虫の気分でスイカジュースを飲んでいる

自分とは何だろうとここのところずっと考えている。

40を過ぎてなお、自分をいまいちプロデュースもマネタイズも、
もっと言えば趣味として成立させることすらできていないことが腹立たしいのである。

私は創作や表現に喜びを感じる性質がある。それはわかっている。

ものを知らない自分を恥じ、インプットしなくてはと映画や本や音楽にひたってきたけれども、アウトプットする爽快さに較べると、「知る快感」というのはあまりに小さく、地味である。
ただし、アウトプットにおいてもまた、貯蔵された知識なしには気持ちのいいものは出てこない。自分にないものは自分から生まれてこないということをようやく知った四十路である。

そうしているうちに、微妙に仕事が増えてきた。
余暇の時間が格段に減り、暇にまかせて趣味に耽ることがまったくできなくなってしまった。
やりくりした余暇で時間に追われながら詰め込む作業には義務感が勝り、ますますインプットが楽しめない。
かといってアウトプットには、それこそまとまった時間がないとできないのである。

眠る時間を減らせばいいと思う。
けれども生来燃費の悪い身体で、普通の人以上に眠らないと稼働できない。
7時間では足りないのである。
大した働きもしていないのに、まったく都合の悪い脳である。
身体的には眠れないことが最大のストレスであり、意思やら根性やらではもうどうにもならない。

すると、自分を楽しませる時間を作ることが睡眠時間を削ることになってしまう。都合、何もできずに日々が過ぎていくのである。

これはいけない。断じていけないと思い、今これを書いている。

世の趣味人はいかにして時間を作っているのだろう。

見ればツイッターには自作の素晴らしい絵を頻繁に披露したり、毎日のように新作のマンガを投稿している人々が大勢いる。慣れていればちょっとした時間でできるのかもしれないが、それにしたって数時間は要するであろう。
学生なのかもしれないが、学生だからと言ってそうそう暇でもあるまい。そもそもその若さでこのような技術を持っているのなら、美術界に向かってよりいっそう精進してほしいと思う。

問題は仕事を持つ人々である。休日にしても、私の場合は掃除や洗濯、買い出しなどの家事でほとんどが終わってしまい、1,2時間を作るのすら窮している有様である。土日のどちらかは人付き合いの用事が入ることも多い。
それがなければ1日空くが、大概はインプットのための読書や映画鑑賞で終わってしまう。

若い頃は、映画なんかいつでも行けると思っていたが、案外と興行期間は短く、封切から間もなくのうちに行かないと早朝とかレイトショーとか、ますます日程を混乱させる時間にしか上映しなくなってしまう。スクリーンも小さくなる。そういう失敗を積み重ねるうち、つい映画の優先順位が高くなってしまった。

映画は我慢できないこともない。そのうち配信されるし、何が何でも大画面で最高の音響で、と拘るほどのシネフィルではない。

だが、しばらく映画館にいかないとなんだか落ち着かないのである。定期的にビデオカメラが手を振り回す様子や、あまりかわいくないミス映画会社の情報案内をどうしても見たくなってくるのである。
お決まりの注意事項を見た後、いよいよ薄暗い空間で一人になり、あれこれと展開に心をさまよわせ、音に驚き、演者の笑顔や震えるさまや見栄を切る格好良さに目を奪われるうちに過ぎる2時間少々は、なにをするよりも自己を失っていられる時間なのである。

私にとっては、自分でなくなる時間が、芯からリラックスした状態であるようなのだ。

モノを書いたりしている今も、一種のトランス状態であり、自己の薄膜を解放している状態に近い。
敬愛する中島らも氏の言葉を借りれば、モノを書いているときの自分は媒体なのだ。
どこかから降りてきたものを指を使って吐き出しているだけであって、私は私ではない。
その感覚に身をゆだねることの気持ちよさといったらない。

話がそれた。

映画で時間を使うのはいいが、映画だけではだめなのだ。受け入れるだけでは、消費するだけではいけないと思う。

受け入れることは愉しく、らくちんである。

しかし自分が何をすべきかが定まらないうちは、その日常にある何もかもの目的があまりに曖昧で、意味がないことのように思えて、ひたすらにストレスに感じるのだ。

なぜ会社に行くのか。この仕事は何なのか。

仕事を終えて夕食を作る。栄養があって美味しいものを食べることはいいことだ。そういう小さな幸せを積み重ねることがいけないとは思わない。

だがそこに時間をかけすぎている自分にいら立ってしまう。

何かできないのか。もっと、何かが。

正解を探しながら夕食を作り、映画を観て、掃除をするうちに半年が過ぎ、また一つ歳をとる。

時間は作るものだ。だけど増やせるものではない。今あるものを削るしかない。

映画に行かず、掃除をせず、少しだけ睡眠時間を削る。それで作られるアウトプットの時間は、私を私たらしめる決定的な道筋を示してくれるのだろうか。

スイカジュース片手に、詮もないことを思い、迷っている。

私はカブトムシなのかもしれない。



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