今を犯す

今を犯すということを自分勝手に解釈させてもらうと、今ここに存在している自分を蝕む外的要因と考えるのがまともではないでしょうか。しかし、犯すというのは自分の行動を表す動詞であるから、今を犯しているのは自分自身ということになります。では、私の体のうち一体何が私たちを追い詰めているのか。少し考えますてってってってってってっちーん思いつきました、欲です。私たちを取り巻く欲望という名の電車が、肉体を栗の塊と変貌させどこか遠くへ運んでしまうのです。

お前ほんとに男か

この電車はどんな形をしていると思いますか?皆さんも一緒に考えてみましょう…
そうです、円錐の形をしているんですこれが。つまり今を犯す、その為だけに電車は発進し、その尖った先頭車両を私たちのおしりに食い込ませてくる。絶望とはこう言ったものを言うのでしょう、と以前私が取材したある画家が言っておりました。彼は今を犯し、しかしそれと同時に今に犯されることを望んでいました。自分自らに体を明け渡すという至極感覚的な動作を彼はやってのけたのです。いつの世も芸術家というものは、作品の為に身を削るものです。まあ彼らの場合、もともとその身が作品を完成させることの為に存在している様なものなので、この表現は間違っているとも言えますが。そのような自己破壊の精神に囚われた芸術家が、今という存在証明の最たる部分を犯す、犯す、犯す。それも、私たちのような守りに入った人間には想像もつかないような速さで、です。すごい速さ。芸術家と言っても広いもので、お笑い芸人なんかもこれに当たると思います。
では、こうまでして今を犯し続けた人間は、何処に向かうのでしょうか。正解は、川です。川と言ってもただの川じゃないです、三途の川です(笑)私たちは言うまでもなく、三途の川に合流するためにそれぞれの支流を泳いでいきます。だとすれば、泳ぎ続けることなど無駄ではないか、そう考える人もいると思います。しかし、私たちのクロールが少しでも川底の石に触れた時、世界の形は微笑ですが、しかし決定的に変わります。それでも中には天才と呼ばれる者がいて、泳ぎの1動作でゴッッッッソリいきます。しかし気にする必要は無いと思います。私たちは他人の川を泳ぐことはできません。しかし、泳ぎ方を真似ることは出来ます。それぞれの天才達から学び、自己流の泳ぎ方を見つけ出してください。それが人生というものなのです…今を犯し続けろ…

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