大喜利たろう

自分の大喜利の肝となっている大喜利たろうについて少し考え方の変遷をまとめてみようと思いました。完全に自己満noteなので読まなくていいです。少し頭を整理したいだけなのです。まず始めた時は何をしてたかな〜大喜利茶屋から入ったので、ロジック(ロジックは無いですが)回答をしていたと思います。しかし全く点が着いてこなかったことは懐かしいです。そこから少しやり込んでいた時期が自分の理想的な時期だったと思いますが、この時の感覚が全く思い出せません。ここからがインターネットさんが短いスパンでスペースをしてくれていたので、それをモチベーションにして褒められるような大喜利を心がけていました。これは自分の普段からの生き方も同じですが、基本的に人に見られていることを意識できる時はその人に好意を持たれようと務めます。自分のボケであるという意識はないです。冴えてはいるのですが感覚的に子供の回答をしていたと思います。考える順番はひとつも覚えていません。大体調子がいい時はひとつも考えずに回答が出てきます。脳みそを使った記憶が無いんですよね〜酔っ払っているような状態だったと思います。最強です。その後はキモい大喜利を目標にしていきました。キモいというのはワードがキモいとかではなく、少しのズレや違和感が回答から漂っていて、それが受け手の中で広がっていくような回答のことです。正直この思考から自分の中の大喜利がズレ出したと思います。生大喜利も並行して始めていたのですが、初期にしてはウケが良かったと思います。しかしそれは回答の根本としてのシュールさがウケていた訳ではなく、ひとつの回答を考えた後にワードを変えたり語尾を変えたりと、死体をいじくるようなボケを連発していました。表面上はそれでいいのかも知れませんが、ストックが尽きた時にそれでは未来がないと気付きました。しかし気付いた時には既にウケが悪くなり、大喜利が何かを見失う時期に突入していました。という訳でして2月頃に大喜利を辞めようと思い、茶屋たろうネタボケ登竜門など全ての投稿をやめ、既に組んでいた一致団結(ウラニワさんの企画)などを消化して出ていこうと考えました。ズレるので話はしませんが、回復しました。そして自分は、子供の回答(表現がという訳ではなく、ワードという訳でもなく、魂が子供)を理想にしましたが、これも何故か心がすり減ったので辞めました。今はヒカマニ回答をしています。ちゃんと整理したいので書くと、現在はシュールさ1本を意識してやっています。こいつがこんなことしてたら違和感がある、でも特段ヤバい行動では無い。そんなものを意識した回答をしていて、それが今では自分のスタイルになりつつありますなあ、そうに決まってる。

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