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与作は木を切る 梶原石切る

一昨日(5月2日)は仕事の合間に垂井の曳山祭見学に。三役修業塾の仲間が大勢出場しているのですが、時間の関係で中町紫雲閣の「揚屋」と西町攀鱗閣の「石切梶原」だけを鑑賞。ここでは梶原について。

讒言で悪名高き梶原平三、彼が登場する物語で良く描かれることはほとんど無いのですが唯一の例外と言っていいのがこの「石切梶原」。刀の目利きとしての眼力を遺憾なく発揮して、最後には何とその名刀で手水鉢すら真っ二つ。

胸がすくようなフィナーレなのではありますが、「ホンマに刀で石が切れるんかい」とか「なんでわざわざ石を切らなあかんねん」と突っ込みたくなります。実はそんな疑問に応えてくれるブログをこの「ノート」上に発見したのですが、なぜか再びそのブログを発見できないので、あやふやな記憶をたどって書いてみます。

刀を買ってほしいと俣野五郎のところにやってきた六郎太夫。この人は(「鎌倉殿の13人」で山本耕史が演じていた)三浦義村の父義澄のそのまた父である三浦大助の私生児でありながら、実は家重代の名刀「野孤丸」を父から譲り受けており、売ろうとしたのもこの名刀。

父三浦大助はこの刀で玉藻前が変身した九尾の狐を切りつけて退治したのですが、狐は近寄るだけで生き物を殺すという恐ろしい「殺生石」となります。で、この石を玄翁和尚という坊さんが叩き割って狐を成仏させたという伝説があるそうです。先端の丸い金槌を「げんのう」というのは彼の名前に由来しているんだとか。

つまり荒唐無稽に見える梶原の石切もちゃんと根拠があり、野狐丸→九尾の狐→殺生石→玄翁という流れを歌舞伎で表現しているというわけです。あやふやな記憶で正確ではないところもあると思いますが、こんなことが書かれていました。

「石切梶原」には「〽表は平家の侍なれども我が魂は源氏の家臣」という浄瑠璃が出てまいりますが、もしかすると手水鉢は「平家」の象徴でこれを切り捨てる(成仏させる)べしという意味合いもあるのでしょうか。

さらに名刀「野狐丸」は「のぎつねまる」ではなく「のこまる」と読むそうで、「のこまるのこまるのこ」と言っているうちに「まるのこ(丸鋸)」になって、末の世までも石切に使われるようになった(わけないか)。




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