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『最適解が40人の中に存在する』

新卒1年目。僕は地元の小学校の特別支援学級の支援員を務めた。

今から思えば、大学時代の教員採用試験に不合格で、就職先を自力でどうにかしなければならなかったのに、論文やアルバイト、引っ越し作業、卒業式実行委員会任務など見通しもなく、その日暮らしの過ごし方をしていた。悠長に過ごしていたものだと思う。

講師登録の話を聞いて、2月に帰省して、地元の教育委員会に履歴書をもっていった記憶がある。2月に動いている時点で遅すぎるのだが。

話をいただいたのは小学校での支援員の話だった。

「仕事があるだけいいわよ」

と母から言われて、そういうものなのか・・・と信じてしまうほど情報弱者だったと今から思えば思う。恥ずかしい限り。

ともあれ、4月から支援員としての勤務が始まった。

新卒ということで、情熱だけはあった。

何より「子どもが大好き」「子どもとずっと一緒にいたい」「一緒にいれば楽しいから」と学生気分のまま仕事をしていたように思う。

特別支援学級はそのような理想とはまったく違う現場だった。

支援員の気持ちを汲み取ってくれず、自傷他害をする子どもたち。

情に訴えかける演技は通じない。

怒っても伝わらない。

すでに自分の出せる手は何もなかった。

とりあえず、先輩支援員さんの真似をすることから始めた。

(興味のあるイラストを描いて、吹き出しをつけてあげるだけで、ワークシートも書きたくなるのか…当時は忍たま乱太郎のおじゃる丸を描きました)

(言葉を引き出したければ、頭の言葉だけ伝えて、待つのか…たとえば「おはようございます」の「お」。後に、口形だけの「お」とレベルを上げていく)

教育書には書いていないような現場だけでしか学べないやり方を1年間学んできたように思います。

といっても、特別支援の子どもたちは一人一人、特性が本当にちがうので、その子とのやり取りの歴史が何よりも重要ということです。汎用性があるというわけではないです。

驚いたのは、雑巾を他の子の口に入れるというとんでもない他害をする子どもに対して、言葉で言っても通じないから、雑巾を入れて分からせるというやり方を聞いたことは学生気分の私にとって、大きな衝撃でした。

詳しい経緯を聞いていないのでなんとも言えませんが、おそらく保護者も了解していたのだと思います。

当時、理想ばかりを追い求め、教育の崇高さを描いていたので、現実味にかける私にとって貴重な1年間だったと思います。

ともあれ、私は「特別支援」畑を歩むことになったのだろうとこの1年で決まったのだと思います。

しかし、僕の頭の中では「通常学級」の授業での憧れを夢を膨らませていました。



よく聞かれることがあります。

「特別支援と通常学級、どっちで進んでいきたいの?」と。

私は「両方です」「どちらも大切です」と回答しています。

今でも僕の思いは変わりません。

一斉授業の中で大勢で学べる良さとWin-Winの関係を作っていく。

学級経営や生徒指導では、互いの良さを引き出していく。

誰だってプラスとマイナスがある。

マイナスが50あっても、プラスが100あればプラスの方に引っ張られていく。気をつけたいのはプラスだけを出そうと型にはめること。何も気にならずハマる子もいれば、窮屈に思ってハマらない子もいる。

その上で、個別指導・個別支援がいる。

型にハメさせようという意味ではなく、枠組みを40人なら40人に合わせるということ。40人と一緒に話していく。案を出す。これは言うは易く行うは難し。学年でも検討が必要。

さて、個別支援をどうするか。最適解の形を模索する必要がある。

その子の限界点がどこにあるのか。

いろいろと思いつく所を個別支援する。

教科書の内容なら、基本形があるから、そこを重点に。

基本形が身につかないなら、それ以前の基本形に戻って指導していく。

学びに臨む姿勢・態度・性質・クセもだんだん見えてくる。


最終的には、一人一人のクセを見抜き、Win-Winの関係を周りと築いていけるよう授業者はメッセージを送る。教師の筐体で。教材で。周りの子の成長を取り上げて。


『最適解が40人の中に存在する』

最適解はユニバーサルデザインではない。

ユニバーサルデザインは近似値の解だと考える。

なぜなら、誰にでもやさしいことが必ずしも40人の探している答えとは限らないから。

最終ゴールではなく、折り返し地点のようなものがユニバーサルデザイン。

最終ゴールは常に変化・進化するもの。ゴールは人の成長とともに水準が上がっていくのではないだろうか。

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