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[ 観博録 ] No.04

[ 観博録 ] 2024.04.02(Tue)

橿原考古学研究所附属博物館で特別公開されている富雄丸山古墳の蛇行剣を観に行ってきました〜!

セフィロスの正宗よりも長い鉄剣「蛇行剣」の科学的調査と応急的保存処置が済んだため、県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会が3月26日に共同研究成果を発表しました。これまでに例のない刀と剣の特徴を併せ持つ特殊な構造であることが明らかになりました。会期が3月30日(土)から4月7日(日)の一週間ほどと短く、今後の本格的な保存処置作業が始まる前のチャンスを逃すまいと思い、頑張って早起きしました。開館時間は9時からなので、9時半ごろに到着すると長蛇の列が!学部生時代、しばしば橿考研に行っていましたが、こんなに人が並んでいる光景は初めて見ました。それだけ今回の発見に注目が集まっているんだなぁと、とても嬉しくなりました。

今回の蛇行剣の重要ポイントは長さだけでなく、鞘尻部分にある「石突(いしづき)」も見どころです。そんな魅力的な蛇行剣ですが、まずは蛇行剣が発見された富雄丸山古墳について知っていこうと思います。

富雄丸山古墳

富雄丸山古墳は、奈良市丸山一丁目に位置し、古墳時代前期後半(4世紀後半ごろ)に造られた直径約109mを誇る日本最大の円墳です。北東側には造出しと呼ばれる張り出しもくっ付いている形になっています。

富雄丸山古墳発掘区配置図
@奈良市役所HP

江戸時代末期の「聖蹟図志(せいせきずし)」にも藤原帯子墓である河上陵として絵図が記されており、この場所が当時から古墳として知られていたことが分かります。この絵図では富雄丸山古墳が茶臼山とされ、現在の茶臼山とされている所が丸山となっており、昔の人も勘違いをすることが知れて面白いです。1972年、宅地造成を契機として奈良県が初めて発掘調査を実施し、墳頂部に埋葬施設が確認されました。それから40年後に、奈良市教育委員会が航空レーザ測量を実施し、2018年度より発掘調査を始め、現在に至ります。2022年度の第6次調査では、埋葬施設が造出し部分にもあることが判明し、そこの被覆粘土中に鼉龍文盾形銅鏡と今回の蛇行剣が副葬されていたのです。国宝級の大発見って、古代のロマンを感じますよね。実にグルービー!富雄丸山古墳周辺には、築造系譜が継続していることが分かる佐紀地域や斑鳩・平群地域と単独・散発的な築造不明で系譜が分からない富雄・矢田・郡山地域の2種が見られます。これらの地域から富雄丸山古墳の特質を割り出せるかもしれません。誰のお墓なのか解明される時が待ち遠しいですね。

巨大蛇行剣

2023年1月25日水曜日、富雄丸山古墳の造出し部分から世界最大級の巨大な鉄剣「蛇行剣」が鼉龍文盾形銅鏡と共に出土したと発表されました。正確な発掘位置は、発掘区配置図のF発掘区。造出し上段にある長さ約7.4m幅約3m深さ約1mの長方形型墓坑内で長さ約6.4m幅約1.2mの粘土槨(埋葬施設)が確認されました。造出し上面円丘部側の被覆粘土中に、鼉龍文盾形銅鏡1面と蛇行剣1本が副葬されていました。鼉龍文盾形銅鏡をブロック状の粘土で埋めてその上に水平面を作り、水平面上に蛇行剣が置かれていたのだそうです。

全長237cmもある蛇行剣は、刃部(じんぶ)が6回も屈曲してあります。これまで知られていた古墳時代最長の蛇行剣は全長84.6cm(奈良県北原古墳)でした。鉄剣としても全長115cm(広島県中小田2号古墳)が最長で、富雄丸山古墳の蛇行剣はそれらを遥かに超える長さです。中国遼寧省喇嘛洞(らまどう)ⅠM10号墓の中国で1番長い鉄剣が138cmなので、富雄丸山古墳の蛇行剣は破格の大きさということが分かります。世界的にみても貴重な蛇行剣と同時に出土した鼉龍文盾形銅鏡の重要性に鑑み、奈良県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会が「富雄丸山古墳共同調査研究に関する協定」に基づき、橿原考古学研究所において応急的な保存科学的処置を実施。蛇行剣の表面をアクリルで強化し、ガーゼで補強、そしてウレタンで包んで橿原考古学研究所へ搬入ののち、透過X線撮影。

全体を14分割して撮影した透過X線の線写真を
1枚に合成

撮影後、ウレタンを開梱し、ガーゼを取り除きます。クリーニング前の「今の姿」を記録に残すため三次元形状計測をし、いよいよ顕微鏡を覗きながら少しずつ表面と裏面の土を取り除くクリーニング作業が開始。室内での慎重なクリーニングと分析により、蛇行剣に取り付けられていた木製装具(把と鞘の部分)の全容が明らかになりました。把(つか)と鞘(さや)部分を含めると、なんと総長285cmにもなります。

手で握る部分の把間(つかあい)以外は全面に黒漆(くろうるし)が塗られており、直線や曲線の文様があるそうです。(ガラス越しだったので、肉眼では確認出来ませんでした)この大きな楔形把頭(くさびがたつかがしら)は、4世紀末以降、剣ではなく刀に見られる特有の形態です。今回の蛇行剣に見られた楔形把頭は最古の事例になりますが、それが刀ではなく剣で確認されたこともまた大発見なのではないでしょうか。

把の部分

さらに、鞘口と鞘尻にも黒漆が塗られ、鞘口にも文様があるのだそう。鞘尻の先端には長さ18.5cmの細長い突起が付いているのが分かります。これは剣を立てて置いた時に鞘尻が直接地面に触れないようにするためのものと考えられ、槍や薙刀、洋傘にも付いている「石突(いしづき)」「鐓(とん)」と機能面が共通していることから同様の名前が付けられました。このような突起が古代日本の刀剣の鞘で確認できた例は今回が初だということで、大発見づくしですね。

鞘尻と石突

木製装具は木の部分がほぼ腐って消滅した状態で、今回ほぼ完全な形で検出に成功したのは黒漆の薄い膜のみで、粘土中にパックされて残っていたそうです。奇跡ですね。此度の保存科学的処置では、屋外での発掘調査だけではほぼ検出不可能な重要情報を得られたという、考古学と文化財保存科学の連携発掘調査において本当に素晴らしい成果だと思います。鼉龍文盾形銅鏡の詳細も楽しみですね。2mを優に超える蛇行剣が見つかったとニュースで知った時は、飛び上がるほど興奮しました。学部生時代の考古学専攻だった友達とワイワイ話し合ったのを覚えています。その時に友達が、漫画ベルセルクに登場する主人公ガッツの武器「ドラゴンころし」のセリフ「 それは 剣と言うには あまりにも大きすぎた 大きく ぶ厚く 重く そして 大雑把すぎた それは 正に 鉄塊だった 」を引用していて、言い得て妙だなと思いました。蛇行剣は日本で85例の出土が確認されていますが、これらは全て古墳時代中期(4世紀末)以降の古墳からの出土で、今回の出土例は前期末(4世紀後葉)まで遡る最古の例であると、奈良市役所の公式YouTube動画で知り、本当に大発見だったんだなぁと改めて思いました。鼉龍文盾形銅鏡も早く生で観たいです。

世界の蛇行剣

蛇行剣と言えば、インドネシアの短剣「クリス」を思い浮かべる人は少なくないはず。クリスは、インドネシアなど東南アジアのマレー半島などで広く使われた伝統的な鉄剣で、神秘的な霊力を宿すと信じられてきました。その霊力によって持ち主を守護するとともに、持ち主の威信を象徴する剣でもあります。現在でも、儀式や芸能の際に正装の男性が腰に差す習わしがあり、結婚式ではラッキーアイテムとして新郎が身に着けるのだそうです。英語のスペルはkrisもしくはkeris。起源はジャワ語とされており、「刺す」や「貫通する」という意味の古いジャワ語「ngiris」から派生したとの仮説があります。2005年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。刃先が蛇行している剣は他にもあります。フランスの両手剣「フランベルジュ」は、刀身が波打つ形状をしています。うねる刀身が炎のように見えるため、フランス語で「炎の特性」を意味するflamboyantが由来とされています。一般的な剣よりも刃の部分が蛇行しているため、フランベルジュで切られると、傷口が複雑になるため、実戦における殺傷能力は高かったと思われます。さらに当時は衛生環境も悪く、傷口から破傷風などに感染して命を落とす恐れもありました。しかし、ピストルなどの銃器が開発されると、実戦での使用頻度が減り、代わりに美術的な装飾性が高まり、儀礼用として作られるようになりました。日本のご近所さんである中国にも「蛇矛(だぼう・じゃぼう)」という矛があります。こちらも刃先部分が蛇行しているため、敵を刺した時に、傷口が左右に広がり治癒し難いという特徴を持った武器です。また古代メキシコのアステカ神話に登場する最高神ウィツィロポチトリが使用する炎の蛇型武器「シウコアトル」も蛇行剣の一種と言って良いかもしれません。アステカ神話の中では、ウィツィロポチトリの姉コヨルシャウキが母コアトリクエを殺害しようとした際、ウィツィロポチトリが姉の胸元にシウコアトルを突き刺したと伝えられています。あくまで神話ですので、実戦で使用されたかは分かりませんが…。

上塩冶築山古墳サテライト展

折角なので、本家である橿原考古学研究所にも寄ってみました。

上塩冶築山(かみえんやつきやま)古墳出土品の研究成果のアトリウム展示がやってました。

案内板には、「蛇行剣の展示は博物館です」との注意書きが(笑)

中へ入ると天井が高く、開放感がありますね。上塩冶築山古墳は、島根県東部の出雲市にある出雲最大級の円墳です。1924年に国の史跡、2018年には出土品が国の重要文化財となりました。中国地方と四国地方で、古墳と出土品がともに国の文化財に指定されているのは、松江市岡田山1号墳と合わせて2例しかありません。したがって、上塩冶築山古墳は列島の古墳時代後期(6世紀)を総合的に理解する上で重要な遺跡です。上塩冶築山古墳から出土した金工品の材質と工芸技術を、最新科学技術と子細な調査・分析成果が紹介されていました。中でも興味深かった内容として、調査に使用された機械の紹介です。蛇行剣の撮影にも使われた透過X線撮影装置や光線を用いて計測する三次元形状計測機など、一度で良いので使ってみたいですね。

さらに、3Dプリンタで出力した赤鞘の太刀の模型が展示されていました。この赤鞘の太刀は、金銀装捩り環頭太刀という太刀で、顕微鏡観察の結果、鞘が赤いことが判明しました。通常、鞘は腐ってしまって跡が残ることはありませんが、この太刀には奇跡的に残っていた部分があったため、当時の色使いと形状が復元出来たそうです。科学調査で確認された古墳時代の「赤鞘の太刀」は、他に例を見ない貴重な発見となりました。出土品の形や構造、成分などを解明する手助けとして、眼に見えない透過X線や蛍光X線などを使用することで新たな科学的発見があるのだと改めて知る機会になりました。今後も比較研究や調査に最新科学分析も加えて、取り組んでいただきたいと思いました。

---追伸---

橿原考古学研究所附属博物館の年間入館者数は約5万人で、普段は並んで入る事なんてまずありません。しかし、今回は8日間という短い開催期間だったにも関わらず、なんと総来場者数が1万6千人と、年間入館者数の3分の1近くにあたる人が来館したことになります。2020年度に文部科学省が実施した1施設当たりの年間利用者数の平均が5万2630人で、コロナ禍前の2017年度の11万6131人から55%減少し、この20年ほどで最も少なくなっていると発表されています。富雄丸山古墳の蛇行剣は、この博物館利用者数の減少に、新しい風を吹き込んでくれる存在にもなるかもしれません。30年前の金印の特別展を担当した川上洋一館長は、「金印の時でさえ多くて一日で千人ほど。今回は勢いが違った。」とコメントしています。撮影が可能であったため、気軽にスマートフォンで撮影し、SNSでの拡散が来館者増に功を制したとみられています。SNS恐るべし…。これからの考古学に注目ですね。それにしても、もう少し公開を延長していたらなぁと考えずにはいられません。しかし、蛇行剣の保存処理が行われておらず、劣化を防ぐために公開期間が短くなってしまったのだそう。今後、本格的な保存処理が数年かけて行われる予定ということなので、次の公開は暫く先になりそうですね。

入館時に貰えるスタンプかわいい!
常設でも展示されてましたね笑
出口の壁に富雄丸山古墳の記事が!
もう一方の壁にも!

参考資料
○「富雄丸山古墳発掘調査報告書1-第1〜5次調査-」奈良市教育委員会
○「富雄丸山古墳の発掘調査第7次調査」奈良市教育委員会

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