記憶

 ある春の朝、街路樹は緑に燃えていた。都会の雑踏に建つその産婦人科医院は、昭和の思い出に浸り続けているような出で立ちであったが、日々新しい命と向き合ってきたせいか、決して古びた印象を与えなかった。
 指折り数えて待つ、という確かな経験をそれまでしてきてこなかった僕は狼狽気味に一階の待合で看護婦の到着を待った。コロナの検査をしたのちに陰性とわかれば二階の分娩室に案内されるのである。数分の間であったが途方もなく長く感じられた。陰性、スリッパをしっかり履きなおして階段を登る。
 妻は分娩室に横たわり案外普通に見えた。しかし、後でわかることだが、このときすでに妻は夜通し気絶しそうな痛みに耐えたあとだったのだ。そんなことも知らず僕は、コンビニで買った無糖の紅茶のペットボトルの置き場を探したりしていた。
 朝の定時の時間になったせいだろうか、助産師さんが増えてきた。お医者さんも到着された。
 そろそろですかね。少し苦しがっています。
 にわかに緊張する僕を傍に妻は必死で産もうとする。不安?それは僕のためではなく、妻のためにある言葉だとやっとこのときわかった。
 その時が来る。妻の側からは見えない、向こう側で、頸に臍の緒をぐるぐる三重に巻きつけた我が子が顕れた。顔が少し蒼黒くなっているのが素人目にもはっきりわかる。僕の心拍数は限度まで上昇し、つい言葉が漏れる。大丈夫ですか。
 先生がすぐに鉗子を二つかけ、すみやかに臍帯を切断した。弱々しいながらも、その子が呼吸をしているのがわかる。
 大丈夫です。しかし、思ったより巻いてましたなあ。
 やっと対面できた我が子は想像以上に温かく、しっかりと生きていた。疲れきった妻に感謝して、胎盤の処置のあいだ、外で待つ。
 不意に、新生児室から我が子が看護婦に抱かれてやってきた。黒目がちな両眼をしきりにきょろきょろさせている。
 これほど新しい人を見たことはなかったので、僕は驚き、そしてその人が他ならぬ我が子であるという事実に、なんともいえない温かさを心の中で感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?