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人がセミナージプシーになってしまう理由

色んなセミナーをあっちゃこっちゃ渡り歩き、しかし本人は特に何か成果や結果を出すわけではなく、ずっと「学び」のフェイズから抜けられない・・・・

そんな、「セミナージプシー」という存在。

起業家・フリーランス・個人事業主の世界では、よく聞くこの呼び名ですが・・・・
確かに、実際にそうなってしまっている(ように見える)人は、僕も思い当たるところがあります。

これは、褒め言葉ではなく、悪い状態という意味で使われる方が多い言葉。
では、どうして人は「セミナージプシー」になってしまうのだろう?ということについて、考えてみました。



僕がイメージする「セミナージプシー」


「セミナージプシー」と呼ばれる状態になる人というのは、
 
「ここではないどこかへ」
 
という意識だけで動いてるようなイメージがあります。


より具体的な、

「私はこういう人間になりたい」
「私はこういう人間だったはず」


というようなビジョンが、欠如してるんじゃないでしょうか。




例えば、スーパーで買い物をする時を思い浮かべてみていただいて・・・・


もし、自分の中で「カレーを作る」って決まってれば、店で何を買ったらいいかは、ハッキリしています。
 
じゃがいもとタマネギとニンジンとお肉とカレールーと・・・・
というように、必要なものをピンポイントで買い揃えられるのです。
 
言い換えれば、「何が不要か」ということについても、すぐに分かります。
 
高級食材って言ってもイクラは要らないし、
パンに塗ったらおいしいジャムも要らないし、
パスタの麺を買う必要も無ければ、
浅漬けの元を買う意味も無いわけですよね。
(オリジナルの変なカレーを作りたい場合は除く笑)



でも、もしここで、献立が決まってなかったら・・・・?


あれもこれもおいしそうに見えて、目移りして、どんどん買い物かごに片っ端から入れてみたくなっちゃうのも、分からなくはないですよね。
 
こういうことが、「セミナージプシー」になってしまう人にも、起こっているんじゃなかろうかと思うのです。




スーパーの中で閉店までうろうろしている人になるのか


世の中には、色んな、良いセミナーがあります。
学ぶ姿勢さえあれば、大体はどこに行ったって、良い学びが得られます。
 
けれどもそれは、

「スーパーに売ってるものは必ず何かには使える。
何も使えないものなんか無い」

って言ってるのとまったく同じことです。
 
そりゃそうですよ。
カレーを作る時には豆腐は必要ないですが、鍋を作る時にはやっぱり欲しいわけです。
そこにある商品は、今日の自分には不要なものがあったとしても、どれも必ず、「誰かのニーズには当てはまる」のです。

だからこそ、スーパーに買い物に行く時は、「自分は何を作りたいのか」という意識が無ければ、膨大にある商品の中から、買うものを選ぶことは難しくなります。当たり前です。

自分が何を作りたくて、数多の商品の中から何を選ぶか、というのが大切なんですよね。




いいんですよ、
ビーフカレーにするか、
ポークカレーにするか、
チキンカレーにするかくらいは、
スーパー行ってから、その場でお肉コーナー見ながら、じっくり考えて決めたって。
 
でも、せめて、「カレーにしよう」ということくらいは、決めてからスーパーに行かなければ。
 
あぁいやせめてせめて、決めずにスーパー行ってもいいから、色んなコーナー回りながら、真剣に考えていかなくては。

じゃないと・・・・
閉店まで、スーパーの中をうろうろしている、変な人になっちゃいますよ。






何のためにそのセミナーに参加するのか


人生の幕が降りるまで、ただひたすら、

盲目的に学び続けてるだけの人で、いいのか?

ということを、しっかり考える必要があるのだと思います。


何になりたいのか。
どう在りたいのか。
 
本来、自分はどうで在ったのか。


そういうことを思い出せば、学ぶべきものは、自ずと見えてくるものです。
 
そして、学ぶべきものが定まれば、そのための投資が安かろうが高かろうが、そんなのは関係ありません。
 
どんなに高くて質の良いセミナーでも、関係なければ無視するべきだし、無料のものでも必要だったらどんどん受ける、という姿勢でいいと思います。
 
必要だな、あれのためにこれを学びたいな、って本気で思ったら、学びまくる態度で、いくらでも沢山参加し、でももう十分だなって思ったら、学ぶのなんか一切やめる・・・・

そういうふうに心がちゃんと定まっていれば、「ジプシー」にはならないと思うのです。



こう考えると・・・・
 
別の切り口で喩えると、「セミナージプシー」と呼ばれる人は、

「車の免許は取れたのにまだ教習所に通ってる」

みたいな人が多いような気がしてきますね。こりゃ笑える。


いやいやいや、免許はもう取ったんだから!!
何のために取った?
車で出かけるためでしょ??
だったら、教習所行くのやめて、さっさと車乗って出かけようや!!

って言いたくなってしまうものですよね。
 
「あの人はセミナージプシーだ」って揶揄したくなるのは、ここらへんの違和感があるからじゃないでしょうか。




もし、
 
「あ、この人、セミナージプシーだな」
 
っていう人に出会ったら・・・・
 
きっとその人は、夕食の献立が決まってもいないのに、スーパーに買い物に来ちゃった「せっかちさん」です。
優しく、「今晩、何作るの?」って聞いてあげてください。
 
多分、「そういえば何作りたいんだっけ・・・・」みたいに、呆けたことを言うでしょうから(笑)
余裕があったら、一緒に考えてあげてください。


まぁでも、基本的には放っておいてもいいと思いますけどね。
とりあえず、「何か」を買えば、それを使って、「何か」は作れるでしょうから。
買ったもので何を作るかは、本人の自由です。

セミナーを渡り歩いて、でも良いセミナーに参加していれば、学びはそれなりに身につきます。
それらの学びは、その後の使いようによっては、決して「無駄」にはなりません。
「遠回り」にはなるかもしれませんけれども。



また、自分がセミナージプシーになりつつあるな、って気付いてしまったら・・・・


その時は、ちょっといったん、今日のセミナーに行くのをやめて、

「何のために何を学びたいんだっけ?」

って、自分に問いかけてみるといいのではないでしょうか。

本当にそのセミナー、必要なんだっけ?
そのセミナーに参加すると、何が得られるんだったけ?
その学びが無いと今の自分は本当にダメなんだっけ?
その学びを自分の明日にどう活かしていくつもりなんだっけ?


そうした自分への問いの答えがパッと出てこないようなら、そのセミナー、多分、参加する必要ないんですよ、本当は。
行っても、もしかしたらただの「遠回り」になってしまうかもしれませんよ。


使いもしないのに、スーパーで特売だったからって、卵をいっぱい買って・・・・
それ、冷蔵庫に入れっぱなしにしてたら、そのうち腐っちゃうでしょうに。


「いつか使うかも」「いつか役に立つかも」

そう、変な意味でのもったいない精神を働かせて、冷蔵庫の中身をいっぱいにしてても、仕方がないんですから。

セミナーも、自分の人生の時間を使ってるんですよ。
その学びは、無駄にはならないけれども・・・・自分の中で、腐らせてしまうレベルの、「なくても別にいいもの」だったりしませんか?






僕は、すべての学びは、「自分が本来の自分自身を思い出すためにある」と思っています。
 
自分が、本来の自分になるためにあるもの。
 
そのことをちゃんと踏まえて、しっかり必要なものと不要なものを見極めるようにして生きたいですよね。
 
 
 

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