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あと1年と言われましても〜メモワール(4)〜




(4)

街の中はすでにハロウィーンも終わり、次のクリスマスの準備に入っている。

夫の脳がんは、脳の中心に新たな転移が確認されるも何の対処方法もなく、そして夫に何の変化も無かった。

体調も良いし、抗がん剤の薬は飲んでいるものの副反応などまったく無く、全然平気で普段通り過ごしている。

この抗がん剤は強い薬なのだろう。夫以外は触ってもダメで、夫も飲む時は手袋を付けている。でも、まるでサプリメントを飲んでいるかのようにケロっとしている。

脳は大事な場所なので、普通の薬は脳の防壁に阻まれてしまい、届かないから効かない。

この抗がん剤は脳がんにも効果がみられる数少ない薬とのことで飲んではいるが、おそらく気休め程度だろう。
それでも現状維持が少しでもできているなら飲み続けて欲しい。

すっごく高価な薬が気休めだなんて言いたくないけど。

そして他の臓器にも影響があるため、続けるにしても1年、長くても2年しか飲み続けられないとのこと。

1年……ここでも1年というキーワード。何でもかんでも1年1年って!うるさいって思っちゃう。

主治医が言っていた余命の「早ければ年内」が近づいてきている。

でも当の本人はすごく前向きだ。

「俺ね、作家になることはちょっと先まで置いといて、まず作曲家にチャレンジしようと思うんだ。俺、できる気がするんだよ。それでさ、ごめんけど、作曲するために必要なのがあって……買ってもいい?マイクとか……もしかすると新しいパソコンも必要かも……今度パソコン見に行こうよ!」など普通に将来への展望を話している。

作曲してネットで売れたら本より早くお金になるって思ったみたい。

夫は賢く感性の高い人でした。サブカル系というのかな、CDも本も部屋いっぱいあって、大御所ミュージシャンの人が「好きだ」と名指しするようなアーティストの作品がたくさん並んでいる。単館映画や監督さんにも詳しくて、アニメや漫画にも精通している。

そういう芸術に関する感受性が毒親の元で育たなかった私は、まったく無知で……夫には尊敬の眼差しでした。

ただねー、あんまり現実や将来への不安要素を考えてないというか、危機管理が……

メンタルおばけの口癖は「その時になったら考えるよ。何とかなるさ!」

日本という国は、生活保護とか色々と、困ったら活用できる仕組みがあるんだとさ。

私の性格上、生活保護を受けなくていいように今をがんばりたいんだけど。

やりたいことを悔いなくやらせてあげたい、でもお金が無ければそういう訳にはいかなくなる。

折衷案を何とか見つけなければ……と考えてる私に

「カラオケ一緒に行かない?どぶちゃんとカラオケなんて10年以上行ってないもんね、俺歌えるかな?高音出ないかも……」とデートのお誘い。

いつも優しい口調で私を和ませては「ま、いっか……」と思わせるのが上手な夫。

私はいつも夫を甘やかしてしまう。

夫もその甘やかしにどっぷり浸かっているけれど、いつも「ありがとう」や「ごめんね」を言葉にして私に伝えてくれた。

私は夫のことを『夫』としてだけでなく、父、兄、弟、息子、孫、親友、すべての関係性を夫に投影していたし、夫も私に対してはそうだったと思う。

そういう類のすべての愛が混ざり合って、なかなか厳しくはできなかったのかもしれない。

「カラオケに行っても高音を無理して出して、脳に負担をかけないようにね」と約束して、数日後に予約して出かけた。

まだコロナ禍だったこともあり、客は少なめだった。

店員さんに「アプリをダウンロードして頂ければ、特典が今日から使えます」と言われて、夫は受付でアプリをインストールした。

そしてカラオケを延長も含めて2時間、笑い合って、楽しんで帰った。

本当に楽しかったが、このカラオケ屋さんのアプリは、そのあと2度と開かれることはありませんでした。

(この時の楽しかったカラオケの思い出も、今思い出すのは本当にツラいです。こんなにツラい思いをするのなら、カラオケに行かなければ良かった、と思うほどに……)

そしてクリスマスソングの鳴り響く季節になり、パソコンを見に繁華街へ、手をつないで出かけた。

人から見るとラブラブな夫婦に見えるだろう。でも、世の中の『手をつないでいる人たち』や『腕を組んでいる人たち』の数%は、何かの深刻な理由があってそうしている人もいると、当事者になって初めて思った。

手をつないで通る細目の歩道や混雑しているところなど、夫は「通行の邪魔になるから」と手を離したがる。そんな道だからこそ危ないから手をつなぎたいのに、と思ってしまう。

「赤の他人に気をつかわなくってもいいじゃない!もう2度と会わない人たちに遠慮して、転んだらどうするの?!」と言って、無理やり手をつなぐ。

いつもは『人にどう思われようが俺は俺』主義の夫なのに、なぜかこういうタイミングでHSPが発動する。

私はこういう「2度とない」系のシチュエーションには強い。

パソコンを見に行き「高っっっ!」と言いつつ、どうしても欲しいというので渋々買った。

ノートパソコンを大事に運ぶ夫を支えて歩く私。

街のジングルベルは、この幸せな時間がずっと続くような錯覚を私に与えた。

翌年のクリスマスをひとりで過ごすことになるとは、その時点で想像できなかった。

そして私と夫は、年が明けてから激動の1年を送ることになる。


(5)へ続きます。近いうちにまた投稿しますね。

ここから先のお話は、ちょっと愚痴っぽい話が多めになりそうです。ツラいことが多かったので……

しんどい内容のお話は、読む側にも伝播しちゃいます。
心に余裕がない時は、どうぞ読み止めてくださいね。


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