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ヨルシカ「靴の花火」とよだかの星

「靴の花火」は優しいギターの音色と美しくも痛切な歌声が胸を刺す、ヨルシカの代表的な楽曲の一つだ。MVでは悲しげな一人の少女が描かれ、その合間にフラッシュのように「よだかの星」の文章の断片が映り込むことで、小説と音楽とが共鳴しながら展開していく。

https://youtu.be/BCt9lS_Uv_Y

ご存知の方も多いと思うが、この曲は宮沢賢治の小説「よだかの星」が歌詞のモチーフに使われている。私自身、この曲に出会ったことでこの小説を読み、そして小説を読んだことでまた曲の印象が変わったので、小説の内容に触れつつ感想を書いてみようと思う。

よだかの星は、優しい心を持った鳥のよだか(夜鷹)が主人公の短編だ。よだかはみにくい姿のために周囲から嫌われ、そんな自分が他の虫たちの命を奪ってまで生きていることが辛くなり、夜空の彼方まで飛んでいってしまおうと決意する。そして夜空を飛び回り、星座たちに自分を星にしてくれるよう頼むが相手にもしてもらえない。疲れ切ったよだかだが最後に力を振り絞り、自分の羽で夜空を飛び上がって体が燃えるのも構わず大気を抜け、死してのち美しく燃え光る星になった、という物語だ。

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小説を踏まえて歌詞を読むと、少女の見え方も自ずと変わってくる。

—ねぇ ねぇ 何か言おうにも言葉足らずだ
空いた口が塞がらないから から

ねぇ ねぇ 黙りこくっても言葉要らずだ
目って物を言うから

忘れていくことは虫が食べ始めた結果だ
想い出の中じゃいつも笑ってる顔なだけ—

一番サビまでの歌詞は、少女が何かしらの嫌がらせやいじめを受けていることを示唆する描写だ。あるいはそういった行動に及ばなくても、言葉にしない人でも、その目には自分への嫌悪が宿っている。彼ら彼女らも大人になった今、当時のアルバムをめくってあの頃は楽しかったねなんて言うのだろうか。写真は笑顔で撮らされるから、そこに映るかつての私たちは幸せそうだ。この中に虐げ、虐げられた者がいた事実などはまるで無かったかのように私たちは笑っている。
そして二番には「君」が登場する。

—ねぇ ねぇ
君を知ろうにもどっちつかずだ
きっと鼻に掛けるから
(中略)
朝焼けた色 空を舞って
何を願うかなんて愚問だ
大人になって忘れていた
君を映す目が邪魔だ—

MVの二番冒頭では少女がトランプで神経衰弱をする場面があり、赤と黒のトランプが対になって机から消えていく。そして最後に1セットのカードが残り、最後のカードを裏返す瞬間場面はブラックアウトする。小説を踏まえて歌詞を読むと、このシーンは周囲で結ばれていく男女と、選ばれない自分という現実の投射ではないだろうか。よだかと少女が対応しているならば、少女は優しい心を持ちつつも容姿に恵まれず、周囲の迫害を受けた。
そうして大人になった彼女と、彼女が想っていた「君」。

この部分の歌詞は当時の心を大人になった彼女が回想したものだろう。君のことをもっと知りたいけれど、みんなが知らない君の一面を知っていったらきっと自分は鼻にかけてしまう。自分は貴方の心の美しさを知っているのに、貴方の隣にいる人はいつだって見た目で君を好いているだけの奴らだ。人を見た目で判断する人間たちだ。そいつらなんかより自分の方が彼の美しさを深く知っているのに、貴方を一番近くで見ているのはそいつらだった。忘れていた、いつだって、君の隣で君を写している奴らのその目が邪魔だった—

はじめ私は、「大人になって忘れていた 君を写す目が邪魔だ」と言う歌詞は、忘れたはずなのにふとした瞬間瞼に鮮明に君の姿が浮かぶ、もう未練も期待も消えたはずなのに、どうしようもなく網膜に焼きついた君の姿を写す(自分の)目が邪魔だ、という意味に捉えていました。しかし、小説を読んだ後だと上に記したような捉え方もできることに気づきました。もちろん、解釈は色々なので一つの見方として捉えていただけると幸いです。

よだかの星は、優しさに溢れた小説です。冒頭に書いたあらすじでは伝わらない、賢治の文章から滲み出る優しさに溢れています。私自身愛されやすい人間に生まれてこれず、ひねくれた性格をアイデンティティにさえ昇華しようとしながら生きてきました。そんな中、理不尽な迫害を受けながらも弱さと優しさを保ち続けるよだかの姿に、優しく在りたい、愛されたいという、人の切実な願いを自身の中にも見つけ直せた気がします。「よだかの星」は10ページにも満たないような短編ですので、この楽曲とともに読んでみてはいかがでしょうか。

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