「見返してやりたい」という気持ちの正体ってこれじゃないかな

よく、個人事業主やフリーランス、起業家さんなんかだと、
自分が駆け出しの頃に、自分のことを認めてくれなかった人だとか、
自分を批判した人だとかに対して、

「見返してやりたい」

って気持ちを持つこと、まぁあるよね。


でもそれって、気を付けなくちゃいけない。


「見返してやりたい」は、
  
「認めさせたい」とは、
  
ちょっと違うんだ。





例えば、あなたが稼げていないことで、誰かにバカにされたとして・・・・
 
いつかあなたがガンガンに稼げるようになった時、
その、あなたをバカにした誰かさんが、
じゃあしっかり褒めてくれるかっていうと・・・・
 
あんまり、そうはならないことが多いんじゃないかなぁ。


どうせ、そういう人は、あなたが稼げるようになったとしても、
別のどっかの揚げ足を取って、あなたをバカにし続けるよ。
 
「やってることが胡散臭い」だとか、
「どうせそのうち消えていくよ」だとか、
そういうふうに言って、あなたをバカにすることをやめない。


もしかしたら、表面上は認めてくれるようになる人もいるかもしれない。
 
けれどもそれは、あなたが稼げるようになったことで、
今度はその恩恵に与ろうという浅ましい精神で、
表面的に褒めてくれるだけのことも多い。
 
いわゆる、「手のひらを反す」っていうやつ、ね。
 
それ、されて嬉しいかなぁ。




あなたをバカにしたヤツは、
きっとどこまでいっても、
基本的にあなたをバカにし続ける。
 
なぜならその人は、
「あなたをバカにする」
という関係性をあなたと築くことを、選んだんだもの。
 
その口実として、「稼げてないこと」を使っただけなんだもの。
 
あなたがどう変わろうと、あなたをバカにし続けるのは当然のことね。




バカにされた悔しさから、あなたは、頑張るかもしれない。
 
「見返してやりたい」が原動力になって頑張れることって、ある。
 
だから、その動機自体は決して悪いものじゃない。


でも、現実的に、「見返す」のゴール設定を、
間違えちゃいけないと思うんだ。



もしかしたらあなたは、あなたをバカにしたその相手が、

「本当にごめん、自分が間違っていたよ。
あなたにそんな才能があったことを私は見抜けなかった。
あなたをバカにした過去の自分こそバカだった。
あなたを傷つけてしまったことを赦してほしい」

と言ってきてくれることを、期待しているのかもしれない。

けれども、それは、きっと無理なんだよ。
  
その人があなたをバカにした「理由」「根拠」は、全部フェイクなんだ。
  
稼げてないだとか、やってることが胡散臭いだとか、面白くないだとか、
本当は何でもよくって、ただただ、
「あなたをバカにしたかった」から、バカにしたんだもの。


あなたがどれだけ頑張っても、
どれだけ凄い人になっても、
どれだけの実績を出しても、
 
「見返す」のゴールを、
「相手の認識を変えさせること」にしていたら、
あなたはちっともそこには辿り着けない。




そんなの、もったいないじゃないか。


そんな、あなたの歩みを滞らせるような、
あなたの可能性を狭めるような、
そんなところに意識を置いた「見返してやりたい」の気持ちは、
さっさと捨ててしまおうよ。






「見返す」の本当のゴールはきっといつだって、
 
「バカにされた自分自身を超えること」
 
なんじゃないかなぁ。






「稼げていない」ということをバカにされて、悔しかった。
 
でも、その時の自分は、それに言い返すことができなかった。
 
だって、本当に全然稼げてなくて、
そんな自分を自分自身でも嫌いだったから。


けれど、その悔しさを、怒りを、
自分に向けることが怖くてできなかったあなたは、
その矛先を、「バカにしてきた相手」に向けたんだ。
 
そして、
「バカにしてきたあいつを見返してやる」
という意識に置き換えたんだ。


それは悪いことじゃない。
 
稼げてなくて、そりゃ苦しいだろうよ。
そんな時に、自分に追い打ちをかけることはないもの。
 
「バカにしてきた相手」に、
自分の怒りや悔しさを向ける、
スケープゴート(身代わり)になってもらったって、
別にいいじゃないか。


そうした方が、
自己嫌悪がなくなる分、
一方的に誰かを敵視する分、
自分をちゃんと肯定できたり正当化できたりして、
パワーが出るものなんだったら。


そうやって、一時的に「バカにされた相手に認めさせる」を、
「見返す」のゴールに設定したんだ。





そこまでは、いい。
 
でも、その原動力で頑張ってたら、
そのうち、ちゃんと結果は出てくる。
実績は出てくる。
 
「バカにされた頃の自分」から、大きく成長する。
 
 
バカにされて、言い返すこともできなかった小さな自分は、
もうそこにいなくなるんだ。


そのタイミングで、
「見返す」のゴールを、
自分に戻せるかどうかが、
大切なことなんじゃないかと思うんだよ。





上に何度も書いたみたいに、
「相手に認めさせる」は、
相手のスタンスからして、不可能に近いんだから。
 
いつまでもそのゴールを目指してたら、
いつまでも辿り着かない迷路に足を踏み入れることになる。




例えば、高円寺から東京に行きたいと思ったとする。
でも、日曜日だから総武線しか動いてなくて、
とりあえず総武線に乗ったとする。
 
途中までは、それでもいいんだよ。
 
でも、総武線は、東京駅には止まらない。
そのままいくと、秋葉原に着いちゃう。
そしてそのまま、千葉の方まで行っちゃう。
 
四谷か御茶ノ水あたりで、
ちゃんと中央線に乗り換えなくちゃいけないんだ。
 
 
本来なら中央線に乗れば1本で東京に着けるんだけど、
困ったことに、日曜日、高円寺は中央線が止まらない。
 
だから、最初に総武線に乗るのは、いいんだ。
止まらない中央線を待ち続けるのは、それこそばかばかしい。
 
けれども、ずっと総武線に乗っていても、
目的地である東京には着かないんだということを、
しっかり意識してなくちゃいけない。



それと同じことだよ。



最初、「バカにしてきた相手を見返す」でもいいんだ。
 
弱くて格好悪い自分を、それ以上痛めつける必要はない。
 
でも、途中のどこかで、
「バカにされた自分自身を見返す」に変えないと・・・・
 
総武線に乗り続けたら千葉までいっちゃって、
目的地である東京から離れてしまうように、
本当に自分がやりたかったはずのことから離れ、
その相手を見返すためだけに、
どんどん遠回りをしなければいけなくなってしまう。



そうならないように。




多分、そこで乗り換えるポイントは、
「相手を見返してやりたい」の奥底にあった気持ちに、
気付けるかどうかということだと思う。
 
 
なぜ、その時、
「自分を」じゃなく、
「相手を」見返してやりたかったのか、
その理由を認めること。



ひとつは先述のように、
「その時弱かった自分を守るため」
というのはあるだろうよ。
 
であれば、
「成長して強くなった自分はもう大丈夫」
と言えれば、「見返す」のゴールはすぐ切り替わる。



もうひとつは・・・・
 
「寂しかった」「哀しかった」
 
という気持ち。


その、あなたをバカにしてきた人のことを、
きっとあなたは、好きだったんだろうねぇ。
その人と、本当はもっと友達でいたかったんだろうねぇ。
 
それなのに、その人は、
「あなたをバカにする関係性」、つまり、
あなたの心から離れていくことを選んだんだ。
 
そりゃ、寂しいよねぇ、哀しいよねぇ。


あなたは、その人にバカにされたその理由を払拭すれば、
その人がまた、友達として、
自分の近くに戻ってきてくれるって、
そう信じたかったのかもしれない。



「あいつを見返してやりたい」は、もしかしたら、
 
「あいつとの(仲良かった)関係を取り戻したい」だったのかもしれない。



そこに、気付けること、すごく大切だ。


そこに気付いた上で、じゃあ、
今のあなたの周りを見渡してみたらいいんだ。
 
今のあなたの周りには・・・・どれだけの人がいるだろう?
 
バカにされたその頃は、もしかしたら、
孤独に陥ってしまったかもしれない。
 
でも、バカにされたその時から、
頑張って歩んできたことで、
今はその頃よりずっと、
沢山の人に囲まれているんじゃないかなぁ。


あなたをバカにしたその人と、
もう1度仲良くならなくたって、
今のあなたを受け容れてくれる、
仲の良い関係性の相手っていうのは・・・・
いっぱい、作ってこられたんじゃないかなぁ。

その過去の相手を「取り戻す」必要なんて、
それでもまだ、あるんかなぁ。


まぁ、ここで、
「どうしてもこの人は特別なの!」
って言い張るんなら、それでもいいけど。
固執しちゃうこともあるよね、まぁそりゃしゃーないよね。
 
あんまり、僕はそのスタンスを素敵だとは思わないけど、
そう思っちゃうんじゃ仕方ないから、
思いっきりずっとそう信じてたらいいんじゃないかな。



でも、大抵の人はここで、
 
「あ、あんなヤツとの関係性より、
遥かに幸せな関係性を築ける人が、
今はもっといっぱいいるわ」
 
って気付けると思う。
  
そうなったらさ、その過去の人をわざわざ、
「取り戻す」必要なんてないんだから、
つまりは「見返す」必要もないわけさ。
 
「寂しかったんだな」「哀しかったんだな」って、
バカにされた当時感じた自分の気持ちを、取り戻してあげたらいい。
 
それで、「ほらもう大丈夫じゃん」って言ってあげたらいい。



ここで、「間違ったゴール」としての、
「身代わり」としての、「見返す」は、終わり。
 
高円寺から乗った総武線を降りて、中央線に乗り換える時だ。



改めて、どこへ行こうか。
 
ちゃんと東京駅に辿り着いたら、さぁ今度はどこへ行こう?
 
そこから先は、もう、自由だよね。






そんな感じで・・・・
「見返してやりたい」ってさ、きっと、
すごいパワーのある動機だと思うんだよ。
 
だから、それで頑張るの、すごく良いと思うんだよ。
 
でも、その「見返す」の対象は、必ず、
相手やどこかの誰かじゃなく、
本当は自分自身なんだってこと。
 
バカにされたのに言い返せなかった自分を超えるために、
稼げなかった自分を稼げる自分へと、変えていく。


そこに、「見返す」のゴールをちゃんと置けたら、
もうめちゃめちゃカッコイイことになると思う。




何度も何度も、
弱かった自分自身を見返していこう。
 
そして、
何度も何度も、
寂しくて哀しかった自分を、ちゃんと迎えに行こう。
 
 
 

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