ゴミを拾う理由

ゴミ拾いは比較的すぐ行える
貢献活動として知られています

集団でコミュニケーションを計りながらゴミ拾いをする

街がキレイになるのは気持ちいい
何かいい事をした気分になれる
活動を通して知り合いが増えた
ゴミの分別や環境について詳しくなれる
腰にはくるけどちょっとした運動になる
人から褒められる

などメリットはあります

しかしながら個人でゴミを拾ってる人はそんなにいないと思います

ちなみに私は個人で継続的に街のゴミを拾っています
自分の馴染みのない街でも拾っています
一日単位で言えば少量ではありますが

だからと言って特にSNSなどで発信はしていません

私は偽善者よりも偽悪者なのでわざわざ人前でいい事してますアピールしたくないという気持ちもあるのだと思います

アピールしない結果

褒めてくれる人は誰もいない
協力してくれる人も誰もいない
認知されてないのであの人は何をしてるんだろう?くらいにしか思われない

という事がおきます

いい事をしているのに虚しい気持ちになる

きっと通常の考えならこうなって
「やらなくてもいいや」ってなると思います

ただ私はそうではありません

そもそも
「いい事をしてる」
「人に褒められる」

って私の中では付録程度の事だと思っていて私がゴミ拾いをしている真の理由をこれから述べていきます

・見て見ぬふりをなくす

見て見ぬふりをするのは
ハッキリ言って楽です

私も関わりたくないことはなるべく関わらないように生きています

ただみんな見て見ぬふりをしていると言うことはチャンスでもあると思っています

美味しいところ全部独り占めできるからです

ただそれをするにも勇気がいると思います
勇気というのは行動に出すまで時間がかかります

その勇気の時間を短くすれば
人は出来る事の数が増えると思っています

ゴミを拾うのにも勇気はいります

いざゴミを拾おうと思っても

恥ずかしい
水簿らしい
面倒くさい
どうせ誰かが拾うだろう
こんなの拾っても何のメリットもない

こんな事が頭をよぎります

ここで判断能力が鈍り
この暗示がやらない方向に拍車をかけます

で、ここで諦めたとしたら

それはもう一生できません

・「勇気」の先に見える光景
・「勇気」も継続すれば行動を踏みとどませる時間が次第に薄まり当たり前になる

つまり私にとってゴミ拾いというのは

物事に対して躊躇する自分を鍛える為にやっています

なので貢献心から来るものではありません

そしてもう一つ

・持ちつ持たれつ

私は人に迷惑はかけるつもりはなくても
生活している中で

誰かに迷惑をかけていたり
誰かを不快にしていたりしているかもしれません

特に私は一人行動が多いので
注意してくれる人も近くにいないので

知らない間に迷惑な行為をしていることに気づかないこともあります

例えば私は喫煙者ですが
ポイ捨てこそしないものの路上喫煙はします
場所は選んでますけど

それですれ違った人は不快と思う方もいるでしょう

このように私は時に迷惑をかけるでしょう

一方で私も誰かに迷惑をかけられています

ただこれを激しく糾弾しあうのではなく

お互いに迷惑かけてるもんな

じゃあお互い許し合おうよ

ってことで終わらしたいのです

だから私は人の愚かな行為を許すためにもゴミを拾うし特に呼びかけも注意もしません

注意したとてソイツはまたどこかで捨てるのです

だから私はあなたの迷惑を許すから私の迷惑も大目に見なさいというメッセージでもあります

そもそも褒められたくてゴミ拾いなんかやってても続かないです

それは自分が虚しくなるだけです

自分を強化するため
人を許すため
そして自分も許してもらうため

ゴミを拾っています

ただゴミを平気で捨てる人間は
そこに落ちてるゴミ以上に心がゴミであることには間違いありません

それでも許してやれてる俺は偉い!

みんなもっと俺を褒めてくれよな!!!


アディオス👋


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