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12. 心を閉ざしていた頃の話。


こんにちは。ぴーなっつです。
今回は、私自身の、かなりパーソナルな部分に触れてみたいと思います。



今年で22歳になる。

今でこそ、誰といても、どこにいても、ほとんど素の自分でいることができるようになったが、数年間心を閉ざしてありのままの自分を出せなかった時期があった。

それは、12歳からの約3年半、アメリカに住んでいたとき。
アメリカといえば、「自由の国」。どんな姿の自分でも受け入れてもらえるようなところだし、実際にそうだったと思う。

それなのに、あの時の私がそのままの自分をさらけ出せずに心を閉ざしてしまったのはなぜなのか、未だによくは分かっていない。


全てが辛くて苦しかったかというと、そういうわけでもない。アメリカでの生活は、もちろん楽しい部分もたくさんあった。
人生の中のこの期間は、大変で、楽しくて、辛くて、最高の日々だった。
今でも思い出すと、ほろ苦いような、ちょっと甘いような、変な気持ちになる。

今アメリカに行ったら、昔の自分とは違ってありのままの自分でいられるのかな。何か変わるだろうか。そう思うこともある。


アメリカに住むようになったことでそんな自分になってしまった理由として考えられるものも多少はある。

移住した当初、英語が全く分からなかった。クラスメイトや先生が何を言っているのか理解できない。本当に悔しくてもどかしかった。
生まれつき根っからのやんちゃ娘で人と接することが好きだったのに、伝えたくても伝わらない。
そのうち、自分が英語で話していることに対して過剰に敏感に反応するようになった。
「相手に変に思われてないかな。」
そう思って、どんどん話さなくなっていって、心も閉ざすようになった。

そういう私になってしまった経緯は、おおよそそんなところだと思っている。

アメリカ時代に撮った写真を見返すと、顔は確かにすごく笑っているけれど、あまり目に光がないような、そんな気がする。


育ち盛りの時期にしたこの経験は、私という人間を形成するにあたってかなり重要な役割を果たしている気がする。
アメリカに行かなかったら、環境が変わっていなかったら、私はどういう人間になっていたのだろう。何度もそう思うことがある。
それぐらい、この経験は人生の中で大きな出来事に感じている。


私が自分を取り戻したのは、日本の高校に通うために帰国した後だった。行きたかった高校に入れて、ずっと憧れだったその学校の吹奏楽部に入部した。最高の仲間に恵まれて、やっと自分をさらけ出せるようになった。


環境が全てではないと思うけれど、環境も大事ってことなんだと思う。



自分の奥底に眠っていた苦い感情についてnoteに書けるのも、家族や友人にnoteのことを教えていないから。
近しい人に言えないことでも、知らない人には言えることって結構ある気がする。
これから先も、私がここで自分のことを綴っていることについて、家族や友人に言うつもりはないし、それでいいと思っている。

内容も、私個人のことが大半だし、心に響いてくれる人も少ないと思う。
自己満ブログなのかもしれない。いや、きっとそうなんだと思う。

それでも、自分と向き合うことって大切なことだと思っているし、これからもその記録をここに残していきたいと思う。




最後まで読んでくれた方には、感謝です。


それでは、また。


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