告白


愛について考える時、私はある一人の女性を思い浮かべます。
彼女と私は、心から愛し合っておりました。
彼女はよく私に問いかけました。「愛とは一体何なのでしょう。」と。
愛とは何も望まないこと、凡ゆる打算を捨て、ただ傍に居たいと願うことだと、私は答えました。
彼女はこうも問いました。「では、愛とは一体、どう言う意味なのでしょう。」と。
彼女はいつも、私の内に、自らの愛の理由を探していた様に思えます。
何故愛するのか、何故愛されるのか。そんな答えの無い疑問を、自罰する様に、私に問うていたとさえ思えるのです。
心は、時に分かち難く、苦しい程に私の胸は締め付けられました。
意味も理由も要らない、ただ愛している。ただそれだけなんだ、と、言い訳の様に並べ立てる私に、彼女はただ微笑み、「私も愛しています。」と、答えるばかりでした。

彼女は、愛することは苦しい、と零すことがありました。それはまた、私の心から拾って来た言葉であるかの様に感ぜられました。
また彼女は一度だけ、愛しては駄目だと、愛さないで欲しいと、愛させないで欲しいと、壊れそうな声で呟いたことがあります。
私は、自ら胸を切り裂いて、狂おしい程の感情を、彼女に見せられたならと、願うことしか、出来なかったのです。
愛することは、それだけで全てを満たす程に力強く、それだけで全てが空になるほどの、無力でした。

彼女はよく、私に言っておりました。彼女の全ては、私のものであると。私は、私もそうであると、私の全てを、君に捧げると、そう応えました。然し、何度も確かめる様に問いかける彼女が、本当に望んでいるものが、私の全ての中にある様には、どうしても思えなかったのです。
それでも彼女は、永遠などと言う余りにも陳腐な言葉しか言えない私を、大事そうに抱き締めてくれたのでした。
全体、私に何が出来たのでしょうか。愛していると言う言葉に、一体どう返せば良かったのでしょう。何度も、愛していると繰り返して、彼女の心を少しでも満たしてあげられたのでしょうか。それでも、彼女が、今でも此処に居たならば、きっと優しく微笑んで「私も愛しております。」と、言ってくれたと、思えるのです。

俺の永遠は、今も此処にあるんだよ。
おやすみなさい、愛しき人。

あなたのご好意が、私の餌代になります。