大学の話

うちの大学広いんですよ。dakarananyって話かもしれないけど、広いせいで遅刻ギリギリに授業する教室に出たりする。そしてそれよりもohなのが、人が散らばる。上から見たら破損した飛行機の画像みたいな点々になってると思う。そのせいで高校の時みたいに生活を見せてなかよくなる作戦が使えなくなった。自分は基本図書館にいて、なら生活見せられるやんと思う人もいるかもしれないけど図書館でみなさん何するって本読むか勉強でしょ。後スマホでクソゲー。そんな人が他人を気にしますか?偏見とかでは無いですからね、ただ確認をするだけです「ひかまに」
ひかまにって平仮名で書くと習字みたいですね。そんなんじゃなくて、だからそのブン投げた歯車が時計を作るみたいな奇跡は起きないということが言いたい。だから自分も仲良くなるにはぶつかって行くことが必要で、それを社会性などと言うのかなあとか思ったりする。もう高3の時からそれ(間違った行動や話すこと自体でなくて溶け合うこと)にたいしてトラウマを持ってたから、自分は誰に向けているのか分からないポーズを出来るだけ粘り強くしているけど意味あんのかこれ
何が違うんでしょうコミュニケーションとは何でしょうか?コミュニケーション能力って自分が何を思ってるか、みたいなものを取っておくまたは残しておく力のことだと思う。逐一出される話題(お題)に対しての自分の意見とかその状況に置かれた時の情熱ある一文をどれだけ自分が保管できるかで会話の濃度って上がる気がする
自分は昔から記憶すること自体が苦手で、日本史も好きだったけど点数は伸びなかったな〜
小説も語り合うほど長期記憶出来なかったことを思い出して、もうどうすればいいんだよ…となってる
まあでも生大喜利していれば会話って必須ではないにしろ何処かで発生するわけであり、それをサボってると注目度も回答への目線も育たないとまでは言わないけど若干のズレが生まれるからテクニックではあると思う。「話し方が9割」↩︎うるさいわボケー!話し方と言うよりも話す、となったらその会話の中の空欄を埋めるために出来るだけ歌とか歌ってたいですね〜っていう本音がある。歌うことが恥ずかしいとかそういう話ではなく、埋めて埋めてずっとうるさい状況を保ちたいという話。希望です。ただの。だから克服のために最近はノートに物語書いたり、日本文学の朗読を聞いたりしてます。話題作りと言うよりも自分にフォーカス当てた育成だから付き合い方次第ですけどねーーーーーーーー!

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