木について

 街を歩いていると街路樹というものが植えられている。自動車の窓から見える街路樹の幹はささくれだって傷ついているし、車道の間の狭い隙間に窮屈そうに等間隔に植えられているし、酸素を提供する労苦の割に酷い仕打ちを受けたものだと思う。
 原生林というものがあって、それは文字通り元々その場所に生えていた木々が残っている林なのだが、一つの空間として独特の力がある。さまざま種類の木が、互いを意識しつつ、しかし各々は一本立ちして、場所を作っている。例えばきのこ狩りなどで人間がそういう林に一歩踏み入れると、異物としての自分がはっきり感じられる。
 倒木。それも人間一代では到底生きられない長い年月、幾代も生きたであろう大木が根こそぎへし折られ、生きている木々の間に横たわっている。倒木の周辺にはどことなく暗い一帯が形成され、湿っぽくなっている。そういうところにきのこが生えていたりするわけだが、果たして、あとどれくらいの年月をかけてこの倒木は土に還っていくだろう。
 ふと生きている木を見上げる。大地の奥深く暗いところから水を吸い上げ、空の彼方明るい宇宙の果てと交信して呼吸する。酸素とか二酸化炭素とか、そういう知識はこの際邪魔である。ただ呼吸する。
 木は生死や明暗をつなげる存在であり、大地にしっかり根を張り、ひとり垂直に立つ。人間よりもずっと長い時間の感覚で、あるいはそもそも時間を超越して、存在している。空間に延ばした枝、幹の年輪、積み重なる落ち葉は流れ去る時間を空間化したものであり、耳の良いものならば木々の発する豊かな音楽を聴くこともできるだろう。静かな木は、無限の音楽を秘めている。

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