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角松敏生 1981-2023

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大学時代の同じバンドサークルの同級生、角松敏生のデビューから現在までのキャリアを振り返ります。2024年の新譜やツアーについても更新予定です。
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#フュージョン

角松敏生 1981〜1987

J-POPの角松敏生のデビューから現在までのキャリアを振り返る第1回目です。時代ごとに指向するサウンドに特徴があり、中々面白いです。 実は私は彼とは同じ大学のバンドサークルの同級生。共に過ごした学生時代の思い出も合わせて振り返ってみます。 私たちがまだ大学3年生だった1981年6月、シングル「Yokohama Twilight Time」とアルバム『SEA BEEZE』で彼はメジャーデビューします。それまでのアイドル歌謡とフォークソングだけだった邦楽の若者向け音楽が、松任谷

角松敏生 1988〜1993

私の大学時代の同じバンドサークルの同級生、角松敏生のデビューから現在までのキャリアを振り返る第2回目です。 シティ・ミュージックなどの路線に一区切りをつけた彼が向かった先は、ニューヨーク・ファンクの世界でした。ザ・システムやチェンジなどの尖った硬質なダンス・ナンバーは確かに時代の音でしたが、日本ではややマニアックでしたかね。 NY現地のミュージシャンとも積極的に交流して、角松サウンドの進化は一気に加速していきます。 ・1988.02 Before The Daylight

"角松敏生 / SEA IS A LADY 2017" 俺のギターを聴け。こだわりのサマー・フュージョン再来。

1987年にリリースされた角松敏生の全曲インストゥルメンタル・アルバム『SEA IS A LADY』。当時、商業的には既にマニア化していたインスト物ファンのみならず、角松サウンドを支持していた普通のJ-POPファンにも受け入れられ、一定のセールスをあげることができました・・・何て書き方をすると業界人っぽいですけど、私は違いますw。 商業的な成功が無ければ、どんなに優れたミュージシャンでもアルバムは作れません。角松は幸い一定のセールスが見込まれると業界では認知されました。本当