はしばにひでよし

4月と10月の年2回行われていた長濱八幡宮の神輿渡御、還御が4月のみに変更され、10月は神様のご旅行が無くなり少し寂しくなりました。10月といえば、その異称である神無月。昔この時期に全国の神様が出雲に集合したため各地の神社に神様が居られなくなったから、という説もありますね。
 
ところで長浜曳山祭に関して以前から不思議に思っていたことがあります。神様は4月12日(以前は13日)に御旅所に渡御され、15日の狂言終了後に還御なさいます。一方奉納狂言は15日に八幡宮本殿で行った後、道中狂言を挟んで最後に御旅所で再度奉納。
 
我々山組は両神前での奉納と呼びますが、神無月の伝でいけば、15日の朝に本殿には神様はご不在ではないのか?本殿と御旅所の両方にいらっしゃるというのであれば奉納はどちらか片方だけでもいいのでは?そんな疑問を曳山祭の歴史の生き字引であるNさんにぶつけますと、禁じられがちだった歌舞伎芸能を神事にかこつけ、あちこちで見せるため町衆が考え出した便法だったのだろうと。
 
さて歴史をひもとくと、江戸時代は秀吉公を表立って崇拝することはできなかったのですが、寛政4年(1729)11月に長浜八幡宮の御旅所に堂が建てられたのを契機に、翌年に八幡宮の蛭子神をここに遷して蛭子社(現在の豊国神社)を勧請。蛭子社は表の神様で、その奥には秀吉公が祀られていたそうであります。
 
もしかすると、御旅所での奉納狂言は裏に控える秀吉公へ捧げる町衆の気持ちも込められたもの。そう考えると納得がいくような気がいたします。さすが太閤殿下、「端場(はしば)に秘でよし」と自らの名をもって遺言召されたか。

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