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竈に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。

のんびりした山中の茶店の雰囲気を伝える。あたりの鳥の鳴き声が聞こえてきそうな風情である。

逡巡として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山の一角は、未練もなく晴れ尽して、老嫗の指さす方に巑岏と、あら削りの柱のごとく聳えるのが天狗岩だそうだ。

雨のなかたどり着いた茶店で火にあたりながら、いまや晴れ渡った山の景色は、文字通りの心象風景として清々しい。

「いえ、戦争が始まりましてから、頓と参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」

婆さんとの緩やかな会話に不意に闖入する、戦争の文字。ドキッとする。

やがて長閑な馬子唄が、春に更けた空山一路の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画にかいた声だ。

憐れの底に気楽な響きがこもる。さらりと書いてあるが、これが主題といえば主題であろう。

これからさきを聞くと、せっかくの趣向が壊れる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣を帰せ帰せと催促するような気がする。七曲りの険を冒して、やっとの思で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下されては、飄然と家を出た甲斐がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染込んで、垢で身体が重くなる。

嬢様の身の上話を婆さんから聞くうちに、戦争や金のことで浮世の重みが身に降り注ぐ。志保田の嬢様についての導入は、この婆さんとの会話の中で必要十分に語られる。

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