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シンデレラ 創作の参考用 続編未定 

憎い、飢える、故に••••••力が欲しい。

思い出されるのはドブの味。それも、地面に叩きつけられた牛乳を無理矢理拭かされ、顔を押し付けられたドブの記憶。だから憎い、それも尋常な憎しみではなく、殺意で頭が沸騰する。

誇りを傷つけられれば、生きるとは呼ばない。

思うに、誰一人として知らぬのだ。憎しみに「許し」など存在しない。話し合いだとか頑張ればとか、中途半端なグズの言い分。つまりは、世界全てに対する怒り、憎しみの類を持たずに生きる。

そんな連中の言い分に過ぎない。

良い思い出、などと••••••そんなものは存在しない。良い悪いで語る時点で、語る資格を持たぬのだ。つまりは、全てが憎しみ一辺倒で、誰も彼もが敵であれ。そうでないものに「憎しみ」だと?

ある訳がなかろう!! 全てが「敵」だ。

殺せ殺せ殺せ!! いなければ探し出してでも殺せばいい。奪うからこそ人生だ。少なくとも私は奪われた。尊厳を奪われ品性を奪われ、だからこそ奪う資格がある••••••まして、それを「許せ」などと。

何様のつもりだ? 正道? 人としてあるべき姿?

言っては何だが、今の世界にそれがあるのか? 私を虐げてきた連中は全て、人としての品性に縁遠い。それでも神に愛されたかの如く成功と勝利を積み重ね、その社会的権力によって彼らの正しさは揺るがない。

今もそうだ。力があれば「正しく」なれる。

であれば、正邪など力次第。それ以外は全て絵空事だ。神の権威も悪魔の恐怖も、とどのつまり力次第。脆弱で何も成せぬ神、口先だけで暴力も権力も持たぬ悪魔に対して、貴様ら尊敬の念など抱くのか?

いいや、有り得ない。どこでも同じだ。

女奴隷として売られた私は、虐げられて生きてきた。人権など無かったし、仲間がいた事など一度もない。あるのは、くだらない大人の見栄に暴力による押し付け、人間というのが如何に醜く、生きるに値しないかの結論のみ。

他に何がある? 満たされた貴様らには分かるまい。

憎い憎い憎い!! 全てが憎い。綺麗事をほざくクズどもは当然として、それらに抗わず流されるだけの凡俗もだ。口先だけは見せかけだけは立派だが、実際に行動もせずに評論家気取りで世界を語る。

実際には、何の苦労もせずに。上から目線で語るだけ。

忌々しい限りだ。どうせ何もしないのだから、有象無象らしく早く死ね。あれこれ横から口を出すだけ、金も労力も払わなければ、最初からいないのと変わらない。

だから、力が欲しいのだ。この手に魔法があるならば、虫のように人間を殺す。
いや草だ。あるいは汚れか。それこそ汚れを祓うが如き、作業で人間を駆逐しよう••••••勘違いされがちだが、私の恨みは継母ではない。

全てだ。文字通り、世界の規範も、世界の土壌も。

何もかも全てが敵だ。真っ当だと言い張る全てがドブだ。
でなければ何だというのか。オスもメスも同じ事。欲の為に虐げるオスに、欲の為に貶めるメスがあるだけ。そこに違いはありはしない。何もかもが醜い汚濁で生存の価値など塵以下だ。

いいや、塵の方が価値がある。何せ無駄ではない。

そこを行くと、人間は「無駄」だ。私のいる屋敷には多くの召使いが存在するが、誰一人手は差し出さずに虐げられる私に「可哀想」だ••••••繰り返し語るだけなら蓄音機の方が価値がある。

大きな屋敷だった。金はあるようで主人は偉大。何を以て偉大とするのか知らぬが金の多寡こそがそれだろう。それ以外人間の価値は存在しない。金だけが偉大さであり、金だけが人の畏敬。

そんなものだ。だから、女奴隷に価値はない。
少なくとも、私はそう扱われ、屈辱に歯噛みし「死んで」きた。
まさしく死人だ。生きているとは言うまい。

砂漠の中聳え立つ屋敷に数多くの芸術があったところで、泳ぐ為の水は飲めずに、食べる為の食物は捨てられる。つまりは、何もない砂漠にただ、一人。何も持たずにいるが如しの有様だ。

いいや違う。少なくとも奴隷として、虐げられる罰はある。

それも個人ではなく、世界全体でだ。ここが「違い」だ。何せ、境遇を抜け出そうと足掻けば病魔すら襲い、虐げる連中に神風が味方する。なので、私を虐げるほど主人も周囲も儲かった。

彼らは、どんどん富んで行く。
こちらは、どんどん疲れて行く。

なまじ、未来を見るなと言うか。事実そうとしか言えまい。中途半端な連中の慰みなどは、とどのつまり見せ物だ。上手に踊れば虐げられて、それでも踊れば世界が襲う。事実そうだ。運命を変えんと挑めば、世界そのものが弾圧した。

嫌な話だ。ますます嫌いだ。

奴隷、奴隷、お前は奴隷!! そう公言された人間が果たして何人いる? 少なくとも私氏は呼ばれて虐げられ、それでも前を見進んだところで得られる利益は何も無かった。つまり、力が無ければ駄目なのだ。

綺麗事は、正しいから綺麗ではなく「力あるから」綺麗なのだ。

逆に言えば、力さえあれば何をしてもいい。連中自身が証明している。であれば、魔法を求めるのは当然だろう?

なので、私は魔法を求めた。
綺麗事は、もういらない。

奴隷の少女が姫になる。そこには奇跡が必要だ。
これは渇望の物語。

持たざる少女が、王を喰らう物語。




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