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お疲れ様でした〜大庭和弥騎手〜




◆はじめに


20年近く勝手ながら追いかけ続けてきた騎手の思い出をどう残そうか、いつの日か大きな花火を打ち上げないかと応援しつつも、徐々に終焉の気配がし始めた数年前から考えてはいました。

ただ、考えても行動には移さず月日は経ち、そして今年3月、突然の引退発表。

もう追いかけなくて良いんだと、なぜか安堵しつつ、改めてどうしようか考えた結果、記憶に残る馬を挙げて振り返るのがやはり一番書きやすそうかと思ったので始めてみます。

なお、NHKで大相撲の引退力士を振り返るようなこのタイトル。色々と考えましたがまずは何よりお疲れ様でした、という事で結局シンプルに。

そしてトップ画ですが競馬場へ行く機会自体少なく大庭騎手を撮影した写真があまり無かったので、数少ない数枚からユーベルントで昨年夏の福島へ参戦した時の写真をチョイス。返し馬とか障害飛越時とか、ウィナーズサークルでの写真とか、あれば良かったんですけどね。

ちなみにサインを貰った事は無いですしインタビュー動画を見た事もないので、結局大庭さんがどんな声なのかも分からずじまい。
まあどんな声だったんだろうなあ、位に思っておこうかと思っているので、その部分への後悔は皆無です。今後声を拝聴する機会はそうそう無いでしょうし。

◆年度毎振り返り


さて、代表的な騎乗馬、勝利を振り返る前に簡単にデビュー〜引退迄の振り返りを。
ここだけ読んで頂ければここ数年で競馬見始めた方でもキャリアを通して見るとどんな騎手だったか、何となくは分かるように、という事で。

大庭和弥騎手
2001年デビュー
中央4308戦124勝 内障害レース35勝
重賞勝利無
2024年引退

本当にざっくり振り返るとこんな感じ。
これだけ見ると『20年以上現役続けたけど大した成績を残せなかった騎手』にしか見えませんね。
実際数字で見るとそうですし、晩年障害戦で重ねた負のイメージは払拭できませんが、124の勝利にはファンを魅了する、常識外れとも言える騎乗が数多くありました。
(それ以上に落胆、唖然とさせられる騎乗もありましたが)

・デビューから8年で単勝万馬券勝利8回
・36勝が7番人気以下

この2つのデータからやはり穴騎手のイメージが強いように見えます。
が、1番人気騎乗時の成績は累計41戦15勝、2着3着8回ずつの複勝率76%は決して悪い数字では無く、人気馬に騎乗した時はきっちり上位に持って来れる腕はあったという証かと思います。

①デビュー〜ブレイク期 2001-04年

ではデビューした2001年から振り返ります。 
同期には石神、小坂、平沢、難波、蓑島騎手等々、障害戦で長く活躍する騎手が多数。
デビュー時は嶋田潤厩舎へ所属、兄の嶋田功厩舎や西塚厩舎の馬を中心に106鞍騎乗するも、勝ち星を上げられないまま現役を終えた大沢騎手と共に、デビュー年は未勝利。


初勝利は2002年2月。そしてこの年の夏の新潟で9勝とブレイク。
デビュー翌月早々に騎乗し始めた障害戦も8月新潟で初勝利。2年目の夏に勝つのは今の時代ではなかなか少ない、早い段階での勝利かと思います。

ちなみにこの障害戦初勝利はキャリア初の単勝万馬券、かつ2着以降の騎手を見ると林・大江原父・出津・江田勇と当時の障害のトップ層揃いでインパクトある勝ち方だったはず。当時Twitterがあったらさぞかし盛り上がったでしょうね。
今のように障害戦がローカルメインでは無く、本場での施行中心だった時代、減量活かしてローカルへ行くのも騎乗数集める手だったと思いますが、大庭騎手はその後も長年平地障害二刀流で乗り続けました。

最終的に2002年は15勝、注目の若手として当時は数多くあった雑誌を始め、各メディアにもポツポツと取り上げられた一年に。


2003年も勢いそのまま、2月中山で単勝300倍超の馬で勝利すると、中山牝馬ステークスではテンエイウイングに騎乗して単勝127倍の14番人気ながら2着。
重賞勝利は時間の問題かと思う位の活躍でこの年も15勝、南井厩舎始め西の厩舎からの依頼、勝利も増えてきて存在感が増してきた一年となりました。

2004年も15勝、オープン特別勝利やライトパシフィックでの重賞2着など障害戦で好成績。
平地もストロングレオンでの連勝やヨシサイバーダウンでの大逃げ、単勝万馬券の勝利もあって成績は前年並に残しましたが騎乗数は前年より減。
西の厩舎での馬券圏内も無く、10月に騎乗停止もあったとはいえ少々物足りなさも。

ただ、2月で減量が無くなりながら3年連続15勝は勿論立派な成績。期待の穴男、若手騎手として確実に認知されていました。この年はトーセンメイザンで中山大障害初騎乗も果たします。

②くも膜下出血〜停滞期 2005-06年

2005年は年間7勝と大きく成績を落としましたが、3月上旬に障害戦で落馬、骨折に加え外傷性くも膜下出血で全治3ヶ月の大怪我を負ったのが大きな原因。
ところが復帰はなんと5月14日。
鉄人のような速さで回復して障害戦にも復帰翌日から再び騎乗し3着、翌月には勝利、この頃は最終障害前も追い続けるような、恐れ知らずで乗り続けていたように見えます。

あと大庭騎手にとってこの年の初勝利、馬自身も4歳の5月にして初勝利となったダイスケには全19戦中15戦に騎乗。
高橋義博厩舎の管理馬で未勝利なかなか勝ち上がれなくても継続騎乗、斜行で降着となった際も不服申し立てして次走も乗せてますし、何だかんだで大庭騎手の事を目にかけてたんだな、と成績見返して思ってました。
が、つい最近サラブレモバイルの対談記事を読んで尚の事、ここまで大庭騎手の事を考えてくれてた調教師さんだったんだ、と知る事に。
ちなみに高橋義博厩舎での累計464戦は最多騎乗で全騎乗数の1割以上。
騎乗成績だけで振り返ると期待には応えきれず、だったように見えますが、平地時代から騎乗して背中の良さを絶賛していたバシケーンが蓑島騎手でJG1勝利したのは一定の成果、貢献したと言えるかなと思います。

話が少々脱線しましたが翌2006年は6勝、大怪我を負った前年から更に勝利数を減らす結果。
障害戦では西の森厩舎や山内厩舎からの依頼はありましたが、平地ではほぼ騎乗する厩舎が固定されてた感じに見えます。
それでも秋にはアクセルホッパーの最後方一気の競馬で大穴をあける、大庭騎手らしさ溢れる騎乗はあって、中山大障害へも3年連続の騎乗。
障害ジョッキーとしての存在感は確実に高まっていたように見えます。

③平地障害二刀流〜全盛期 2007-11年

ここから再浮上、2007年は久々の年間10勝。
個人的にもこの年からレースを観る機会が増えて、インパクトのある勝ち方は印象に残っています。

春はフローレストウブでの最低人気単勝万馬券、障害レースもオープン特別含む年間4勝、そして何と言ってもこの年はテイエムファンキー。松永幹夫厩舎の馬で中山メインを11番人気で勝利、ついに時代が来たかとリアルタイムで観て感情を噛み締めた記憶が鮮明に残ってます。
しかし、その後テイエムファンキーは京都で一戦して引退。松永厩舎への次の騎乗は2011年でその次が2014年、計6鞍だけ。継続的に依頼を得る関係にならなかったのは凄く残念でした。

2008年はキャリア2番目の勝利数となる14勝。
平地と障害7勝ずつ、この勝利数は今振り返ってもなかなか凄いんじゃないでしょうか。20代でこの成績の騎手現れたら当時SNSあったなら期待の星になっていた、はず。

中身も平地ではトレオウオブキングを始め2度の単勝万馬券での勝利、そしてモエレフィールドでの大逃げ、タケデンノキボー二桁人気での連勝等々、個々の馬については後で書きますが、この年のインパクトは本当に凄かった!
障害も6頭で7勝、立派な成績ですが全て直線に障害の無い本場での勝利というのは最近のファンもしっくり来るかもしれませんね。

この年は7月頭に福島の障害戦で落馬、骨折。その後1ヶ月離脱しましたが、その怪我が無ければキャリアハイの勝ち星上げられたかも、と思いつつ、たった1ヶ月で復帰して復帰週にタケデンノキボーで馬群を縫って大穴開けるような、怪我を恐れぬ度胸というか大胆さがこの当時はまだ間違い無くありました。
ただ秋冬シーズン、カツヨトワイニングでついにG1騎乗かと期待していたらまさかの乗り替わり。真相分かりませんがネット情報では色々あったようで、、

なおこの年からブログを開始。
騎乗数&勝利数減ってからはほぼラーメンブログとなってましたが、当初は騎乗馬や騎乗内容、質問コーナー等々、今見返してもかなり充実した内容ですのでお時間ある方は遡って見てみるのもいいかも、です。

年間3勝にとどまった翌2009年ですが、5月3日に右手関節内粉砕骨折という想像しただけでも恐ろしい怪我で離脱。
映像見ましたが直線で馬が故障発生、バランスを崩し転倒していて、乗り手の技量があっても避けようの無いアクシデント。
この年は3月にカツヨトワイニングで4コーナー最後方直線最内追い込みという規格外の競馬でファルコンS2着、桜花賞でG1&クラシック初騎乗と凄く良い流れだっただけに本人にとっても非常に痛い離脱に違いなかったでしょうね。

粉砕骨折でも復帰は2ヶ月後の福島と、またしても鉄人のような速度で競馬に戻ってますが、流石にこれだけ大怪我が重なると心身のバランスは微妙に崩れていくんだろうな、と今回振り返って凄く感じました。

今まではチャンスで結果を残せず、鞭や拍車規制、平地専念もあって成績下降、という印象を抱いてましたが、本当の姿は怪我と戦い続けたジョッキー人生、だったのかな、と思うように。
よく障害レース乗っている騎手が『骨の一本や二本折れるくらいは〜』とは聞きますが、くも膜下出血に粉砕骨折はなかなかレベルの高い怪我かと・・・
次大怪我したら、という恐怖心も芽生えるでしょうし。

それでも障害レースへしばらく乗り続けたのは乗らざるを得なかったのか、自ら進んでだったのか。
2009年のサラブレモバイルの対談を見ると恐怖心はかなりあったと隠さず話していたので、もうこの頃にはいつ障害騎乗辞めるか、タイミング探ってたのかもしれませんね。

このサラブレモバイルの対談は今でも無料で閲覧可能なので読むと色々伝わってきます。本人の言葉なのでありのままの感情が表現されてますし。ブログと併せて是非残っている間に読んで頂きたいです。


2010年は騎乗数ではキャリアハイの448鞍。
12勝を上げましたが、2着があのジャミールのアルゼンチン共和国杯始め21回、3着がテイエムオオタカの京王杯やタマモクリエイトのブラジルカップ等々20回、健闘するも勝ちきれなかったレースが多かった印象。春には未勝利と500万下勝利したナムラフェアリで牝馬クラシックトライアルチャレンジするも権利獲得には至らず。

後に日経賞を江田騎手を背に大逃げで勝ったネコパンチも2着と3着が一回ずつ。沢山の調教師さんから依頼受けてた時期なので勝つ事でもっと信頼を得られたのかも、と思いつつ、一方で1番人気での騎乗は年間で10戦だけ。かつ1番人気での馬券外は4戦、人気馬でも確実に上位持ってきた安定感はありました。

この年の痛恨はダイヤモンドステークスのトウカイトリック。本人もブログで詳細振り返ってましたが、道中完璧に折り合って立ち回ったあのレースで直線ちゃんと追えていたら、は大庭騎手史上たらればナンバー1、大きな分岐点だったのでは、と今でも思います。
それも活かせなかった点を含めて実力といったらそれまでですが・・・


2011年は2月までに5勝、今年いくら勝つんだろうと期待した記憶が残ってますが、岩手出身の大庭騎手とってかなりの衝撃だったとブログにも記載のあった東日本大震災を挟んで最終的には8勝。

この年騎乗した厩舎を見ると須貝、谷、梅田、安田隆、西園、音無、領家、中竹、松永幹、松元、小原と関西のトップ〜中堅の面々揃い。
5月、谷厩舎のトーホウオルビスでの逃げ切りは同型に騎乗の藤田騎手を制し、直線追い込んできた川田騎手を抑える、今見ても強気でファンタスティックな騎乗だったと思います。

1番人気は347戦中4戦だけ。それどころか2、3番人気も計12戦、殆ど人気薄での8勝、複勝圏内30回超はある程度の技量は無いと残さない成績。リーディング上位の騎手が乗ればもっと人気してた、という意見もありそうですが、騎乗馬の質には恵まれずとも少しでも上の着順を目指す乗り方、本人曰く『セコ乗り』は徹底してできていたように思います。単勝万馬券での勝利は無かったですが、100倍台以上での2着3回はその証拠かと。
ただきっといくつか勝ち切れていたら栗東の厩舎とも繋がって次に活かせたんでしょうね。
営業上手ならともかく、腕で依頼を勝ち取るには人気薄で入着ではインパクトが結果弱かったのかもしれません。
上述のネコパンチも確か控えて負けた騎乗で調教師が乗り替わりを決断、結果その後日経賞江田騎手での大逃走に至った訳で、大ブレイクには至らず、噛み合わないまま月日が過ぎたように思います。

④障害封印〜下降期 2012-15年


ここから残念ながら下降線を辿る2012年、
木村哲、国枝、坂口正則等々有力・名門厩舎からの依頼はありましたし、南井厩舎や小原厩舎での人気薄での3着もあり、複勝万馬券で大穴もあけましたが、この年の6月の騎乗を最後に障害戦への騎乗が無くなります。そこがやはり騎乗数減の大きな要因だったでしょうね。2014年のサラブレモバイル対談記事で本人も言及してますが。

ガンマーバーストやゴールデンナンバーといった有力な馬との出会いもありましたが重賞までは手が届かず。
特にゴールデンナンバーはオークストライアル、井崎先生本命と知ってテレビに齧り付いて観戦、が、出遅れで落胆した記憶は今でもはっきり残っています。


2013年は2勝のみでしたがいずれも準オープン、
関西馬で10番人気と13番人気。捲りと逃げ、大庭騎手らしい面白い騎乗での勝利でした。
この年の2着7回は全て4番人気以下で10番人気と11番人気も一度ずつ。
3着5回に至っては13→12→11→15→4と人気薄だらけ。1番人気への騎乗ゼロ、上位人気も数える程度の中で凄い成績だと改めて振り返って感じた次第です。
ただチョイワルグランパで得た森厩舎との繋がりは2勝目には至らず次第に薄くなり、
デビュー後早い時期から定期的に騎乗依頼のあった南井厩舎は七夕賞サトノパンサー後方待機からの大敗(落鉄はあったようですが)以後騎乗がほぼ無くなり、村山厩舎からタニノエポレットで準オープン依頼あるも着外で以後依頼無し。
スポット的に有力厩舎の馬に騎乗する機会あるも勝利には至らず徐々に乗鞍が少なくなり、な年だったように見えます。

2014年は年間騎乗数が136まで減少、馬券内は武井厩舎のホワイトプラネットでの1勝2着2回のみ。非常に苦しい一年になりました。
青葉賞で森厩舎のケンブリッジベストへ騎乗、最後方から向正面一気に進出するも4コーナー手前から後退、大差シンガリ入線した内容が悪い意味で印象に残っています。
森厩舎始めまだ栗東の厩舎からの依頼が数回ありましたが、騎乗する馬、厩舎がだいぶ固定化されてきたのもこの年から。

2015年は少し盛り返して3勝。9番人気と10番人気2回での3勝ですし、2着2回も15番人気と16番人気、健在っぷりを多少でも見せた一年だったかと思います。5歳にして35戦未勝利だったテンカイチを大捲りで初勝利に導いた騎乗は見事でした。

この年はあの松田国英厩舎の馬に初騎乗、飯田厩舎や大久保龍厩舎の馬にも乗っていましたが、関西馬への平地での騎乗は結果的にこの年が最後に。


⑤障害騎乗再開〜低迷期 2016-24年

2016年、一旦離れていた障害レースに8月に久々騎乗、そして11月に勝利しましたが、結果この年はその1勝のみ。
テンカイチをきっかけに高橋文厩舎からの依頼が増えましたが、ニシノファルコンで人気に応えられず乗り替わりで勝利される、等々結果はなかなか残せず。秋以降は障害戦への騎乗が大半となりました。


2017年は1月の中京で最終障害落馬、その後3ヶ月程の離脱した事もあって年間騎乗数は52鞍にまで減少。11月に鹿戸厩舎の平地準オープン馬メドウヒルズで障害戦勝利して年間未勝利は免れましたが、そのメドウヒルズは本レース後故障で抹消、無事ならオープンでも楽しみだったので当時非常に残念に思った記憶が残ってます。

もうこの頃は騎乗数がかなり減ってたので1頭1頭に注目して、平場含め一つ一つのレースの印象がかなり残るようになりました。悪い意味で、ですが、まだ平地での可能性を信じて追い続けていた証かもしれないです。


2018年はアシェットで平地レース久々の勝利。
勝った事がネット記事になるとは10年前には思いもしなかったですが、インをついての差し切りでしっかり追えてましたし、障害戦騎乗も勿論応援してましたが久々の平地での勝利、単純ながら嬉しかったです。
この頃のレースぶり見ると追い方がかなり変わってしまっていて、レースによっては直線ちゃんと追えていないように見えたりして、結果的に鞭規制や怪我の影響で試行錯誤、既に色々限界だったのかな、と今になって思います。
9月には高橋義博厩舎のスミレタンポポで障害戦にも勝利して年間2勝、春先には小桧山厩舎の馬に多くなった時期もありましたが結果は残せず、でした。
前述の高橋義博厩舎といい小桧山厩舎といい、苦しい時に依頼をしてくれる厩舎の存在はこの頃は大きかったと思えます。
家族にお金を残したい旨コメントしてたのを見かけたので障害レース含め騎乗して少しでも稼ぐ事、生活していく事に注力していたんでしょうね。


そんな流れで2019年は年間未勝利。
ついに、ではありますがそんなに驚く事も無い結果だったのは寂しい限りでした。


2020年は最後の輝き、と言っては大変失礼でしょうけども、平地で3勝。
2月、よく騎乗依頼を頂いていた大原オーナーのクリアミッションで未勝利勝ち。
5月はパンダノポケット。テンカイチ以降依頼をもらっていた高橋文雅厩舎の管理馬で久々の2勝目。

そしてこの年はキャリア初の北海道シリーズでの騎乗、気難しい馬で調教含め継続騎乗し続けたララロトリーで未勝利勝ち上がって3勝目。数年薄れていた期待が少し高まりましたが、結局これが平地での最後の勝利に。

秋口にはキャロットファームの良血馬ながらかなりの気性難で鞍上が見つからなかったウィズザベストへも白羽の矢が立って騎乗開始、調教も跨ってかなり工夫していたようで何とか結果を、期待しましたが勝利には至らず。

2、3着も多く久々にハイライトが複数あった一年でしたが、障害レースファンの方的にはクラウンディバイダやブルーガーディアン、ニシノベイオウルフで勝ち切れず煮え切らず、な騎乗を繰り返す姿の方が印象に残っているでしょうね、きっと。


2021年、1月にはアシェットで最内ポツンの立ち回りで特別Rにて3着に激走。それ以外にも3月迄に複数回馬券に絡んで障害戦でも人気薄で掲示板に入ったり。勝利は時間の問題かと思ってましたが、結局2度目の年間未勝利。

振り返ると大原オーナー×高橋文雅厩舎のイントゥザワールドで未勝利勝てなかったのは痛かったかな。人気薄でデビューから2戦善戦して上位人気で迎えた5月新潟2500m戦。
久々長丁場でかつ2番人気。大庭騎手らしい騎乗をかなり期待してましたが、序盤控えて勝負所仕掛けも後手、前方の勝負には加われないまま5着。
乗った感覚で無理せず立ち回ったのか、勝負できなかったのかわかりませんが、このレースを見て騎乗数の減った騎手が改めて活躍するのは難しいだな、とひしひしと感じました。特に感覚派の騎手ですし。その後は高橋文雅厩舎からの依頼も減少していきました。

あとこの年はパリカラノテガミでの大逃げが障害ファンの方々にとっては悪い意味で印象的、ですかね。
誰がどうみても暴走だったんでしょうけど、あのレース中は上手く息入れて逃げ切らないか、と僅かな望みを抱いて観戦してました。昔の騎乗を知っている身からすると久々にそういう姿を見たくなってしまったもので。


2022年はヤマノグリッターズで1月早々に勝利するもその後は未勝利。
堀内厩舎の馬に騎乗し始めたのはこの年から、ただテイエムコンドルの新潟JSや、勝ちきれないスズカブランコ、そしてオノーレペスカでポツン最後方から上がり最速で圏外、等々この年も良い印象はなかなか残らなかった一年に。


2023年も年間未勝利、これまで依頼の無かった小手川厩舎の馬に騎乗、特別レースで善戦、そして大井参戦は平地では最後のハイライト。
障害では変わらず歯がゆい競馬続き、ユーベルントの騎乗内容につい腹を立ててしまったのは今振り返ると恥ずかしい限りでした。


そして2024年、久々の勝利は堀内師の継続依頼に応えたユーベルント。
関西馬ジューンヨシツネでも馬券に絡み、トラファルガーであっと言わせ、直線最終障害前から応戦する姿勢、冬コクでの騎乗っぷりから今年はちょっと楽しみと思わせた後、突然の引退。
ラストライドを期待しましたが騎乗無く、セレモニー的なものも何も無し、も凄く大庭騎手らしい最後だったかなと思います。


以上、簡単に振り返るつもりがついつい長々とした文章になってしまいました。
ラスト10年近く苦しい状況が続いたままの引退となりましたが、短くとも輝きを放っていた時期はあった、とここ数年で競馬見始めた方にも知って頂けたら幸いです。
重賞勝ってないし15勝程度で輝いてた?と思う方もいらっしゃるでしょうけども、勝利数というよりはインパクトの部分、都合良くいえば記録より記憶、的な。
記録で言えば平地障害どちらも年間通じて勝利数重ねている騎手は最近はいないとはいえ、2000年代以降で見ると熊沢騎手や高田騎手以外にも横山義行騎手や柴田大知騎手等々、決して少なくは無かったので。

そして、今回振り返るに当たって初めて知った内容が少なくとも8割以上。
インを追走して前が詰まる覚悟で人気薄でも上の着順を狙ったり、馬の行く気や流れを感じて道中突如動き、あるいはじっとして大穴をあける騎乗スタンス、鮮やかな勝ち方の反面、不発に終わったり不可解な負け方をして唖然とさせられる、今まではそれ位の認識でした。
それが振り返った結果、怪我に苦しみながら、キャリア中盤からは怖さを感じながら騎手を続けてきたんだ、と強く思うように。

早い段階から障害に乗らず怪我無くキャリアを重ねていたらどんな成績を残していたんだろう、いや営業姿勢的にいずれにしても難しかったかな、等々色々頭に浮かぶも全てたらればの世界。
ただ2000年代と2010年代半ば以降の騎乗フォーム、特に障害戦の道中と直線の追い方は面影はあるも見れば見るほど別の騎手に見えて悲しくもなりました。
どの騎手にも怪我はつきものでしょうけど、万全な姿でキャリアを重ね、大舞台で何かをしでかす、そんな世界も見たかったな、なんてもう叶わぬ願いではありますが。

◆記憶に残る勝ち方をした馬 10選

そんな期待を勝手にし続けた中で記憶に残る馬を10頭チョイスして、ざっくり年代順に上げていきます。

ヨシサイバーダウンの2400m逃げ切りもなかなか面白い競馬だったと記憶してますが、映像に残っていないですし、グリーンチャンネル未加入で平場や障害戦はじっくり見る機会ありませんでした。
ので、netkeibaプレミアムコースに映像が残っている2005年以降の馬が中心になります。

大庭騎手が騎乗して同一馬で唯一3勝を上げた
イエローポケット

障害重賞2着の
ライトパシフィック

準メイン&特別戦で7馬身ちぎった
ストロングレオン

障害未勝利&オープン特別を勝った
トウカイハッスルやコスモラバンジン

そして重賞勝利に迫った
テンエイウイング&カツヨトワイニング

等々、この馬に触れないなんて!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、途中から追いかけ始めた一ファンの意見としてご容赦頂ければと思います。

①アクセルホッパー


26戦3勝 
内騎乗18戦2勝
2006年11月11日東京
2歳未勝利 10番人気193.9倍
2008年3月29日中山
富里特別 2番人気6.0倍

2勝してますが、単勝万馬券での最後方一気と中山ダート1800での最内まくり、展開がハマったと言えばそこまでですが、この2レースを観るだけで中毒になる人が何名かは発生するであろうと、客観的に見ても思います。私はこの2レースで完全に沼に引き摺り込まれました。

ブロードアピールの直線一気の追い込みは有名ですが、離れた最後方から大外で無く馬群を縫って伸びた未勝利の勝ち方も追い込み大好きな方にはたまらない内容。単勝200倍近い10番人気というのもポイント高いです。

そして2勝目は向正面からのインまくり。内ごちゃついてたらアウトな乗り方を2番人気でする事自体どうなんだ、と言われそうですが、これぞ真骨頂と言える騎乗。
馬優先、馬の気分に合わせて、の印象が強い大庭騎手ですが、気分に沿う形で馬を動かす騎乗も昔はよく見せてましたね。

1000万下勝利後昇級二戦は乗り替わり、降級後はなぜか福島2600m、芝を使われて手戻りも大敗。休養を挟んでその後は継続騎乗するも大敗続きだったのは残念でしたが、大庭騎手の代表的な騎乗馬の一頭と言えると思います。


②テイエムファンキー


47戦6勝
内騎乗2戦1勝
2007年9月22日中山
ながつきステークス 11番人気53.2倍

1000万下勝利後、準オープンで頭打ち、入障しても結果残せずでゲート直後落馬した4月中山障害戦後、平地に戻って6月福島の安達太良ステークスにてテン乗り。
好位につけ内目をじっと追走、200倍近い最低人気ながら0.1差の6着と結果を残した事で継続騎乗のチャンスを得られたのかと思います。

その安達太良ステークス、ゲートは好発するも焦らず馬なりで中団追走、勝負所もじっくり構えて直線入口時点で前は先行馬の壁。
ここからどこを突くのかと思ったら外では無く馬群を縫う選択肢。馬の間からグイグイ脚を伸ばしてラストはいつの間にか最内を通っての差し切り。
アナウンサーもゴール板直前で馬名をフォローしてましたが、大外から脚を伸ばす馬に目がいったのは当然な気がします。あの進路取りで中山ダート1800差し切る競馬はそうそう無いと思うので。
前走から3キロ減も効いたと思いますが、これが大庭騎手キャリア初のメインレース勝利。

このレースは地上波で観てましたが、年度毎振り返りでも触れた通り『これは遂にブレイクしたな』と一人浮かれてた記憶は鮮明に残ってます。それだけ鮮やかな勝ち方でした。
この頃は髪もやたら長くヘルメットから後ろ髪が出ていてフォームと相まって分かりやすい見た目、そんな姿で飄々と大穴をあける騎乗は凄くカッコよかったですね。

その後京都で一戦した後引退、無事ならまた騎乗チャンスあったはずで、松永幹夫厩舎との縁を太くできる可能性もあったと思うので残念でした。

③ティンバーセブン


22戦3勝 
内騎乗7戦1勝
2008年1月6日中山
4歳以上500万下 13番人気112.2倍

希少条件の中山ダート2500m、通過順1 1 2 2だけ見るとただの逃げ切りですが、五分のスタートから後方に控え、1周目3コーナーから加速、スタンド前で先頭に並びかけ二周目向正面に入る頃には4、5馬身離した逃げ、とレース中盤時点で既に不思議な競馬。
但し真骨頂はここから。2周目3コーナー前で後方との差が一気に詰まって、15頭立ての13番人気、ここまでかと思いきや脅威の二枚腰。外から被され交わされて2番手で迎えた直線、内から風車ムチに馬が応えたか再加速。
ゴール前は流す余裕で単勝万馬券の勝利、横山典弘騎手がたまに見せる大逃げから引きつけての逃げ切りに近いレース運びは流石の騎乗、馬の行く気を活かしつつ息を入れて脚を残したこの騎乗を見て、大庭騎手の本領は中長距離、戦略的に騎乗できる舞台で発揮されるんだと当時興奮しながら思っていた記憶が残ってます。

ただ2度目の騎乗で勝利したこのレースの後、通算5戦騎乗するも再び勝つ事はできず。
騎乗と展開がバチっと噛み合って大穴を開けるとなかなか同じようにいくのは難しかったんでしょうね。

あとこの馬といえば小島茂之厩舎。今やG12勝、重賞勝ち多数、キャリア20年超の有力厩舎ですが、まだ開業まもないこの頃は大庭騎手よく騎乗していて、調教師さんのブログでも騎乗ぶりが褒められていた記憶があります。
2012年を最後に騎乗無し、20年に障害戦で久々騎乗時には懐かしいな、と思ったものです。大穴開けてまた繋がり出来ないかと密かに期待しましたが人気薄で大敗、それが小島厩舎管理馬へのラスト騎乗となりました。

④モエレフィールド


44戦8勝 
内騎乗3戦1勝
2008年3月16日中山
浅草特別8番人気20.0倍

このレースを見た松岡騎手が天才と称した話はファン界隈では有名な話ですが、マイル戦でいつの間にか大逃げに持ち込み逃げ切った騎乗は馬任せなだけでは成り立たなかったと思ってます。
ペース配分と仕掛けのタイミングが絶妙、ただ当時の映像を見ても向正面過ぎ、画面上部の全体が入る部分が消えた後の動きが謎すぎてなぜ4コーナーであそこまでの差が開いたのか?
パトロールが見れない以上はっきりしませんが、はっきりしないままとにかく凄い競馬だったと記憶しておくのもいいかな、という結論に至ってます。3コーナー過ぎからのちょっと緩み加減な手綱の持ち具合とそこからの直線の追いっぷりは何度でも観たくなる気持ちよさ。

昇級した次走も似たような戦法に出てスタンドを沸かせましたが1800mへの距離延長も響いたか、ちょうど残り200で交わされ失速。
マイルに戻ったその次は同型多数でハナ取りきれず敗戦。以降騎乗はありませんでしたが記憶に残る一頭でした。

ちなみに同じ条件で逃げ切ったロイヤルクレストもですが、逃げて穴を空ける事も多かった大庭騎手。
ゲートをフライング気味に突進ダッシュ決める競馬もあってそれも魅力の一つでしたが、他馬が速かったり馬に行く気が無いと自らの判断で引くケースもあって、それが調教師から評価されない面もあったようで。
『逃げてほしかったのに、なぜ控えた』という感じで、フィックルベリーのフローラステークス後、調教師から言われた話もまさにそのパターンかと。
強引に主張、押して逃げる競馬も時折りありましたが多くは馬の動きを感じ取っての戦法、見てる分には戦略的に見えて凄く面白かったですが、関係者的には指示通りに乗ってくれない、と評価されていたのかもしれませんが。

もう少し脱線しますが、後に準オープンまで上がったシンボリボルドーへ騎乗時、前走早め押し上げアタマ差2着、同条件につき1番人気に推されたレースで終始最後方近い位置からの競馬で上がり2番目ながら13着と大敗した際はリアルタイムで見てて頭を抱えた記憶が残ってます。
きっと馬の様子、行く気を見ての判断だったんでしょうけど、3歳未勝利の夏の競馬でその内容では厩舎もオーナーも流石におかんむり、になるのは仕方ない、かと。ブレない乗り方の現れ、とは言えますが。


⑤トレオウオブキング


49戦10勝 
内騎乗1戦1勝
2008年4月13日中山
湾岸ステークス16番人気145.9倍

単勝145倍&シンガリ人気での勝利はインパクトありましたし、印象残っている方もいるでしょうね。
ただレース運びはシンプル。好発から先団前目につけて内目を立ち回り。向正面3角前から馬なりにじわっと進出して好位イン。4角からは自然と外に持ち出す、馬の道悪適性とも噛み合った結果。
そもそも福島や札幌の2600mで好走していた馬で、近走条件合わなかったり格上挑戦もあっての大敗続き。休み明けとはいえここまで人気落とす馬では無く、馬券的には狙い目だったのかも、と今更ながら思います。

そしてこのレースのハイライトは直線の大庭騎手の追い方。鞭を左手に持っていましたが、手綱から離して後ろに叩くのでは無く、手綱を持ったまま激しく動かして肩に鞭をあたるような、なかなか見ない鞭の使い方に見えました。鞭規制が強まった今じゃできないでしょうね。肩ムチや見せムチはあまり使わないとブログでみましたが、この時の追い方はなかなか珍しくて見てる分には興味深かったです。
オープンでのコンビ継続も期待しましたが、次の二戦は52キロのハンデもあったのか乗り替わり、定量のステイヤーズステークスも江田騎手、その後障害入りしてからも騎乗無しで再び乗ることはありませんでした。

陣営の気を害すような事でもあったのかな、なんて勝手に当時は詮索してました。他の馬でもこういうケース少なくなかった気もするので、リーディング下位の騎手が乗り続けるのは難しい事なのかな、というのと、営業的な部分も大きいのかな、と色々な思いがこの馬を振り返ると頭に浮かびます。

⑥タケデンノキボー


55戦5勝  
内騎乗6戦2勝
2008年8月9日新潟
長岡特別12番人気63.3倍
2008年9月20日中山
セプテンバーステークス14番人気58.6倍

大逃げで当初有名になった馬ですが、短距離の追い込み場として一花咲かせたのは大庭騎手の手腕だったと思います。
騎乗内容はここで上げている他馬に比べると正攻法、馬群でロスなく立ち回り我慢して、直線前が開いた所を突いて差し切る競馬。
ただ、特にセプテンバーステークスはゴール前ギリギリまで前が開くか微妙な状況、焦ってもおかしく無いところを最後の最後差し切ったのは度胸というか、信念というか、そういったものを凄く感じました。

前が詰まってもいいからロスなく運ぶ事を優先するという旨、過去の対談で話していて、この2連勝はそういう姿勢によって生まれたのかな、と。
この頃はまだ追い方も鞭の入れ方もグイグイと、体全体使って馬を動かしていて道中の姿勢も騎座が安定してて綺麗ですし、今、何度見ても気持ち良いしカッコいいです。

ちなみに大庭騎手が騎乗して同一馬で2勝上げたのはタケデンノキボー含め8頭、3勝以上は1頭のみ。継続騎乗自体が少なかったのと、騎乗内容と展開諸々が噛み合っての勝利が多かった証かな、と思ってます。


⑦トーホウオルビス


39戦6勝 
内騎乗4戦1勝
2011年5月29日東京 
被災地支援つばさ賞8番人気18.0倍

東日本大震災で岩手出身大庭騎手の育った街も被害があったとブログに記載があって、2011年は大変な年だったのかと思います。
そんな中、この年インパクトある騎乗を魅せたのは栗東谷厩舎所属のこの馬での二戦。
まずテン乗りだったアハルテケステークス、オープン昇級後6戦連続の二桁着順で単勝オッズ300倍超のブービー人気でしたが、好発からハナに立つ競馬、ただ抑える場面もあってじわっと行かせる形。直線入り口で早くも後続接近し厳しいと思いきやそこからかなりの二枚腰。
勝ち馬には外から一気に交わされるも、早めに並びかけきた2番人気、藤沢和雄厩舎のカジノドライブを抑えて2着確保。
オープンで2番人気のアンカツと叩き合ってアタマ差抑えたのは今見てもカッコいい競馬、そして複勝万馬券というとんでもない大穴を演出しました。

大体人気薄で激走した次走、2戦連続上手くいく事は多くありませんが、更にマニアを魅了したのが1ヶ月後のつばさ賞。
同条件で斤量据え置きでしたが8番人気で臨んだ一戦、最内枠から今回も好発するも外からアーリーロブスト、藤田伸二騎手が追ってハナを主張。
一旦外から交わされますが、そこで引かずに内枠も活かしてハナを取り切る、度胸と執念を見せます。
直線はアーリーロブスト、そして外から川田騎手のドスライスも迫りましたがギリギリ残して逃げ切り。名手たちを抑えての勝利、ここからいよいよ軌道に乗っていくと思ったのですが。

次走プロキオンステークスは継続騎乗するも他馬が速くテン行かずに敗退。秋はペルセウスステークス、東京1400最内枠、勝利時と同条件での騎乗で4番人気に推されるも外から強引にハナきられ内で包まれ着外。それが最後の騎乗となりました。


⑧チョイワルグランパ


83戦9勝  
内騎乗4戦1勝
2013年1月19日中山
アレキサンドライトステークス10番人気57.1倍

平地へ専念し始めた2012年は4勝。
巻き返しへの期待とこのまま下降線を辿るのではという不安、半々な気持ちで始まった2013年。
1月早々に西の名門森厩舎からメインの依頼との事で楽しみにしていたレースでした。
スタート後後方に下げるも向正面から急進出。そのまま先頭に並びかける勢いで4コーナーを回ってラスト一杯粘り込む、馬の力を出し切る好騎乗を見せてくれました。
実はこの時、体調不良で熱が有ったとの事で表彰式をキャンセル。そんな中でドンピシャの好騎乗、今年はまた楽しく痛快なレースを沢山見せてくれるのでは、と楽しみになったのですが・・・
その後チョイワルグランパ始め森厩舎から何度か依頼あるも結果を残せず。
夏にまたもや西の高橋成厩舎のメイショウサミットにテン乗り、鮮やか逃げ切りで穴をあける、らしい騎乗はありましたが結局この年はこの2勝どまり。

感覚を大事にする大庭騎手、障害乗らなくなった事が起因しての騎乗数減は平地の騎乗内容、そして依頼を受ける馬質にも影響してしまったんでしょうね。
サラブレ対談で怖さがあったと隠さず話していましたが、怖さを抱く中堅騎手への依頼は関係者も躊躇ってしまう部分あったのかも、と思います。
減量活かして活躍する若手に出番をどんどん奪われてしまって苦しくなった年、ただこの時の騎乗が見事だった事には違いないですし、何度でも繰り返し見たくレースでした。

YouTubeで馬名検索するとこのレース出てくるので、いつ消されるか分かりませんが良ければ見て頂けると。熱があって体調が悪かったという前提で見ると、また見え方が違って面白かったりします。


⑨テンカイチ


48戦1勝 
内騎乗12戦1勝
2015年10月31日福島
磐梯山特別 10番人気59.4倍

前年は年間1勝、すっかり影が薄くなり2015年も春に勝利するもそれっきりの1勝で迎えた秋。久々にらしさ全開、感覚的かつ戦略的な騎乗を見せてくれたのがこの磐梯山特別。
スタミナはあるも切れる脚なく未勝利だった馬、一度だけ騎乗経験ありましたが数年ぶり、スタンド前一気に捲ってコーナーはインでロスなく、馬の行く気を活かして長く脚を使う最高の競馬で押し切り、馬にとって初勝利。

高橋文調教師も騎乗を絶賛するコメントしてましたし、その後しばらくメインで騎乗する厩舎となります。
ただ次戦は後方ままの競馬。その反省を活かして1000万下の格上挑戦ながら早め並びかける競馬で見せ場作ってこれなら自己条件で期待できると思ったらその後は全く振るわず。
内容的に馬が気力が無くなってしまったのもあるかもしれませんね。毎回捲って脚使い切る競馬は馬にも負担が大きいでしょうし。

勝利した年、2015年のステイヤーズステークスへ登録した際はこの馬のスタミナを活かして戦略派の大庭騎手、どんな競馬をするか楽しみでしたがこのレースにしては珍しく17頭登録という不運で除外。

大庭騎手らしい乗り方での勝ったのはこの馬が最後だったように思います。


⑩アシェット


28戦2勝 
内騎乗8戦1勝
2018年5月19日東京
3歳未勝利 6番人気12.9倍

2016年に障害レースへ復帰。恐らくですが前向きな判断では無かったかと思います。生活の為、騎手を続ける為、周囲からの要請等々。
ただ騎手不足の障害レースではコンスタントに依頼があり年間1、2勝上げるも平地の騎乗数は減る一方。
久々平地勝利でニュースにもなってしまった際に騎乗していたのがこのアシェットでした。

デビューから5戦継続騎乗、人気薄で善戦続ける
も武士沢騎手に乗り替わっていきなり2着好走。
このまま乗り替わりかと思いましたがまた戻ってきて前走同じ東京、久々平地勝利のチャンス、しっかり活かせるか、陣営の期待に応えられるか注目の一戦でしたがそつなく乗ってインをついての差し切り勝ち。
チャンスをしっかり活かせて本当に良かったと当時思った記憶が残ってます。

その後しばらく騎乗機会無かったですが、2年半ぶりに騎乗したレースで12番人気5着。そして継続騎乗した次走は、荒馬場で各馬を外を走らせていた中山で終始最内ポツンと立ち回り3着、勝てませんでしたが平地で馬券内に入った大庭騎手らしい騎乗はこれが最後だったかと思います。



以上、インパクトある勝利を魅せてくれた10頭を上げましたが、負けず劣らず凄い騎乗だったのがカツヨトワイニングのファルコンステークス。
勝っていれば今でも語り継がれていたと言っても過言では無い競馬だったと未だに思ってます。

あとは有名なジャミールのアルゼンチン共和国杯、そしてトウカイトリックのダイヤモンドステークス、府中牝馬ステークスのアスカトップレディ、オークストライアルのゴールデンナンバー等々、どれか一つでも勝っていれば、また色々と違ったかもしれませんね。

チャンスは少なくともあったのでそこで結果を残せたか、活かす事ができたかどうかが運命の分かれ目だったのかと。活かして欲しかったけどこればかりは勝負の世界、仕方ないですね。
 
ただ、これも書き記しておきたかったのですが、二桁勝利上げていた頃から決して万能に上手い騎手だとは盲目的に思っていなかったです。
例えば2004年デビュー戦を高野和馬騎手で勝利したノーザンスター。
2007年から騎乗し始めて10戦、3着1回でしたが、柴山騎手に乗り替わって3戦連続3着。その後手戻りするも3戦連続二桁着順で引退。馬の状態もあったでしょうけど、柴山騎手が乗ると走る、という分かりやすい結果に。

あと乗鞍が減った2010年代半ば以降、継続してかなりのレース数騎乗したポートレイト、キラキラオーラ、ジュンオーズ辺りは何回か善戦するも勝たせるところまでは至らず。
ガッツリ短く手綱を持って馬を溜めて動かす騎乗とは対極なスタイルでしたので、馬によって合う合わないはあったのかと思います。


テレビや雑誌以外で大庭騎手の情報を得る為の数少ない情報源だったのがnetkeibaや2ちゃんねる。netkeibaは騎乗した馬の掲示板を覗きに行き、2ちゃんねるはスレッド落ちないように定期的に書き込みに行ってました。
神がかった勝ち方をした後はページ更新し続けて喜びに浸るも、トウカイトリックのダイヤモンドステークスのように結果が出なかったレース後は閲覧を躊躇った事も数知れず。さぞかし叩かれてるんだろうなあ、と。
晩年、大庭騎手が騎乗した障害戦の後のTwitter開くのと近いような感覚でしたが、流石に擁護できない騎乗内容と結果が多々だったのでさほど落ち込みはせず、仕方ないなという気持ちが強かったですね。たまに私も堪えきれず怒ってもしまいましたが。

そもそもここ5、6年で競馬見始めた方の大半は大庭騎手の存在をほぼ知らないでしょうし、障害レースファンにとっては勝つ気が見えない騎乗を繰り返す、技術が無くやる気の無い下手な騎手、にしか見えなかったでしょうし。
ただ、10数年前までは毎年のようにインパクトある騎乗でファンのみならず多くの穴党を沸かせた騎手だった、という事をこの記事で少しでもお伝えできたら、と思ってしたためました。

◆おわりに



それでは最後に、なぜここまで大庭騎手に傾倒し過ぎる位、してしまったのか。
その経緯を自分語りになりますが振り返ります。


記憶では何かの雑誌、ダービーを一生遊ぶ、だったかな?『和製ファロン』『ヨーロピアンスタイル』で最近ブレイクしてる騎手がいる、というような記事で気になったのが始まり。


当時私は確か高校3年生。競馬は中学生の頃からハマってましたが家族は競馬に関心無くグリーンチャンネルは未加入、情報源はサラブレやダビつくと言った月刊誌と地上波の競馬中継、そしてたまに買うギャロップやたまに観れるBSフジの競馬中継のみ。
平場や障害レースに触れる事はほぼ無く、大庭騎手の事は気になりましたが実際にレースを観れる機会はしばらく無かったです。

大庭騎手の騎乗を見てハマったのは社会人になってJRAのホームページで自由に全レース観れるようになってから。

その為、他のコアなファンの方のほうが私よりも知識は多分にあると思いますし、私は断片的な部分でしか語れない、と自覚はしてます。

その上で毎週JRAホームページの出馬表を1レースずつ開き大庭という文字があるかどうか、騎乗馬を確認し続けてきた狂信的なファンでした。
それが習慣になってしまい、ここ数年もうやめようとしてもつい見てしまう、傍目からは病的にも見えたかと思います。


もう少し自分語りが続きますが、子供の頃から私は恵まれた家庭環境だったにも関わらず判官贔屓というか捻くれた性格。

例えばサッカー代表戦は絶叫して日本を応援する放送が気に入らずいつも相手の国応援してましたし、漫画も黄金期のジャンプを読まずにチャンピオン。流行っていたアニメも見ず、人気のアイドルにも関心を持たず。リリースが減って表舞台に出なくなっていた川本真琴さんを追いかけ続け、数少ない友人と遊んだ際のマリオカートはあえて最後方から進みアイテムで逆転を狙うような(結果大抵後方のまま)感じ、でした。

みんな大好き人気のヒーローが周囲の期待通り大活躍して予定調和のようにみんなで楽しく盛り上がる、というのを勝手に嫌って、誰かが何かを起こしてくれないか、ぶち壊して唖然・混沌とさせてくれないか、騒然とした雰囲気にしてくれないか、
そんな一歩間違えば破滅的思想に近いようなそんな事を願う、周りから見たら真面目で物静かに見える子供〜若者でした。 

競馬についても小学生の頃、有馬記念でのツインターボの大逃げをたまたま見たのが目覚めるきっかけ。
その後地元でスーパー競馬が放送開始した日、サイレンススズカ最初の天皇賞からどっぷり競馬にハマったので大逃げを始め、面白くて目立つ競馬をする馬が好きで当時から注目してました。
かつ、この捻くれた性格につきサイレンススズカ以降はマウントアラタ、アストラルブレイズ、ファンドリリヴリア、タガジョーノーブル等々、当時追いかけてた馬は逃げ馬ばかりでかつ、一線級ともファンが多いとも言えない、少々マイナーな馬が多数。

そんな性格、思想の人間にとって、急に逃げたり控えたり、隊列がほぼ固まった展開から思いもしないところで捲ったり、直線は鞭を高く振り上げグイグイと他のJRAの騎手とは異色の追い方でラストは手綱を投げるように入線するその騎乗内容と、エージェントをつけず頭を下げず腕で依頼を得ようとするような(※勿論実際は営業されてたんでしょうけども)なかなかスマートとは言えない半ばぶっきらぼうにも見えるスタイルは魅力の塊でしか無く、捻くれた私にとってはヒーロー、大袈裟に言えば多くの人が望む世界を壊してくれるような、心酔する存在になりました。
栗東で言えば佐藤哲三騎手がそれに近い立ち位置で活躍されてましたね。後は逃げか追い込み、極端な競馬が真骨頂だった、菅谷正巳騎手も。

世の中、大抵のヒーローは強くカッコよく鮮やかに活躍して、時々悲劇のヒーローも現れますが同様に多くのファンの共感を得て讃えられるかと思います。

そう考えると私が勝手に心の拠り所、ヒーローとして期待した騎手はどちらかというと世間的にはヒール役だったのかもしれないな、と、この記事を書いていて初めて頭に浮かんでます。
一部のファンにとっては魅力的な存在でも、多くの方にはレースを荒らす存在だったので。
でも悪役とは思いたく無いですね。コアな競馬ファンを魅了する騎乗を魅せてくれていたので。

大庭騎手がリーディング上位、大舞台で思い切った騎乗をして活躍する世界を見てみたかった気持ちはありますが、そうなったらなったで判官贔屓で捻くれた私は応援しなくなっていたかもしれないので、これで良かったのかもしれないです。
好騎乗を見て興奮して、重賞騎乗時は期待してテレビにかじりつくも惜しい競馬か大敗で落胆、また好騎乗を見て、の繰り返しでしたが、だからこそいつかはきっと、と追いかけ続けられたのかと。


そう簡単に世界の秩序、序列は崩れないという事は大人になって理解できた今、日本代表のサッカーや野球を見てても日本を応援しますし、結婚して子供もできて判官贔屓な思想はだいぶ薄まったように自分自身感じます。

捻くれ少年にとってのヒーローはいなくなりましたが、捻くれ少年もある程度は従順な大人になれたので、もうヒーローがいなくても恐らくは大丈夫。


ここまで、読み物として上手くまとめられたとは思いませんが、やっておきたかった事、思いの丈を書ききる事はできたので自己満足ながらそろそろ締めたいと思います。

大庭騎手、怪我と恐怖と戦い続けながら向上心を持ち続け個性的で面白い騎乗を魅せてくれた現役生活、お疲れ様でした。
今後は調教助手としての活躍を期待しています。怪我には気をつけて、これからも頑張って下さい。

私のこれまでの人生の半分近く、長年にわたり楽しませてもらって、本当にありがとうございました。



出典 参考にさせて頂いたサイト

以下、勝手ながら出典という事で参考にしたウェブサイトを記載します。ルールからは大きく逸脱せずに使わせて頂いた、はず。拙い部分あったらすみません・・・

1.netkeiba

プレミアムコースは平場含め2005年9月以降の中央全レース見れますのでここ2ヶ月、今回取り上げた馬を中心に、懐かしいレースを沢山楽しませてもらって、レースデータもここから手拾いさせてもらいました。

よりファンタスティックな騎乗を伝えるべく10選に選んだ馬の勝ったレース動画を一部画像に切り取って、この位置取りからいきなりこの位置へワープ、なんて事もしようかと頭に浮かびましたが勿論有料コンテンツにつき自重。

加入されている方は是非今回取り上げたレース見て欲しいですし、加入されていない方は騙されたと思って、いや万人受けするか保証できないので余り強くはいえませんが馬券大勝したり余裕ある方は宜しければ1ヶ月課金して見て頂けますと幸いです。
少なくともなんかおかしい競馬して勝ってるな、とは思って頂けるはず。

私は引き続き利用したいと思いつつも月々1000円近い費用はなかなか家族待ちサラリーマンにはバカにならず。あと利用するコンテンツがかなり限定されてるので、この記事書き終わってしばらくしたら解約するつもりです。


2.公式ブログ

2022年2月を最後に更新が止まったままの本ブログ。どうするのかと勝手に危惧してますが本文でも記載の通り初期の頃は競馬関連の記事がラーメン関連よりも多く、本人の競馬に対する考えが読めて興味深い内容です。

だんだん成績の低下と諸般の事情で書けない事も増えてきたのかと推測しつつ、貴重な本人からの情報発信。いつページ閉鎖するか分かりませんし、全部遡って読んでも半日位で読破できますので宜しければどうぞ。


3.サラブレモバイル

年度毎振り返りでも触れましたが、2009年と2014年の2回、西塚助手との対談記事が掲載されています。Twitterでもアカウントお持ちで界隈では有名な方ですね。

2009年はかなり勢いのあって活躍していた頃、一方2014年は騎乗数、勝利数とも激減して厳しくなっていた頃、お二人の仲の良さからそれぞれの状況下でかなり込み入った話もされてますので、こちらも見て頂くと大庭騎手のイメージが少し変わるかも、と見返して思いました。

ご自身の結婚についても公式ブログでは触れてないのでメディア関連で明記あるのはこの対談だけ、かと。騎乗論含め貴重なお話が盛り沢山。


4.競馬ブックsmart
レース前の厩舎コメントやレース後の騎手コメントがかなり昔のレースも収録されていて、今回全頭ではありませんが遡って読んでみました。
当時の周囲からの評価や大敗の理由も分かったりしてこういう楽しみ方もあるんだな、と。

こちらは解約せずに勿論今後も利用しますのでまた時間ある時に色々開いてみたいと思ってます。


5.競馬ラボ

2011年に通算100勝を達成した際のインタビュー記事。ライトな内容と思いきや、なかなか踏み込んだ質問もしていて侮れなかった(?)です。
印象に残った部分、少しだけ抜粋しますと、

高:木金にどんな馬に乗っているのかに注目ですね。大庭騎手は、調教で乗る馬はどうやって決まっていくんですか?
大:厩舎の人から直接言われて引き受ける形です。
高:レースの騎乗依頼はいかがですか?エージェントは…。
大:いません。自分で直接やっています。ひたすら依頼を待っています

調教は馬によっては乗らなくてもいい、エージェント無しで騎乗依頼を待つ、という辺りが凄く大庭騎手らしい、ですね。
信念と性格によるものでしょうけども、この部分が魅力でもあり、騎乗数が減っていった一因でもあるかな、と勝手ながら思ってます。

以上、参考にしたウェブ5サイトでした。


微修正はしましたが、自ら見返しても読み辛い長文、ただ、私と同じく大庭騎手を長年応援していた方には何とかここまで、最後迄お読み頂けていれば嬉しいです。

そして一部分だけでも目を通して頂いた方も、お付き合い頂きありがとうございました。


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