20240210.ウィッシュ

というわけで、ディズニー100周年記念映画『ウィッシュ』を観に行って参りました。本当はもう少し早くに字幕も見たかったのですが、あれやこれやと見たい作品が増えてしまい漸く観に行く事が出来ました。

個人的には同時上映短編『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』がとても楽しかったです。懐かしいキャラが揃い踏みでウキウキしちゃいました。『星に願いを』繋がりでウィッシュの本編に突入していくのは個人的に面白いなと思った次第です。

ウィッシュ自体は歌が多くて結構楽しかったです。良曲が多い。
その分というわけでは無いですが、物語展開としては結構音楽頼りである印象を受けました。流れとしては王道なのかもだけれど。

どんな願いも叶うというロサス王国。
旅行者たちを歓迎した際にアーシャが歌っていた歌詞から察するに華やかで夢がある豊かな国である印象を受けます。アーシャは100歳を迎える祖父 サビーノと母と3人暮らし。アーシャは魔法の力でロサス王国の国民の願いを叶える偉大な王 マグニフィコ国王の弟子となるべく面接を目前に控えていた。

弟子になろうとする理由が、王が願いを叶えてくれる可能性が上がるからって辺りがなかなかに打算的な理由でちょっと笑うところ。そもそも、弟子入りしてすぐの弟子の身内の願いを叶えはせんやろ。まあ、理由はどうあれ、もう随分と年老いた祖父の願いを叶えたいという意味では大切な人の力になりたいという気持ちの強いの子なんでしょうね。どういう経緯で王妃 アマヤの後押しをもらったのかその辺りちょっと気になったり。

何事にも積極的なのか、アーシャは友人も多く、特に親しい友人が7人。その中の一人、サイモンは最年長で既にマグニフィコ王に願いを預けているらしい。それ以降、以前よりもどこかつまらないやつになってしまったと言われます。めっちゃdisるやん。ここで分かるのが、ロサスの民は18歳を迎える際に願いを差し出すということ。『叶えたい夢=願い』だとすると、そりゃそれが失われたら活力も無くなるよね。

願いを差し出すと同時に、己が何を強く願っていたか忘れる。その事実を知ってる視聴者からすると普通に恐ろしいと思うのですが、幸い、この世界ではそんなこと知る由もなく、なんと何を願っていたかさえ忘れてしまうので、あとはただ流れる時間に身を委ねるだけ。いつか叶えて貰える日を待ち焦がれて生活を送る。……一見するとそれもまたアリかも知れない。幸せな生き方だとも言える。ただなんというか、納得いかないなぁと思うのは夢は自分で叶えるものって観念があるからなのか。

ただまぁ、マグニフィコ王も別にただ収集家だからってわけじゃなくて、国を統治していく上で願いを管理する事が最適解だと思ったんでしょうね。かつて自分の家族を略奪者の襲撃により失ったマグニフィコ王は同じような事を起さないために魔法を学び、ロサスに国を建て、民を守り続けて来た。願いを集めるのはその願いの中で国益になるものを選び取る為。有益である願いは叶える。まあ統治する立場で、なおかつ無限に願いを叶えられるわけじゃないので仕方ないと言えば仕方ないのかも知れない。

ただ、その基準をたった一人に据えるのって危険すぎないか?って、話。アマヤ王妃は魔法が使えないので、その辺りの采配はおそらくマグニフィコ王に委ねていたんでしょうけど、いやそれどうよって感じ。彼の国を想う心は本当なのかも知れない。だとしても、叶えられない願いなら本人に返せば良かったんですよ。それが出来ないのは、不平等になるからだし、その不平不満が積り積もって国に災いを齎すからだろうと考えたんでしょうけど。忘れているとはいえ、夢とか願いって人に活力を与えるもので、下手すれば己の根幹に近しいものである可能性すらある。それを失くす事は果たして幸せなことなのかって話。

いつか叶うかも知れないって思い馳せる。真実をずっと知らずにいれば出来る事だし、それはそれで幸せだと思う。ただそれを良しと思わなかったのがアーシャだった。歌詞にある通り、彼女は願いを抱くことは自由であり、その願いを叶えるべく努力することもまた自由であると考えている。マグニフィコ王が民の願いを集め掌握する事はおかしい。それも一つの考え方だとは思う。結局、どちらにも己の正義があるので二人の道は交わる事が無いのかなって思う。大きさは違えど守りたいものの為に貫いたってだけ。

物語の様相が大きく変わるのが、アーシャが己の無力さを嘆きそれでも尚、己の願いは間違っているとは思わない。だけどそれをよしと思わない人たちがいる。何が大切なひとの為になるのかと迷走する中で、アーシャの願いに呼応する星の輝きが一つ。個人的にスター登場の時の曲がノリが良くてすごく好きです。今回本当に曲がお気に入りが多くて。ウィッシュって実際にミュージカルとかで演じるにしても楽しそうな題目だなってめちゃくちゃ思いました。余談。

スターの放った光は多くのロサスの民が目撃していた。何故だか心が明るくなるような。胸の空虚な部分を埋めるような温かな光。忘れてるとはいえ、やっぱり願いというものはロサスの民にとってかけがえのないものなんですよね。心が湧き立つような。対するマグニフィコ王はその光を危険視します。まあ今まで見ることの無かった謎の現象が突然起こったら大体は良くない兆候かと思いますよね。願いを集め、安定して民を制御出来ていたのにそれが突然揺らぐわけなので。国を想う心だけならいい王様なんだけどな。ただ、独裁者過ぎてちょっと。今は良くても有事だったり王に何かが起こった時に揺らぐ国だったらそれは安定しているとは言い難いよなって。その為の後継者というか、補佐的な役割で弟子を取ろうとしていたのかも知れないけど。誰もかれもマグニフィコ王のお眼鏡にかなわなかったわけですよね。妥協大事だと思うよ。

まあ、長い目で見れば安定していったのかも知れないけど、この物語の都合上、アーシャが願いを取り戻したい対象である祖父は100歳と高齢で残された時間が少ないから急がざる得なかった。時間を掛ければアーシャの意見もマグニフィコ王は理解を示したかも知れないと考えるとなんだか歯痒いですね。

スターの輝きに途方もないパワーを見たのか、はたまた危険因子を手元に置いて管理したいのか。それならアーシャの人間性を早々に見抜いて手元に置けばよかったのにと思うけど。スターに執着していくマグニフィコ王。光に魅せられて疑問や己の意見を口にする民たちに制御できない事を危惧し始めたのかこの辺りからマグニフィコ王逆ギレし始めました。こんだけ国の為に世話焼いてやってんのに何口応えしてんだって。それ典型的な毒親ムーブだってばよ。

留まる事を知らない民の反抗(成長?)に一刻も早くスターを手に入れて民を静めねばと遂に禁書に手を出してしまう。闇落ちすな。てか、何なら封印する前からちょっと禁書の影響を受けていたのでは?じゃなきゃそもそもがナルシストの恩着せがましい王様になっちゃうよマグニフィコ王。

こうなってしまえば、自由を取り戻すために立ち上がるしかないですよね。アーニャと友人たち、そしてついには己の言葉にすら耳を貸してくれなくなったマグニフィコ王に愛想を尽かしたアマヤ王妃が立ち上がります。

なんやかんやあって、ロサスの民の願いを渇望する心が禁書に心を呑まれたマグニフィコ王に打ち勝ちます。最後は杖の飾りに封印されてしまったマグニフィコ王。禁書に心を呑まれた者は戻れないとはいえ、仕方ないのでそのまま牢獄に入れますというオチはちょっと同情してしまった。暴走はしたけど、国の為に動いていたのにな。まあ、一度暴走した者をふたたび国の統治者に据え置く事は出来ないし、許されない事なんだろうけども。ただ、マグニフィコ王が正義と掲げたもの全てを否定出来ないなと思う。というか、マグニフィコ王は国民から願いを集めていたけど、アマヤ王妃から願いは預からなかったのかな?もし預かったとしたら彼女の願いはおそらくロサスの繁栄を王様と守っていく事だったと思う(そうであって欲しいな)から、それに触れたとしたら王様は完全に吞み込まれた心が少しだけでも戻って来るなんて夢と希望は無かったんだろうか……。だって、王様の願いだって国を想う心だったじゃん。それが禁書のせいで全て帳消しにされるのってなんか悲しいなって。まあ、そんな物語は無かったわけですけど。

かくしてマグニフィコ王からスターとあまたの願いを取り戻したロサスの民。アマヤ女王を中心にロサスの本来の在り方を目指す事になる。アーシャは魔法使いになる事が夢でもあったのと元より王様の弟子になろうとするくらいなので素養がある事から、これからロサスのフェアリーゴッドマザーを目指すべく研鑽していくことに。きみならきっとなれるよとばかりにスターがアーニャに魔法の杖を渡します。めでたしめでたし。ラストに祖父の星に願いをの演奏で終わるのも繋がりがあって良いかなと思いました。

細かいところを突っ込むとキリが無いですが、個人的にはまあ面白かったかなと。同時上映込みで楽しめる作品だと思います。


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