持ってきたそのイメージが、先日、大きく変わりました。



こないだの土曜日、ぴこさん(はぎのともぴこさん)のセミナーに行ってきたんですよ。
 
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その時のワークで、「ネーミングストーリー」っていうのをやったんです。
 
詳しくは説明が面倒なので省きますが・・・・
自分の名前について、言葉ひとつひとつの意味を調べるなどして、そこから、
「その名前を表すストーリーを作る」
というもの。
 
名前には、自分の人生の使命がこめられています。
勿論、その解釈は、同じ名前出会ったとしてもそれぞれ個人で違ったっていいのですが・・・・
 
自分の名前の持つ意味に、ちゃんと自分らしさが通ってることが大切なんですよね。


そのワークを通して、「林」「原」「琢」「磨」
それぞれの意味を調べたのです。

すると・・・・
 
まぁ、「琢磨」は、四字熟語の「切磋琢磨」から来ていて、「琢」も「磨」も「みがく」という意味があります。
これは知っていました。


しかし、驚いたのが、「林」と「原」でした。
 
今までこっちは調べたことなかったのです。
だって、小学校で習う感じだし、「知ってる」気でいましたからね。あーはいはい、「林」ってあれでしょ。「原」ってあれでしょ、みたいな。
 
だから、知らなかったんですが・・・・


まず、「林」には、
 
「物事が多く集まっていること」
 
という意味がありました。


そして、「原」には、
 
「物事の始まり」
 
などの意味の他に・・・・
 
「(罪を)ゆるす」
 
という意味が、あったのです。


これを知った瞬間・・・・全身さぶいぼ立ちました。




今、僕がエレコなどを通して世界に放っていきたい想いというのが、まさに、「赦し」なのです。
 
自分を知り、自分にできないことを知り、それを赦す。
相手を知り、相手を受け入れ、赦す。
 
自分がどんな人間か、相手がどんな人間か、それをエレコを通して分かり合えれば、そこに自然にお互いが自分らしくいるために「赦し合う」関係性が生まれるじゃないか、って。
 
自分らしく生きるということは、「赦す」ということなんだと。
「赦す」ということは、「愛する」ということの始まりなんだと。
 
直接的にその言葉を使うことが少なくないくらいに、僕にとって超重要なキーワード、「赦す」。



これがまさか・・・・
 
自分の名前に、すでに入っていたとは・・・・!



すなわち、「林原」とは、
 
「物事が多く集まっているところ」=「この世界の森羅万象」を、
「赦し合って生きていく」姿という意味に捉えられるのだと・・・・!!
 
ネットで調べた漢字の意味をノートに並べて見た時、もう、そうとしか思えませんでした。
 
そして「琢磨」は、「めちゃくちゃ研究しまくる」っていう意味ですからね・・・・




総じて、この「林原琢磨」という名前には、
 
「この世界の森羅万象をめちゃくちゃ研究しまくりながら、赦し合って生きていく人」
 
というストーリーをつけられたわけです・・・・!!!
 
 
今、僕がやっていること、もうその使命のど真ん中じゃないか、と。
 
この日まで、「琢磨」は、「分析」の能力を持つ自分にぴったりだとは思っていたけれども、「林原」は好きになれなかったのに・・・・
 
まさか、自分の今の生きざまが、すでに名字の中にも刻まれていたとは・・・・!!






まぁこういうのを、こじつけと吐き捨てる人もいるかもしれないけど。
 
でも本当に、「名前」が持つエネルギー、そこに刻まれた使命というものは、確かにあると僕は思っています。
 
自分が、いかにそれを見出だすかが大切なのです。
 
 
ちなみにぴこさんが、セミナーの最後の方にちらっと、
「家系の使命通りに生きられると幸せになりやすい」
みたいな話をしていました。
 
ぴこさんは、「萩野」の使命をまっとうするような生き方をしているから、ビジネスも成功しているし、結婚して幸せな家庭も築けているのだとか。
 
そういえば僕も・・・・
「赦す」生き方を、まりこに出会う前に始められたことが、今の幸せに繋がっています。
 
数年前までは、結婚なんて、ましてや子どもを持つなんて、自分には遠い話だと思っていました。
 
でも計らずも、「赦す」生き方をするようになったことが、もしかしたら、「林原の家系の使命」に殉じることに繋がり、今の僕の幸せを連れてきてくれたのかもしれません。


・・・・余談ですが・・・・
 
そういえば、親族内にいる、「林原」を捨てた人や「林原」を嫌う人は、確かに「自他を赦さない生き方」をしています。
 
そして、僕から見たら、真似したいとは思えない、幸せに見えない生き方をしていますね・・・・
 
 
まぁここらへんは、こんなにシンプルなことでもないとは思っています。
 
家系の話って、ほんと学問として奥深いようなので、ちゃんと学ばないと滅多なことは言えませんが・・・・
 
でも、今の僕の仮説は、当たらずとも遠からずなところにはあるんじゃないかな・・・・
機会があえば、ほんと一度ちゃんと学んでみたいところ・・・・!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とにかく、この日僕は、自分の名前に込められている意味の中に、今の自分にドンピシャなものがあり、それを繋げたストーリーが、まさに自分の理想の生き方を表していることを知りました。
 
すごいわ。
こりゃすごい。
 
 
「林原」好きだわ~
良い名字だわ~





・・・・ちなみに、そもそも「林原」が好きじゃなかったのは・・・・
 
ジャンプ漫画の主人公に絶対ならなさそうな、のっぺりとしてパンチのない、退屈な感じだから、です笑
 
『BLEACH』の隊長格には、絶対いなさそうじゃないですか。
名字が「林原」のやつが、カッコいい技とか繰り出したりなんて、しなさそうじゃないですか!
 
林原て!
林に、原っぱって!!
 
ただの目の前の景色見たまんまを言っただけじゃないか!みたいな笑
 
という、そもそも、そういうくだらない理由で好きじゃなかっただけなんですけどね笑
 
でも、この日のワークで、すごい好きになりました。




どうも。
 
僕の名前は「林原琢磨」です。
 
 


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