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あと1年と言われましても 〜メモワール(1)(2)〜

(1)


改めまして、ご挨拶させていただきます。ニカと申します。先にエッセイとしてあげさせていただいた『あと1年と言われましても』の中に登場する『ゆま=どぶちゃん』は私のことです。このエッセイを書くことになった経緯は近々書くつもりですが、この話の続きは文章やルールにこだわらず、思ったこと、感じたことをできるだけ時系列で書いていこうと思います。気長にお付き合いいただければ幸いです。

そもそも2022年の初夏にエッセイとして書き上げていた『あと1年と言われましても』ですが、希望が詰まった内容に反して、その後は悲壮感漂う話となります。読むのがツラいと思われる方々もいらっしゃるかもしれません。私も思い出すのはツラいけど、私の話を知って「そっか、そんな感じでいいんだ」なんて別の視点を持てる人も意外といるかもしれない、なんて思ったりして。

HSPで繊細さんな私は、人のちょっとした言葉や行動で、いろんなことを思ったり感じたりしてひとりで勝手に疲れてしまいます。それが正しいとか間違っていたとか関係なく、負の感情は私を毎日クタクタにします。ただクタクタになるのは悔しくて、私なりの反骨精神で行動したり、自分ファーストを心掛けたりしています。私の経験を文字で読んだ誰かに、何か少しでも波紋のように届き、その人がピンとくるようなキッカケになれば私もちょっと救われるような気がします。

では、その後の日々を回想録(メモワール)として現在までの心境を綴ります。



(2)

私は仕事を辞めて、夫(なむちゃん)とできるだけ一緒に過ごすことを選びました。今後どうなるんだろう、介護とか?いつから?いつまで仕事しなくてやっていけるだろう?不安は尽きないけれど、先生は「早ければ春まで持たない」と言っていた。確かに今までの患者さんはそうだったのかもしれない。でも例外だってあるはず。今の夫を見る限り、健常者と変わらない。本人が言うには、「気をつけないとふらつくし、短期記憶がおぼつかないけど、あとは特に何ともないよ。どこも痛くないし食欲もあるし。どぶちゃんは心配しすぎだよ、仕事も辞めなくったってよかったのに」なんてカラッと言う。
余命の話を知らないからそんなこと言って……

確かに、このまま無収入のままでは、失業保険をもらっても1年くらいしか持たない。夫には長生きしてもらいたい。でも生活費、家賃、病院代もかかる。今はこんなに元気でも夫は重病人だ。前職のように夜勤があるような不規則な生活はできない。どうしよう。
この頃はコロナ禍でだんだんと在宅ワークが増えてきていたが、私が収入を得られるような在宅ワークは無かった。パソコンも苦手で資格も経験も無い50歳。そりゃ無いに決まってる。私が経営者だったら雇わないと思うし。

そこで偶然見つけたのが『エッセイ募集』だった。最優秀賞には賞金もある!
物書きを目指した夫の横で、夫のパソコンを借りて書きはじめた。
「見ないでよ!」と言うと
「見たりしないから大丈夫だよ。でもどぶちゃんがエッセイ書くなんてすごいね!がんばって!」とニコニコしていた。
よっしゃー!と2週間くらいで書き上げて応募した。
……ということで、その応募したのが『あと1年と言われましても』だった。
もちろん賞は何も取れなかったのだけれど、ひとつをやり切ったという変な自信が付いた。

私が働いている頃、夫から「どぶちゃんは思いを溜め込んで、いつもシンドそうだから、思いを文字に起こしてみたら?そして書き終わったら『よし!これで忘れても大丈夫!』って思えるようになったらいいなって思うんだけど」とアドバイスをもらったことがある。
そのことがキッカケで、何か感じたり思い出したりした時に携帯にメモってはそのことにフタをして前に進むようにしていた。
この行動でずいぶんと救われた。さすがなむちゃん!良いこと言ってくれた!ありがとう!今もそれで救われてるよ!

病院には1ヶ月に2度通院していた。高額療養費制度を使ってなかったら毎回とんでもない額の治療費!
抗がん剤って高い……
通院が始まって3ヶ月は「良いですね、変わりないですよ」と先生もニコニコして診察してくれていた。私も夫も嬉しくて、病院の帰りは必ず夫の好きなものを外食していた。外食といってもラーメンとか回転寿司とかだけど。

そのあともラノベのコンテストに応募したりして、何とか在宅で収入を得たいとがんばっていた。

私たちは時々散歩したり、自転車に乗ってあちこち出かけたりした。
夫が映画が見たいと言えば映画館まで付いていって、終わる頃にまた迎えにいけるように、私ひとりで近くをぶらぶらしたり、ベンチに座って時間をつぶしたり。
ずっと一緒なのだから、大好きな映画くらいはひとりで見たいだろう。

ひとりで夫を待ちながら考えていた。
何と愛らしく切ない光景だろう。
この愛しい思い出が未来の私の心に刺さって苦しめるのだろう。思い出したくない大切なしんどい思い出。この幸せが私の精神を参らせる。
その時が来たら、私はどうなるんだろう。この幸せ無しで生きていけるんだろうか?
結婚した時からずっと「夫が私より先に旅立ったらどうしよう」と心配していた。繊細さんならではの余計な心配。だから毎日の「行ってきます」や「行ってらっしゃい」が『今生の別れ』になるかもしれないといつも不安に思っていた。
それが現実となる。
寝る時も起きた時も「ああ、今日も生きてくれてありがとう」と感謝してしまう。身体が温かいことに安堵する。
いつかこの身体が冷たくなる時に私は立ち会わなければならない。80歳や90歳になっての看取りなら、こんなにツラくはならないのだろうか?いつもここまで考えてから「やめたやめた!考えてもしょうがないことは考えないようにしようって、いつもなむちゃんに言われてるでしょ!」と自分に言い聞かせる。
そしてまた、いつの間にか考え始めて眠れない長い夜を過ごしてしまう。当の本人はいつも隣でスヤスヤと気持ち良さそうに寝ているのだが。

そして夏がやってくる。

次回(3)に続きます。近いうちにまた書きますね。

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