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調律した視界に映るは淡い色


そろそろSEVENTEENと出会って1年になります。
この1年は大変だったけれど、思い返せば彼等のお陰で充実して幸せな1年でもありました。

なので、今回はSEVENTEENと出会って変わったことについて書きます。書き留めることによってそれが変わらぬ事実となるように。


向きを変えたつま先の優しさよ

まず、社会の見方が変わりました。
SEVENTEENと出会う前の私はきっと、社会に対して斜に構えるというか、穿った見方をしていたように思います。
この世は綺麗事ばかりだし、愛は自ら生み出さないと存在しないくらい渇いているし、世間は誰にも優しくない、と。

とりあえず、自分の好きなものと好きな人以外信用していなかったように思います。
書いてて恥ずかしくなってきました…

しかしSeventeenに出会って、新しい「優しさ」に出会えたように思います。
私は彼らと直接会ったこともなければ言葉を交わしたこともありません。彼らにとって私は存在すら知られていない、赤の赤の赤の他人です。
それでも、そんな私にも彼らは、「お疲れ様」「しっかり休んでね」「愛してます」と言葉をかけてくれます。それはもうまるで家族のような大切な人のように、です。

そうやって彼らの深い深い優しさに触れた私は、優しさとは、想いさえあれば距離も言葉も時間も関係がないのだと知りました。
誰にでもいつでもどこでも届けることができるのです。
そしてSEVENTEENの届けてくれる優しさは、私の冷たくなってしまった部分をゆっくりと溶かしてくれたように思います。

“こんなに優しくしてもらって、愛してもらっていいんだ”

“優しさは時間も距離も超えられるのだから、私もたくさん優しくして、たくさん愛そう”
を行き来するようになりました。

世界は思ったより優しいし愛に溢れてる、
SEVENTEENはそれを教えてくれました。
まさかK-POPを好きになってこんなに考えが変わるとは…人生とは本当に、偶然の巡り合わせ、どうとでも変われる、これにつきますね。

これは私の変化ではありませんが、私はSEVENTEENの「振り返ってくれる優しさ」にも救われています。

私は基本的にひねくれているので、背中を押してくれるような歌を聴いても「いや、まだそもそも立ててもないし、まだ前向けてないんで…」となってしまい、置いて行かれてします。
しかし、SEVENTEENは少し振り返ってくれます。まるで、少し後ろで下を向いて進めない誰かを気にするかのように。

Together(Japanese ver)を聴いた時、その優しさに気付きました。

極上の青春 胸に
なくさずに歩き続けていこう そう
できないことなんてなんにもない
だけど時に難しくて

この「だけど時に難しくて」がSEVENTEENの優しさだと思います。
歌詞のサビには「まっすぐ前を向いて 一緒に行こう」とあります。このTogetherはとても背中を押してくれます。しかし、先ほどのようにまだ前すら向けなくても「けど難しいよね、大丈夫だよ、難しいことだってもわかってる」と足を止めてくれます。

このさりげない優しさに救われます。
メッセージを多くの人に伝える、という行為はどうしてもそこからこぼれる人を生み出してしまいます。聴いた人全員を同じ気持ちにすることは不可能に近いです。
そのため音楽は時に、取りこぼされてしまった人に向けて作られることもあります。
しかしSEVENTEENは少しでも伝わる人を多くしようと、掬い取れる人を多くしようとしていると思うのです。
なんて優しいのでしょうか…。

私も彼らのように優しくありたい、日々そう思います。


何気ない日々こそ目映く目を細めて

もうひとつ私の変化を。
それは誕生日の尊さに気がついたということです。

大学生のとき先生が
「誕生日ってなんで皆さん祝うんですか?
年月を円環で考えるから祝おうと思うんですよ。けど人生は産まれてから死ぬまで一直線ですよね、そしたら誕生日とは誕生したまさにその瞬間の日なんです。つまり皆さんが祝ってる誕生日は僕は誕生日だとは考えないんです」
と話していました。

極端な意見ではありますが、少し私も賛同をしました。
幼い頃の誕生日は欲しいものを買ってもらえる日、学生になったら友達からいろいろプレゼントを貰えて、家族から美味しいケーキを用意してもらえる日。
そこは「生まれたことを祝う」が抜け落ちていたと思います。
だから、誕生日はまさに誕生した日を指す、という考えを少しずつ持つようになったのかもしれません。

そんな私はSEVENTEENがメンバーを精一杯祝う姿を見て、自分の考えは少し違うのかもしれないと思い始めました。

メンバーが誕生日であれば歌を歌いながらケーキを持ってきて盛大に祝う、拍手を送り、祝福のキスもする。そして「愛しているよ」と言葉にして伝える。
CARATはハッシュタグを付けてお祝いの言葉と、感謝と愛を送る。時にケーキを用意したり、イラストを用意したりして。
そしてSEVENTEENとCARATで歌を作りプレゼントする。

なんて、なんて、愛に溢れているんでしょう。
その姿を見るたびに泣きそうになってしまいます。

少しずつ大人になっていくなかで褒められることも祝われることも少なくなり、なにかを成し遂げないと、それらの言葉をかけられることは無くなってしまいました。

けど、誕生日だけは別です。
生きているだけで祝ってもらえるのです。
それってすごい日だと思いました。

だから私はSEVENTEENを好きになって以来、彼らとCARATの愛の深さに気づいて以来、
誕生日をたくさん祝おうと気持ちが変わりました。
私の大好きな人たちが生きててよかったと思えるくらいに。




SEVENTEENのみんな
もしかしたら世界は思ったより優しいのかもしれない
もしかしたら私はひとに優しくできるのかもしれない

ありがとう、みんなのおかげで私の見える景色は丸みを帯びて、優しく淡い光に包まれているような気がします。
きっとこれは新しい世界です。
どうかSEVENTEENのみんなが見ている景色もこうでありますように。


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