自己の分析

最近頭が悪くなって来た様に感じるので、自戒の念を込めて自己分析を此処に記す。

最近、知能の衰えを感じる。

それは元々無かったのかもしれないし、今迄は自分の知能の低さに気付かない程の阿呆だったのかもしれない。

後者であれば多少なりと年齢を重ね成長した証なのかもしれないが、しかし如何にも頭が鈍くなった気がしてならない。

思えば、私は今まで勉強らしい勉強をして来なかった。生来怠け者だった私には、知識習得の為に努力する甲斐性など持ち合わせが無かった。

しかし幸か不幸か物覚えは悪く無い方だったので、少し聞き齧れば物事を忘れなかった。

そんなこんなで私の脳味噌には広く浅い知識が堆積して行った。

そこから先は手練手管に、継ぎ接ぎだらけの知識をひけらかしては「賢い」だの「物知り」だのと褒められ悦に入り、終いには「自分は賢いのかもしれない」などと言うとんでもない思い違いをするに至った。

そして此処に至って、脳味噌から瞬発力が失われ、蓄積した知識が物を言う歳になって思うのだ。

って言うか書いてて分かったけど勉強してねーだけじゃねーかwwwwww

馬鹿じゃねえのwwwwww


って終わらせようと思ったけどあんまりな気がしたので書き進めようと思う。

こんな風に答えが出た気になって自分を納得させてしまうのも私の悪い癖だからだ。

さて、自分を冷徹に鑑みてみよう。

数年前まではもう少し物事を色々と考えていた筈だ。

それは思考と呼ぶには余りに拙い、獲得した知識をただパズルの様に組み換えるだけの作業だったのかもしれないが。

林檎と言うものを知っていて、食べると言うことを知っていて、「林檎を食べたい」と考えることがその組み合わせでしかない様に。

ではこれが思考では無いなら、思考とは一体なんなのだろう?

と言う様なことを頭の中で捏ねくり回す程度には、数年毎の私は一応物事をあれこれと考えていた。

…またまた書いてて思ったけどやっぱ「林檎を食べたい」って思ってる時点でそれは思考なのかなぁ。

数年前の俺は多分、思考の一般的なプロセスである既知の情報の組み合わせは既知の情報以上のものを生み出すことは出来ず、それは思考とは呼べないんじゃないか?みたいに考えてたと思うんだけどやっぱ定義の問題かな(常套句)丁度こんなことを考えて結論を出しても、それはやっぱ未知のものでは無く既知のものでしか無い、みたいなね。

それは如何なんだろうねww思考なのかねwwよく分かんね〜〜〜wwwwww

と言う風に考えるのが面倒になってしまったのだろう。

考えるのが面倒で目を逸らし続けた結果、本当に何も考えられなくなったのだろう。

結局、どうしようもなく怠惰なのである。

でもちょっと書いてたら良いことを思い付いたから脳味噌のリハビリとしてnoteにぺろぺろ書いて行こうかなと思った。

いやー、やっぱいいね。文章を書くって言うのは。


んじゃ次はさっき思い付いた「欲求と思考」についての頁で会いましょう。

アデュー!



あなたのご好意が、私の餌代になります。