リーダーシップと、多様性

リーダーシップは、統率力だけではない。

(偏見まみれのこじつけNoteです。駄文。がちで読むだけ時間の無駄。
 結論はこちらからどうぞ)



人によって得意なものって色々ありますよね。
こつこつ少しずつ、ドカンと大きく、まじめに歯車になる、ゆるく潤滑油になる、なんだか頼りない人…。

楽しいことに、人間は十人十色のタイプがあります。このタイプだからといって「キミ、リーダー向きだね」と断定するの、ちょっと待ってください。

視野を広げてみませんか?


一般的に「まじめ」「積極的」「視野が広い」人が『リーダー気質』とされています。それは、リーダーの真摯で的確な指示が、部下が楽に仕事をこなせるようにするからです。

おそらく『リーダー向き』の定義は上記のような方です。

ここで問題提起をしましょう。果たして、例えばちゃらんぽらんな人はリーダーになってはならないのでしょうか。


まあ、ぼくが部下になるのであれば ちゃらんぽらんな人のもとには着きたくありませんが…。

リーダーになっても良いと思います。むしろ、その場合 まじめなリーダーではできなかったことが できるようになります。

それは、部下の自主的な成長、自立です。机上論ではありますが、トップがしっかりしていないと、部下が土台として堅固に成長するものだと思っています。

お国柄がいい例ではないでしょうか。霞が関の甘い汁をすすっている我々現代日本人は、納税をするだけで豊かな生活を享受できています。本当にありがたい限りですが、ほとんどの方は政治に関わるためのエネルギーは持ち合わせていません。

一方で、良い例えは思い浮かびませんが、革命まみれの国家を想像してみてください。リーダーは不甲斐なく、民衆は「自分自身で生きてみせる!」と活気にあふれています。

どちらのリーダーが優れているかは、右翼、左翼で意見が割れるでしょうけれど、答えはありません。


本筋に戻します。
左右の二分化ではなく、リーダーが十人十色であることを掘り下げます。

発想力は強いけれど、
継続力は強いけれど、
協調性は強いけれど、
語学力は強いけれど、
「まじめ」「積極的」「視野が広い」(=リーダー向き)ではない。

向いていないと自覚してしまった人はリーダーに なりたがらないと思いますが…。
仮になったとして、組織における自分の役割を承知しているのならば、リーダーの強みを軸とした組織が形成されます。

すーごく単純な例ですが、研究が得意/好きな人が軸になる組織は、研究する組織になりますし、語学力が足りないのなら 成長に伴って語学に長けた人員を確保すればいいだけです。


(正直迷走しています、助けて)

雑多なことを書き連ねましたが、要するに

・チームの多様な役割に基づくアイデンティティは、
 どんなものであれリーダーシップになりうる。

・組織のリーダーとして求められるのは、
 「リーダー向きの性質」ではなく
 「やりたいことをもつこと」である。

ということです。それはそう。


終わりになりますが。
1200字書いてしまったので引き返せず、きりもみ回転しながら不時着。
お蔵入りにしたいけれど、方法がわからない。たすけて。



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