ターザン後藤永遠に
本日8月16日は、昨年の5月に亡くなったターザン後藤さんの誕生日です。今日はターザン後藤さんについて少し語ります。
2001年より前の活躍は、割愛させていただきます。
春日部にインディーズアリーナが出来たとしったのは、出来て暫く経ってのこと。当時は、まだまだ情報網が少なく、専門誌(週プロ)で見つけた。当時の地元春日部、行ってみる価値あるなと一回だけ興行を見に行きました。そこは住宅街の中にある倉庫みたいな建物に、リングを組んでいた。住宅街の中なのでプロレス興行をやるアリーナには不向きな感じがした。まあ、立地条件も悪いし長持ちしないかな?と思っていたら知らない間に撤退していた。なのでどれくらい春日部でやっていたのかは不明。
そして2006年に春日部から浅草に移転し「浅草ファイト倶楽部」と言う店を兼ねてインディーズアリーナを復活させる。元キャバレーの店舗を使っており、リングも設置しているので、規模は大きくない。プロレスを見ながら酒を飲むみたいなイメージではじめたのであろう。夜の営業時間帯に行ったことないので、客入り等は不明です。
こちらも浅草の繁華街からは離れており、なかなか厳しい経営状態だったのかな?でもプロレス居酒屋の発想は良かったと思う。プロレスを見ながら食べて飲む、海外修行中に後藤さんが見た風景を日本に持ち込んだのだろう。店も広く立地も良ければ三年弱ぐらいで閉めることはなかったかもしれない。
月に一、二回程度日曜日の昼に下町プロレスとファイト倶楽部興行(不定期)とターザン後藤一派本興行を行っていた。本興行は、日頃の常連客に感謝を込めた興行みたいな感じ。
そのファイト倶楽部も約3年弱で閉鎖。裏事情とかは良くわかりませんが、いろいろと苦労はあったんだなと。FMWで一世風靡して良い時期もあったが、人生山あり谷ありって感じな後藤さん、お疲れ様でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?