知的武装記~学びの場について~ 2022年9月23日
<本日の研鑽>
①学びプロジェクト2022 セカンドプレゼンテーション
② 数検2級 2次試験問題 5問目に挑戦
③ 日蓮大聖人御書全集 新版4巻 「阿仏房御返事」読了
学びプロジェクト(個人情報保護のため本来の名称とは異なります)というものについて、今までやってきたことをまとめておきたいと思い書いてみました。
知識・知恵・アイデアを研究・探求・研鑽し共有する「学びプロジェクト」
2019年10月、「学びプロジェクト」なるものを始めました。このきっかけは、当初、友人から読書会みたいなことをやりたいとの発案からでした。
読書会のメリット・デメリット
まずは、読書会をベースに考えてみることにしました。すると、読書会には2種類あることに気づきました。それは「課題図書型」と「図書推薦型」です。
「課題図書型」は、1つの書籍を課題図書として、皆が読んできてディスカッションしあうというもの。ディスカッションすることで、自分では気づけなかったことに気づけるというメリットがあります。また、同じ書籍を読むことで共感は得やすい。しかし、書籍を選定するには、そもそも、誰かが読んで、提案しないといけません。また、趣味嗜好を踏まえたり、書籍の長さ、読書スピード、期限内に読み切れるか、などを考えると、共通理念のもと、1冊を決めなければならないことに気づき、難しさを感じました。
「図書推薦型」は、自分が面白かった本や趣味の本を自由に紹介できることが大きなメリットです。そのため、様々な書籍を知ることができます。しかし、小説などはネタバレにつながってしまうため、紹介しにくいという点があります。また、この手の場合、ビジネス書に陥りやすく、結果お金の儲け方のような本を紹介する傾向があるとの指摘がありました。本来、読書や本が好きな人からすると、本質からずれてしまい、居心地の悪いものをつくってしまうのではないかとの懸案がありました。
他にも、異業種交流や映画鑑賞・感想会なども考慮に入れながら、何かできないかと、模索しながら検討していきました。
WANTは何か?
検討する中で、そもそも、今「何が求められているか」に到着し、「WANT」を抽出していきました。すると、以下3点ではないかと思ったのです。
仕事を通じ、学びの重要性に気づきたからこそ、さらに加速させたい
不確実な時代だからこそ、自分自身の力を強化したい
他分野の知識を吸収し、幅広い分野に精通したい
こういったWANTがある中で、これが各自で達成できていない「疎外要因」を見ていきました。
学びたい欲求はある。しかし、それは個人の中で留まってしまう
学ぶべきという焦りはあるものの、期限がないから進まない
気になることはたくさんある。けれど、仕事に役立つことが最優先されてしまう
というのがあるのではないかと気づきました。
これを踏襲すると「学びたいという欲求はあるが期限がなく焦りがない」ということではないかと思いました。「期限をどう作るか」「たくさん学ぶにはどうすべきか」というのが、課題ではないかと気づきました。
このとき、解決策のヒントにとしたのが、大学の「ゼミ」でした。
私自身、工学系の大学院を卒業した研究室での経験を生かすことと、創価学会で3代会長であった池田先生が2代会長の戸田先生のもとで、日々の生活の中で薫陶を受けた、校舎無き大学である「戸田大学」に着眼し、大学のゼミのようなシステムを日々の生活に組み込んでみてはどうかと考えました。
教授無きゼミ
ゼミ ー理系の場合は比較的、研究室というー の中では、週に1回、論文発表という場がありました。これは各自の研究内容に準じた論文を紹介するというもの。大体5~6人いるので、1~2名づつ発表すると、大体月に1回は回ってきます。それと合わせて、その研究室の学術書の読み合わせがあり、英語で書かれている書籍の担当範囲が決められており、それを翻訳してくるということをします。
そして、それと合わせて、1年間で自身のテーマに沿った研究を行い、学部生であれば、中間発表と卒研発表の2回、大学院前期の場合は、1年次にテーマ発表、2年次に中間発表、修士発表の3回行われます。
この辺りの仕組みを使って、各自が1年間のテーマ決め、発表会を3回設けるという形を取りながら、期間内に自分が設定した勉強を進め発表するグループを作ってみてはどうかと思いました。主な活動内容は3つ
① 1年間の自身の研鑽テーマを決め、1~4月、5~8月、9~12月の3期間ごとに発表の場を設ける「年間メイン研鑽発表」
② 単発での読書会や、意見交換会など多目的に議論し合える場を作る「特別研鑽発表」
③ その他、発表ではなくテキストなどで読書感想文などを共有し合える場
を作り上げられれば良いのではないかと考えました。その上で、以下のことに注意しながら進めていこうと思いました。
賛同してくれる最大6人程度のメンバーで実施すること
創価学会の活動や信心の話も含めて話せる会にすること
日程と時間は随時調整(休日に最大でも3時間程度)
仕事やプライベート、様々な活動に支障を生まないように開催すること
年更新制とし、年末に翌年継続するかを話し合いにて決めること
としました。
個人的に、最も重要だと思っているのは、「解散する仕組み」を明確に入れている点です。このようなグループやチームを作る最初の時点で、「終わり」を考えておくということが、組織を継続していく上で最も重要であると考えたからです。なぜなら、「終わり」が見えないと、無理をしても継続していこうとしていき、必ずどこかで、ハレーションを起こしていきます。1年に一回でも、一度振り返りを行い、継続すべきか、解散すべきかを考えることで、組織の循環を促すことができます。そして、継続となれば、さらに良いものにしていこうともすることができますし、方向性が異なり継続不可能になった場合、解散という形で組織から逃げることもできるからです。
こんなことを考えながら、始めていきましたが、この会の大きなデメリットはありました。それは、各自研鑽してきたものの正当性が誰もジャッジできないということです。”教授がいないゼミ”であることから、本当の正解な情報化が分かりません。それは一つのリスクではありました。しかし、この会をつくることで、”多様な学びの場”を作ることができます。当初の友人からの提案としてあった読書会を開くこともできます。その他にも、情報の共有の場としても提供できます。仮に、仮に間違えた内容を話していたとしても、内々で行っている分、修正点を議論することもできます。そしてそれが、新しい気付きにもなると思いました。
”内容”にこだわるより(こだわりつつ)も、このような”学びの場”を作ることに最大の重きを置きました。
「学びプロジェクト」のコンセプト
「学びプロジェクト」のコンセプトとして、「知識、知恵、研究、アイディアを共有する会」ということにしました。このような大きな枠組みにすることで、学びに対する自由度と、継続的に変化をつけられる場としました。
なお、このプロジェクトでは、アメリカ国立訓練研究所の研究による、学習方法と平均学習定着率の関係である「ラーニングピラミッド」と照らし合わせ得て、各自の学びに効果を出していこうとしています。
このピラミッドと、私たちの学びをくっつけたものが以下になります。
このプロジェクトをいかに有効的に使うか、によって学びのチャンスを広げることになるのではないかと考えました。有効的に利用するということは、各自の主体性が求められるため、非常に難しい部分ではありますが、敢えて自由度を上げておき、会の中での企画、提案、開催などの運営をすることで、本来の仕事では学び取れない部分にも、フォーカスできるのではないかと思っています。
コロナで加速された学び
このような検討から始め実際にスタートしたのが、2019年10月でした。12月には、一人ひとりのテーマ出しをレンタル会議室を借りて行うなどしていきました。しかし、2020年にまさかコロナウィルスの感染拡大が起こるとは思ってもいませんでした。
幸いにもこのコロナの拡大によって、学ぶ時間が増えたことは確かでした。また、オンラインが一般化され始めたため、レンタル会議室の必要性がなくなりました。そのことで、世間でもウェビナーなどの需要が高まり、様々な学びの場を提供されるようになったのも事実です。そのあたりを参考に本プロジェクトを進めていきました。
このプロジェクトで、私自身が学び研鑽発表してきたテーマをまとめてみました。
「人工知能の作り方」 (2020年_年間メイン研鑽会にて発表)
「創価信仰学~『創価学会の思想的研究』を読む~」(2021年_特別研鑽会にて発表)
「創価学会における現代の立正安国」(2021年_年間メイン研鑽会にて発表)
「神学とは何か」(2021年_特別研鑽会にて発表)
「ルネサンスの扉」(2021年_年間メイン研鑽会にて発表)
「創価信仰学の実践的検討」(2021年_年間メイン研鑽会にて発表)
「三浦綾子『塩狩峠』読書感想」(2021年書評にて提出)
「この世界の生きにくさ~『悪の進化論』を読む」(2022年_特別研鑽会にて発表)
「データサイエンス」(2022年_年間メイン研鑽会にて発表)
文系と理系が混在した様々なテーマを取り上げながら試してきました。(聞き手側はかなり大変だったとは思いますが、、、)
念のため書いておくと、書籍ベースであり、かつ内々で行っているものです。これで論文を書こうとかといった気はありません。先ほどのゼミの話でいうならば、ゼミ内での論文発表のような意味合いが強いと思っています。そして、営利活動ではないということだけはご承知おき頂きたい。
ただし、もし可能であるならば、このような積み重ねが熟成されて、書籍一冊でも出せたらいいなとは、個人的に密かに思ってはいます。
学びを棚卸し、人生の残り時間を考えてみる
コロナ感染が広がったことで、社会情勢は今まで以上に不安定になりました。言い知れない未来への不安や恐怖があることを痛切に感じました。「本当にこのままでいいのか」という心の中の問いは、どんなに研鑽に時間をささげても、祈りをささげてもそうは簡単に取っ払うことはできません。あれも知らなければいけない、これも知るべきであろうと焦る日々がありました。
そう焦る中で、佐藤優氏の書籍の中に、学ぶことの重要性とともに、その残り時間を考える必要があるという記述を目にしました。そして、その学びには「上限があるもの」と「上限がないもの」という視点と、仕事や人生の中で「必要」か「興味」かで分けるべきだと気づきました。
このマトリックスを基に、自分自身の今の状況を載せてみました。こんな感じになる気がします。
そして、もう一つ、佐藤優氏の書籍で印象に残っていたのが、
「敢えて、終わらないテーマを作ること」
でした。
敢えて終わらないテーマを持つことで、自分の一生をかけてそのテーマを追い続けることになり、学びつづけることができるという意味です。この永遠的なテーマを設定したいと思うようになりました。
私の人生をかけた終わらないテーマ
私は元来、創価学会員であり、創価学会員というアイデンティティーを持っています。生まれて、物心着いたときには入会していました。小学1年生になる時には、御本尊に手を合わせ祈っていました。
「宗教は洗脳だ」などと豪語する人たちがいるのも知っています。確かに、洗脳されているのかもしれません。創価学会が正しいと、そう思い込まされてきたのかもしれません。だとしても、確実に言えるのは、自分の人生において「生きやすくしているもの」であることは間違えないと思います。
今まで人生の中で、自分が悩んだ時、その基準点に戻ることができるものがあるということが大きな価値あるものであると思っています。また、思いもよらないことや、自分の理想とは異なった方向に行ったときに、他人や周囲の環境のせいにするのではなく「必ずそこに意味がある」そして「この与えられた現実は必ず乗り越えられるものだ」と思えるのも、真の信仰を持つの者の力であり、真の信仰者の姿であると思っています。それを強く思えるのようになるための、創価学会という組織であり、御本尊に対する祈りであり、師匠池田先生という存在だと思っています。
とはいえ、現代に蔓延っている競争や能力主義、そして啓蒙的な物事を何でも合理的、また利益垂範で、考える人たちからすれば、宗教ほど得体の知れないものでしょう。そして、彼らの方が強い立場にいます。それは、誰もが認知できる見える世界で物事を判断しているからです。私たちのような信仰を持っている人たちは、目には見えない心の領域を重んじています。それは弱い立場であります。なぜなら、立証できないからです。「それってあなたの感想ですよね」と言われてしまえばそれ以上は反論できません。しかし、キリスト教や仏教を振り返れば約数千年という長きにわたって、様々な紆余曲折ありながらも残ってきました。科学などの発展に比べれば、かなり小さい変化の繰り返しながら、現代まで残ってきました。その時代、その時代ごとの、時代の要請に合わせ、メインとなる思想や考え方は、変化してきたのも確かではありますが、人間それ自身の本質は、過去から現在にかけて、さほど変わっていないというのも事実だと思います。古典を今読んでも、思いを馳せることができるのは、人間の悩みや苦悩、考えは本質的には変わっていないのだと思います。
その中で、我々の思想を、次の世代へ渡していくには、必ず積み重ねでしか渡していくことができないというのも事実ではないかと思っています。
このようなことを鑑みた時に、私自身にとって、終わらないテーマとは、「創価学会の仏法哲理をいかに次の世代・次の時代につなげていくか」というのが、私自身の生涯のテーマではないかと、今までの研鑽を通して、思っています。そして、今徐々に注目されている創価信仰学 ーキリスト教でいうところの神学ー の観点から、今まで見えなかった世界を見ていきたいと考えています。(詳細は省きます)
最後に
とはいえ、この社会の中で生き残っていくためには、自分自身の「使用価値」を上げていかなければなりません。現在、製造業コンサル会社(と言っていいのかわからないが、、、)のデータサイエンス分野に従事する私にとって、「データ分析スキル」「ビジネススキル」「情報系スキル」を磨いていかないといけない。データ群の中から、法則を見つけ出し、新しいものを生み出していくことが、できる力をつけていかなければなりません。また、その面白みも分かっています。
この「データサイエンス分野」と、先に記述した「思想哲学の分野」を、改めて客観的にみた時に、私自身の最大の興味は、「目には見えないものを如何に見えるようにするか」ということに、大いなる関心があることに、この学びを通して気づきました。
この「学びプロジェクト」を通して、研鑽していく中で、新しい自分自身の発見と可能性の拡大をしていければと思っています。