選択の連続

この間、短大時代の親友と4年と4ヶ月半ぶりに再会してきた。横浜へ1泊2日の旅。

お昼に新横浜駅で合流、ホテルに行って荷物を置いて
すぐに中華街へ繰り出して、お目当ての杏仁ソフト🍦と
パンダまん🐼を食べて、暑かったのでお店に入って
ランチセット(私はエビチリ、友達はチャーシューメン)を食べ、ホテルに戻って休憩して、寝て、夜は居酒屋へ。
3時間ほど、写真も撮らずに、飲んで食べて話していた。
そしてホテルに戻って、1時間ほどだべって、
お風呂に入って、ベッドに入って、更に30分ほど話していた。話は尽きなかった。

その夜の友達との話の中で、私たちの出逢いの話になった。
私たちは短大時代の友達で、もちろん同じ学校だったけれど、学科は違って、サークルもバイトも違った。それなのに、毎日のように一緒にいたし、近くの公共施設の駐車場で夜中に星を見上げたり、2年間で3回旅行に行ったり、ほかの友達以上に同じ時間を過ごしていた。あの時Twitterを始めて#春から○○大 のタグツイートをしていなかったら。あの時繋がっていなかったら。あの時話しかけなかったら。
そしたら私たちは出逢っていなかったし、こんなに仲良くなっていなかったよね。本当に奇跡だよね。そんな話をした。

どこか1つでも、違う選択をしていたら、きっと全く違う道を歩んで、全く別の人生だったんだろうね。と、そんな深そうな話をした。

私は常々、1つしか選べないのは難しいし、あの時、あっちを選んでいたら今頃どうなっていたのかな、と考える。ゲームのように、別の選択肢を選んだ先も見れたらいいのにな、と思う。
だけど、その時その時で別の選択肢をしていたら、きっと私は、今の私ではないんだろうな、などと考える。

私は高校生の頃、教育、特支教育、文学、言語、発達心理…など、たくさんのことに興味があって、それらの中から1つを選ぶと思うと難しかった。
短大の頃、就職先を決める時も、職種から働く場所から色々なことを選ばなければならなかった。

きっと、学ぼうと思えば今からでも興味のあったことは学べるだろうし、職場だって、変えようと思って自分が動けば転職だってできるだろう。
でも、その時は1度しかなくて、取れる選択肢も1つしかない。
そしてそれは、進学や就職といった人生の転換期だけに限った話ではない。
毎日の生活も、選択の連続だなと思う。

何を言おうとしていたのか、まとまらなくなってきた(笑)
まだ見ぬ誰かとの出逢いや、全く別の生活があったかもしれない選択を取れなかった代わりに、大好きな人達に出逢えて生きられている今は、自分や誰かの選択の上に成り立っているんだなと、そんな当たり前だけど普段は考えないようなことを考えた時間だった。

何かひとつでも違っていたら、出逢えなかったんだと思うと、なんかすごいね、面白いね、と夜中のテンションで語り合ったあの時間は、とっても幸せな時間だった。

4年ぶりに会ったのに、この間ぶり〜くらいの感覚で、1泊2日では足りないぐらい楽しい時間を過ごせて、色んなことを考えた、素晴らしい旅だったな〜と、1週間経って、書きたくなったから、書いてみた。
まとまりのない長文だけれど、最後まで読んでくださった方がいたら、嬉しいです。読んでくれてありがとう。

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