あと1年と言われましても(2)

【あの頃から始まっていたのかも】



 私たちは結婚して18年が経つ。恋愛結婚だが、私には親友と結婚したような感覚もある。

 10年ほど前、40歳の時に夫は退職した。
「一度きりの人生だから、今のうちにどうしてもチャレンジしたい事がある。作家として食べていけるように目指したい。でも今の仕事は忙殺状態で、二足のワラジでやっていくほど俺は器用な人間じゃない。だから、仕事を辞めて時間を作りたい」と相談された。
「いいよ!私が働くから主夫しながら頑張って!」と応援する事にした。
 確かに当時の夫は、休日も出勤する事が多く、有給も使うチャンスなく毎年消滅し、朝早くから夜遅くまで仕事に追われていた。精神的にも、うつ病発症ギリギリだった気がする。

 今さら私が働き始めたところで、夫ほど稼ぐことは不可能だ。私たちには子供がいない。生活費の足しになるくらいの仕事なら私でも探せそうだ。夫に収入が出来るまで、何とか質素に暮らしていこうと考え、あえて老後や年金生活についての思考に蓋をした。
 結局、夫の収入はゼロのままだったが、私の収入だけで何とか生活していた。
 この頃は「うつ病になる前に退職して良かった」なんて言っていたのに、今は『似て非なる病気』になってしまった。

 いつ脳腫瘍が出来たのかはわからない。ただ、5年ほど前から人が変わったように厳しい表情になりイライラする事が多くなった。
「仕事が思ったようにならなくて癇癪起こしてるのかな」「男性更年期?」などと考えて、夫の気が済むようにさせていた。甘やかしていたと言った方がいいのか、向き合っていなかったと言った方がいいのか。「夫婦なんて老後に向かうとそんな感じになっちゃうのが常なのだろう」と諦めていた。
 夫は一日中毎日パソコンに向かって頑張っていた。しかし3年ほどチャレンジして失意。その後、在宅でできるような作家的な仕事をネットで探していたようだが、うまくいかなかったようだった。
 折を見て仕事の進捗状況を聞いても「もうちょっと待って欲しい」「何とかするから!信じて欲しい!」と具体的な事は何も言わず、不機嫌になるばかり。詐欺師みたいに『黙って見守って欲しい』感じを出されても困る、と思いながら、私もウザがられるのはしんどいので詮索するのを止めた。
 相手を甘やかしてダメにしてしまうタイプの私は、将来への不安を感じながらも
「今までの大黒柱が夫から私になっただけだし、老後になるまでには、きっと何とかしてくれる」と自分の気持ちを誤魔化しながら働いた。
 ただ「結婚当初はこんな怒りっぽい人ではなかったのにな」と寂しく思いつつも、またもや「夫婦なんて老後に向かうと……ね」と一般論で無理やり消化していた。

 後からわかった事だが、脳腫瘍は腫瘍が出来る位置によって症状に違いがあり、特に高次脳機能障害ではさまざまな症状が現れ、感情のコントロールがうまくいかない事があるそうだ。徐々に病魔が忍び寄ってきていたのかもしれない。

 入院の数ヶ月前、「自分の自転車の隣に自転車が置いてある!」と夫が怒り出した事がある。そりゃあ置くでしょうよ。さすがに私もキレて説教した。夫は「……わかったよ。イライラしないように気を付ける」と弱々しく言ったが、それ以降、ほとんど怒らなくなった。と言うより、喜怒哀楽のすべてがだんだんと無くなっていった。

 私も夫も、おそらくHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)だ。繊細・過敏な部分が人より多いため、精神的に疲れやすい。でも私は自己肯定感が低く、夫は自己肯定感が高い。だから、人目を気にするポイントや、疲れの原因がお互いに違う。
 元々、夫の方が疲れやすいと感じていたが、どんどん疲れ度合いが増していって、最近は疲れると倒れ込むように眠ってしまう。2時間くらいの外出でも、24時間働いてたの?くらいの疲れ方だ。
 昭和生まれの私の良くないところだが、そんな夫の疲れやすさを「体力ないなー。運動不足よ」と根性論を出して呆れていた。
 そしてだんだん夫は無気力になっていき、会話も減った。
 当時の私に「呆れている場合ではなかったのかもしれないよ!症状だったのかもしれないよ!」と知らせてあげたい。

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